なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(86)

船越通信癸牽供 。横娃隠嫁12月9日     

・12月2日の日曜日はアドベント第一主日でした。船越教会でも講壇前にクランツの4本のローソクが準備され、その最初の一本のローソクに灯が点りました。いよいよ今年も主の降誕を祝うクリスマスが近づいてきました。イエスが誕生した当時のユダヤの国は、ローマ帝国の覇権が徐々に拡大していく時期で、良かれ悪しかれユダヤの国を安定支配していたヘロデ大王が紀元前4年に死に、その後ローマの圧力が益々増大していくことになります。イエス誕生は紀元前4年以前と思われますが、ほぼヘロデ大王の死に重なっていました。イエスの十字架死は紀元30年頃と想定されています。そのイエスの死後35年から40年にかけて、紀元後66年から70年には第一次ユダヤ戦争が勃発し、エルサレムはローマ軍によって神殿もろとも破壊されてしまいます。時代史・社会史的に見れば、イエス時代のユダヤの国は社会的矛盾が極まって行く過程にあったということができるでしょう。しかもユダヤの人々はローマ帝国の支配を受けている被抑圧民でした。民衆一人一人の苦しみは並大抵のものではなかったかと思われます。そのような状況の中でイエスの生涯と十字架死と復活という出来事が、信じる人々にどんな命の力を与えたのか、今年もクリスマスの時期にイエスの誕生を想い起しながら、思い巡らしたいと願います。

・2日の日曜日は礼拝後テーマ話し合いのまとめがありました。今までの発題の全記録を発題資料に加えて私の船越通信に書いたテーマ話し合いの報告からピックアップしてまとめた小冊子を用意し、皆さんの様々な関心問題意識からの発題から以下6点について今後話し合いをしていき(出来れば来年2月か3月に)、船越教会の今後の在り方と将来像を考えていきたい旨申し上げました。_須賀平和センター宣言について、教会がイエスの福音の阻害にならない形態を模索する(教会の自己目的化への警戒、既成教会のマイナス面の克服)。「小さくされた人々」(本田哲郎)への連帯をめざす。ざ飢餔?瞭錡鐡な生活の場での証人としての生き方と教会との関係。タ仰の活性化。社会の枠組みを脱構築していく教会。出来るだけ長く船越教会に連なってきた者と最近に連なるようになった者が一緒に集まれる日を設定して話し合うようにすることにしました。クリスマスの礼拝には皆さんが出席しますので、その時に打ち合わせをすることにしました。

・2日はその後昼食会があり、カレーうどんを一緒にいただきました。しばらく食卓を囲みながら懇談して散会し、それから役員会が行われました。役員会が終わったのは午後3時過ぎでした。それから私は、翌日12月3日の私の裁判の第2回口頭弁論と報告集会のための書類を整えて、それを持って鶴巻に移動しました。鶴巻の自宅に着いたのは午後6時過ぎでした。

・3日は午前8時過ぎに鶴巻を出て、まず日比谷図書館に向かいました。10時開館前に私の裁判支援会事務局の方が6名ほど入口に待っていました。開館後口頭弁論後の報告集会の資料などを会場に置いて、すぐ私は裁判所に向かいました。既に103号法廷前の廊下には傍聴者が並んでおりました。最初に来た方は2時間前の午前9時にはいらしたと、報告集会でおっしゃっていました。法廷前の廊下には教団側から被告の石橋秀雄議長他4名(伊藤瑞男副議長、長崎哲夫総幹事、藤森勇紀幹事、道家紀一幹事)が並んでいました。議長は被告席に座りますので、4人にはこちらの支援会が用意した傍聴整理券を渡しました。98名の傍聴席には教団側の4名の他は多分すべて私の支援会からの呼びかけで来て下さった方だと思います。その中には九州からかけつけてくださった方もいらっしゃいます。西中国、東中国、兵庫、大阪、中部、関東、東海という遠方の諸教区からも約20の方が傍聴にかけつけてくださいました。口頭弁論は、原告の岡田尚弁護士と被告教団の島林樹弁護士がそれぞれ意見陳述をし、その後裁判長が次回は来年2月25日(月)午後2時に行い、(当裁判が法律上の争訟に値するか否かについて)判決を出すと言われて、約20分で閉廷しました。その後日比谷図書館講堂に移動し、12時50分から午後2時頃まで報告集会を開き、弁護士の説明と質疑を行い、世話人代表の関田寛雄牧師からの挨拶、原告の私からの挨拶に続き、各地区からの発言をしていただきました。来年2月25日までにすべきことは、「公正な裁判を求める要請書」を用意し、全国の皆様に署名をお願いすることです。12月13日に神奈川の世話人・事務局会がありますので、そこで要請書の文案をまとめることになっています。要請書が出来次第、皆様にお願いすることになりますが、その祭はどうぞよろしくお願い致します。

・4日(火)には教区の常置委員会があり、鶴巻から常置委員会が開かれる蒔田教会まで出かけました。常置委員会は午後6時からはじまり、その日は午後7時30分過ぎには終了しました。

・6日(木)は鶴巻から船越への移動日で、この日は午後3時半ごろ船越教会に到着しました。7日(金)から8日(土)には寿青年ゼミが寿で行われますので、私は7日(金)朝7時頃船越教会を出て、8時過ぎには寿公園に着き、炊き出しの準備(野菜などの切り込み)から青年ゼミに参加し、午後1時から始まる配食までいて、失礼しました。今回の青年ゼミに参加した青年(主に学生)は、例年と比べると少なかったように思います。この青年ゼミには、もう大分前から諸教会の青年の参加は殆どなく、諸大学からの学生の参加が中心になっています。大学の中には寿の活動を支援して下さっている教師がいて、その教師の授業で寿青年ゼミへの参加を勧めてくださって、学生が寿青年ゼミに来るというケースが多くなっています。若い学生が寿に来て何かを感じて、自分の生き方を考えてくれればという思いを胸に秘めながら、私は寿青年ゼミに関わっています。