なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(127)

 今日は「父北村雨垂とその作品(127)」を掲載します。下記には自分の作品についての解説も入っていたり、また神話や神についての記述もあります。


              父北村雨垂とその作品(127)

  原稿日記「一葉」から(その10)

 素粒子無重力であるとは物理学者の新しい発見であり、而してその発言である。ニュートンの引力か量子理論、相対性理論いづれをも超えたところの理論として考へられたが、それにしても私には、しっくり来ないところがある。物理学者は磁力4について、再考すべきであらう。これはズブの素人の私の意見である。

 ギリシャ神話に限らず、殆んどすべての国に残る神話から素朴な人間~原始的人間~の性を見ることが出来る。ニーチェ悲劇の誕生では、いち早くそれを発見しての上での事であると考へられるが、アポロ的ディオニュース的と考へたことは余りにニーチェ的であり、作意的あるところに無理があり、論理が余りに強引である様に考へられる。



 昨年1978年(昭和53年)7月25日、英国マンチェスター郊外のオーダム病院で試験管ベビーが誕生したとラジオその他で発表された。パトリック・ステプトー医師とロバート・エドワーズ博士の共同研究と実験であるらしいが、間もなく米国でも実験が成功したとの報道がった。
 私がその2年程前の1976年(昭和51年)9月川柳研究に《321号》発表した作品
  
フラスコの中の一個が首を上げ

が当時一部の人達から難解とされていたが、私には立派に証明された様で特に嬉しかった。亦同時に発表した

 天国と地獄へ埴輪 歩(ある)き出す

と云う作品も同時に非難されたものだが、これは現在、甚だしく接近したかにみえる哲学対科学の未来についての種々なる可能性が云々されてゐるので両者哲学と科学に対する私の得た感觸を詠ったものである。ここでは哲学を天国と地獄、科学を埴輪として表象した。



 神は文化の芽が未だ育たなかった、即ち未開の文化の時代に於ける人間が自然との協力によって産まれたところのもの、つまり古代人と自然との合作に依るもので、自然物~この中には動植物や一部の虫類を含む~の偶然の動きその他の働きによる力えの驚きや恐怖を無機質的に意識し、亦それ等を原因とした幻想や夢等をも含めて、設定したX(エックス)が神となった様に考えられる。乳幼児の時代にみられる未熟状態の意識による驚きが古代人のそれを表象していゐるかにも見える。   
                       1979年(昭和54年)2月2日   雨垂

 神と人との交流は文化の芽が或る程度に育った過程に於ける一時代の様相と考へることが出来る。エレミヤ外旧約聖書はその代表的遺産である。而し地域による文化と神は各その性格を異にするために一様に断ずることのあやまちは避けねばなるまい。
                       1979年(昭和54年)2月2日   雨垂

 神話の起源については、前ページに書いたが、それがやがて、人と神との交流という形式をとって~心理学的にみておそらく幻想陶酔に近い状態であると考へられる~、或は混在に近いまぎらわしさとなり、やがて再び分離となる。斯した歴史の最も明瞭に今日の残されたものがギリシャ神話であり、その最大の功績はホメロス」に歸するものと考へられる故にギリシャ神話は、宗教として神を利用することもなく唯、人の上に神を位置づけただけに止めた。但し神の世界に於ける神々をそれぞれの力に応じて位階づけて居たことは確かである。