今日は「父北村雨垂とその作品(129)」を掲載します。
父北村雨垂とその作品(129)
原稿日記「一葉」から(その12)
悟入するとは、己の無明なることを識ることであると信じ、明鏡と云へども鏡それ自体は不識の鏡に於て在ると識るべきも、凡夫雨垂は依然三十棒を食うことであらう。
臨濟録は岩波版で朝比奈宗源の訳注したもので、私の終生放つことの出来ない書となるであらう。一日2、3頁の讀破も決して容易なものではないが、週毎に再三再四味讀する事にしてゐる。
臨濟は心法無形、貫通十方と破し、西田幾多郎博士は無の自覚的限定として論理を組立てた。それをノエシス⇔ノエマの解明として万語を消費したが、佛の不立文字の立証に一歩ほど近づいた程度ではなかった様に考へられる。臨濟の言にはくめども盡きぬ意味がある、解った様な私は多分、野狐の着意であるかも知れぬ。遂に雑念つきず。凡夫永遠に地獄を彷徨することか。
殺父、害母、出佛身血、破和合僧、梵焼經像、以上が五無限の業と云われる言葉であるが、私には甚だしく抵抗を感ずる。臨濟和尚から痛棒を喰らうことは万々承知のことながら私には氷の様に冷えた血を全身に浴びる感が深い。高橋新吉は私の好きな異色の詩人であり禅に関する著書もあるが、そして私も宗演師の無門関解釋なぞを讀んで敬服してゐるが彼からも一度斯うした類のエゲツない言葉を聞いたり讀んだ事は無かった。ダダイスト高橋新吉を宣言した彼の当時に於てるら、見たことの覚えはない。殺父とか害母などと云う言葉は詩人には最も無用なる言であると私は考へてゐる。
福島眞澄女史から、見舞に来られた手土産に辻邦生の『北の岬』を頂戴した。正直なところ、私が小説を讀むと云うことは夏目漱石のものと芥川龍之介のもの位で小説には全く縁が無かった人間であったしそうしたことも原因として下手の川柳作家と反省はしてゐたが、早速この『北の岬』を讀んでみて、今日の日本文学の長足の進歩に、世間のせまい私の頭と気付き、思わずヒタイをコツンとたたいた。
私の感じでは、この『北の岬』には人間の中にある愛の根源に深くメスを入れたものとして辻邦生の愛の哲学として受けとめてみた。私も愛憎の哲学については今日まで、いろいろと試み、失敗と云う経験を重ねて来たが辻邦生によって開眼した想ひがしたし、文学の世界の無限の廣さに無性に嬉しくなった。
眞澄君のこの最良の好意に対し深く感謝する私である。
1975年(昭和50年)2月6日之を記す 雨垂
例えば、梅の花をみて何かを云うとする。そこでこの梅の花は白色であるとか、古木であるとか、この一本で梅の実が何程位取れる等と云う様なことは植木屋か植物学者の人達が語ることであって、川柳や俳句や詩の作家にとっては何等の意味もなく、在るのはその梅の花から受ける情感が重要な意味を持つと云うことである。そしてその情感が作品として巧みに表現されることが重要な訳である。また之の作品を観ることも先の植木屋とか植物学者に関係なく全く無縁のものを考へてよい。それは、作者が客体から受けた情感を作品化したと同様に、その作品なる客体から受ける情感~作品によって作者のお《読者への》コミュニケーション~を大切にすることである。