なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

牧師室から(42)

 今日は「牧師室から(42)」を掲載します。これも約10年前に教会の機関誌に書いたものです。            

                  牧師室から(42)

 報復という名によるアフガニスタンへのアメリカの軍事攻撃が始まって一か月が過ぎようとしていま

す。かつて旧ソ連軍の軍事介入によってアフガニスタンでは500万人の難民が出ていると言われますが、

今回も多くの難民が出ていると言われています。たまたま91年度の朝日現代用語『知恵蔵』が手元にあり

ましたので、「アフガニスタン共和国」の項を見ますと、平均寿命男36,6年、女37.3年とありました。1

0年前の統計ですが、現在もそれほど変わっていないでしょう。貧しさの中で、戦争による生活基盤の喪

失によりさらに貧困化が増すという悪循環の繰り返しで、特に社会的に弱い立場の人たちの苦しみを想像

しますと、戦争の犯罪性を改めて思わずにはおれません。後方支援とは言いながら、日本の国もアメリ

の軍事攻撃にさらにコミットすることになったことは、それを阻止できなかった者の一人として、慙愧に

堪えません。

 しばらく前に、以前にも数回教会に来られた年配の女性の方が、またいらっしゃいました。その方はい

つも学徒動員や志願兵の死や戦災傷害者の記録をまとめた本が出ましたので、寄贈したいとやって来られ

ます。実兄が、戦前当教会に出席したことがあるということで、そのお兄さんはかつての戦争で台湾で亡

くなり、彼女はその遺骨探しから、神奈川県を中心とした上記の記録をまとめるようになったというので

す。この方の平和への想いを共有したいと願わずにはおれません。

                                    2001年11月


 今年3月に行われました定期教会総会気如適当な方がいれば、4月以降いつでも伝道師を迎えるという

ことを確認してありました。けれども、なかなか候補者が見つからず、今年度途中での伝道師招聘はむず

かしくなり、来年3月に神学校を卒業して伝道者となる方をお願いする方針を9月の役員会で確認し、諸方

面に働きかけておりました。10月中旬に、私が京都に行き、来春某大学神学部卒業者からの可能性を探り

ました。中に立ってくださる方があって、可能性があるということで、11月の役員会で検討し、条件を添

えて某大学神学部長宛にお願いしました。その結果、某大学神学部から1月中旬に適当な方を紹介してく

ださることになりました。その紹介してくださった方と面談して、余程のことがない限り、その方を受け

入れることになると思います。どうか教会員の皆さんもそのことをお含みおき願います。

 9月以降教会として、「教会の担い手と役員について」の学びと話し合いが行われてきました。このこ

とと伝道師招聘、つまり牧師である私を含めた教職の問題との関わりも大切な点です。教職、役員は、そ

の働きとして、信徒(教職も役員も含む)がイエスの福音を信じて各自の生活の中にその福音をもたらす

ことに仕える者です。その意味で、イエスの福音の探求とイエスに招かれてその担い手とされた私たちの

あり方・生き方は、伝道師招聘をもって終わるものではありません。

                                       2001年12月


 先日年が明けてから、はじめて横浜キリスト教書店に行きました。お店の扉を開けて、中に入りました

ら、左側のところに童話屋から出版されている『ポケット詩集』気鉢兇並んで置いてありました。この

詩集は、私の愛読書でもあり、キリスト教の書籍ではないので、すぐに目に留まりました。

 昨年の最後の日曜日の日曜学校合同礼拝で、私の連れ合いが説教をしました。たまたまその日の主日

拝は信徒講壇でSさんが説教することになっていましたので、私も日曜学校の合同礼拝に出ました。

 すると、スタッフと子どもたちとその保護者の方以外に、二人の信徒の方も出ていました。日曜学校の

礼拝が終わって、その二人の方は、私が二人の後ろにいたのも知らずに、日曜学校のお話は分かり易くて

いいわね、と言いながら礼拝堂に入って行かれました。その連れ合いの説教の中で取り上げられていた

「ぼくがここに」というまど・みちおの詩も、『ポケット詩集機戮房?燭気譴討い泙后

「ぼくが ここに いるとき/ほかの どんなものも/ぼくと かさなって/ここに いることはできな

い/もしも ゾウが ここに いるならば/そのゾウだけ/マメが いるならば/その一つぶの マメだ

け/しか ここにいることはできない/ああ このちきゅうのうえでは/こんなに だいじに/まもられ

ているのに/どんなものが どんなところに/いるときにも/その「いること」こそが/なににも まし

て/すばらしいこと として」。

                                      2002年1月