今日は、「父北村雨垂とその作品(149)」を掲載します。
父北村雨垂とその作品(149)
原稿日記「一葉」から(その32)
「人生(アイオーン)」について信田氏の言を考えて 1980年(昭和55年)3月14日
官側大学の信田正三教授が雑誌「理想」にニーチェの思想を語り、その中でヘラクレイストの一つの断
片として「人生(アイオーン)は遊戯する小児である。将棋遊びをしている小児である。小児が主宰者なの
だ!」とあるアイオーン(ギリシャ語あり)は永劫を意味する言葉であるが、今これを永遠にわたって律
動するアイオーン的な世界すなわち彼が「神がつくったのでもなく、人がつくったのでもないすべてのも
のにとって同一のこの世界と呼ぶあの循環的世界時間を生きるコスモスと同じ意味に解すればどうなろう
か」と云っている。ここに示された人生(アイオーン)は信田氏はその客觀的時間が生の始元と終末期に於
ては無であり、その故に人生に於ける時間が無始であり無終であるとして永劫の時間アイオーンと人生の
無始無終的時間がイコールであると断定したものと考えられる。
雨考
赤く 青く 首肯く大地 囁く風 1980年(昭和55年)3月17日
幻影の足型を追ふ構図など 1980年(昭和55年)3月19日
孫との対話 沈丁花とも対話 1980年(昭和55年)3月20日
禿鷹が去り獅子が去り骨に 月 1980年(昭和55年)3月27日
メドウサも行倒れてか朧ろ月 同
海と大地の ときに思想は対話など 同
黒枠の吾れを喜劇と吾もまた 1980年(和55年)4月3日
黒枠の吾れに喜劇と叫ばんか 同
愛憎いちまい ドラマ見事に 仔づれ獅子 (作品構成に課題あり、要再考)
憎、愛いちまい 見事にドラマ 仔づれ獅子 同
藤原 ピエロ 源 平 ピエロ 兜虫? 1980年(昭和55年)3月30日
黒枠の吾を 拙なき道化師(ピエロ) 綢(?)ぶも 1980年(昭和55年)4月6日
具合よく 神が仕立てた「人」だとは 同
神はその神の子に無精卵を掌に 1980年(昭和55年)4月8日
骨董に閉じこめられた欠伸とも 同
骨董に閉じこめる気か 欠伸まで 同
天国でなくともなどとつぶやくも 同
長老に聴けば 墓石などなどと 同