なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(148)

 今日は「父北村雨垂そその作品(148)」を掲載します。

              父北村雨垂とその作品(148)

  
  原稿日記「一葉」から(その31)


 逞しき夕陽を噛みつ粥を啜りつ

 鬼面 鏡面 点 線 駆ける 駆ける

 砂浜に 小松千本 東風の芽や

 生死なき意志や ペチグリウ氏の小麦

 善悪の中州を案山子 流れ 流れ

 七色に 力を発(あば)く 盲目の時計

 尺護に 山門の鬼からからと笑ひ

  (以下 1980年(昭和55年)2月16日)

 明月に慌てた 蟻と笑わんか

 明月や何を慌てた蟻の列

 コギト・エルゴ・スムとは聴くがどうかしら

 歩かねばならぬ埴輪で 逃亡も

 雷電(かみなり)の派手な寿命の矩かさよ

 霊長の神の子と曰うが所詮はBazillusさ

 明日(あした)さえ見えぬ望遠鏡なら捨てる

 唯一個だけの私をどうしやう

 反省をしても確かに在るとは曰うが

 反省で 確かに在ると聴くけれど



 きれぎれの 蟋蟀と咳く 夜の白さ       1980年(昭和55年)3月4日
 
 天の河 三途の川も宙天に           1980年(昭和55年)2月29日

 墓石にひとり 許せと 呟きも         1980年(昭和55年)3月5日

 墓石に 鬼も菩薩を賜わりで          同

 君に背を向けられようか 向けようか      同

 能面に欠伸奪られても 柳と花         同

 好日か 日々を砂漠か 運河の夢か       1980年(昭和55年)3月8日

 老醜が 私を睨む 鏡の馬鹿が         同

 穂を捧げつくして麦を誇るかに         同

 時計が兄か枡が妹か双生児           同

 山(くち)梔子(なし)の沈む想ひを風に跨(の)り          同

 シャボン玉の臍がコンパスと定規に謎      1980年(昭和55年)3月16日

 コンパスと定規にシャボン玉の臍        同

 待っている時計 待たされている時計      1980年(昭和55年)3月13日

 結(おに)飯(ぎり)に パスカルの意識可笑(おかし)き 虹     1980年(昭和55年)3月12日

 心臓が秒針を追う 友よとて          1980年(昭和55年)3月16日

 太陽と月に 時計はやがて還(かえ)さねば    同