なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(48)

          船越通信癸苅検  。横娃隠嫁3月11日     

・3月4日の日曜日は、礼拝後役員会の前に昼食会を持ちました。今回はTさんが昼食準備の当番を引き受けて下さり、主食は玄米ご飯にレトルトのカレーでした。レトルトのカレーは災害の備蓄のために用意しておいたものだそうです。昼食会には14人が参加しましたが、それぞれ暖められた中辛や辛のレトルトカレーをとり、玄米ご飯の盛られたお皿に注ぎ、お祈りをしてみんなでいただきました。なんだか楽しい昼食会になりました。副食は大根サラダに煮干が入った野菜の漬物に、その日教会の庭にある木からとった実の皮と袋をむいた甘夏がでました。午後1時ごろ昼食会を終えて、引き続き役員会が行われました。今年度は6人の転入者もあり、会計も少し余剰金が出るということで、ヒムプレーヤーを新しく購入することにしました。船越教会では祝祭日以外は通常礼拝奏楽をヒムプレーヤーで行っていますので、機能の充実した新しい機種になれば、今までよりは使いよくなるのではと思います。また、役員会では、テーマ話し合いついての私がつくったアンケート原案を検討し、11日の日曜日にみなさんに配布して回答を寄せていただくことにしました。この日は比較的役員会も早く終わりましたので、午後3時には船越教会を出て鶴巻に移動しました。京浜田浦駅に着くと、すぐ電車が来て乗れました。横浜でも相鉄線のホームに着くとすぐ発車する電車に乗れました。さらに海老名でも小田急にすぐ乗れて、ほとんど待時間がなく鶴巻まで行けましたので、鶴巻に4時半過ぎには着いていました。

・3月6日は神奈川教区の常置委員会があり出席しました。2月25日に第127回教区総会が開催された直後でもあり、年度の最後の月でもありましたので、午後6時からはじまった常置委員会が8時前には終わっていました。ただ私は寿地区活動委員会の委員長として、この日の常置委員会で寿地区センターの協力宣教師として4月から働いていただくことになっています韓国基督長老教会牧師のCさんを、教区として宣教師派遣を教団の世界宣教委員会に推薦していただくことになっていましたので、その説明とお願いをする責任がありました。その責任を果たし、C牧師も常置委員会に出席していただき、みなさんに紹介しました。常置委員会は宣教師派遣の推薦を可決してくださいました。この宣教師派遣の件で、3月8日には、寿地区センターに教団の世界宣教委員会の担当幹事と担当職員が見えて、私と三森主事とで話し合いました。教団からきた二人からは二つの確認を求められ、至急その回答を出さなければなりませんでしたが、何とかその回答が間に合いそうなので、一安心している所です。

・8日は鶴巻から寿地区センターに寄り、キリスト教書店で転入会者のプレゼントを購入して船越教会に来ました。9日の夕方まで船越教会で仕事をし、戸塚地区センターである教区の国家秘密法反対特別委員会主催「秘密保全法案」についての学習会に参加しました。情報公開をしなくてよい機密を国家がもつということは、政治の主権が私たち市民の側にあるのではなく、権力側に主権があるということを意味します。これを許してしまえば、何れ治安維持法ができ、権力の横暴がまかり通ってしまうことになります。大阪の橋下市長のようなファシズムにつながりかねない危険な政治家が大きな支持をうけるような状況がありますので、注意していかなければならないと思います。成熟した市民社会の形成には、基本的人権を大切にしていく民主的な社会を創造していく主体的な市民が必要です。権力の横暴を許さない社会システムにしていかないと、この国が昔通った道の再現が起こらないとも限りません。その意味で、「秘密保全法案」に注意を向けていく必要があると思います。

・9日は集会後鶴巻の方に帰り、10日の午前11時からおこなわれた紅葉坂教会の会員の方の葬儀に出席しました。この方は私が紅葉坂教会在任中にすでに4,5年間寝たままの状態で病院でのベットの生活を強いられていました。入院した1,2年は他の教会員の方も時々見舞っていましたが、段々反応がなくなって、誰がきたかも認識できなくなっていきました。そうなりますと、見舞う人も行きにくくなり、私が紅葉坂教会に在任した最後の2年ほどは、教会からの見舞いは私だけだったのではないかと思います。病室は4名の部屋だったので、讃美歌を大きな声で歌うことはできませんでしたが、私はヒムプレーヤーを持参し、この方の愛唱歌や、クリスマス前後の時には讃美歌のよく歌われるクリスマスの歌を、耳元でヒムプレーヤーの演奏に合わせて歌いました。そうすると、少しだけ顔に反応があるように思われました。長年病院のベットで自由の利かなくなった体を横たえて生活するということは、脳梗塞によって意識は健康体の人からすると鈍くなっているとは思われますが、どんな風にご本人は感じられていたのでしょうか。私は年に5,6回の見舞いに過ぎませんでしたが、この方の名前を呼んで、教会はあなたのことを忘れませんよ、覚えていますよと心の中で呼びかけることにしていました。神さまがいらっしゃるならば、この方のような人のそばにいらっしゃるのではないかと思っていました。葬儀式で棺の中に安すらなか顔をして眠っているように見えた故人に、ご苦労様でしたと声をかけて、この地上でのお別れをしました。

・11日の説教は、マルコ福音書9章30-37節から「偉さを競うのではなく」という説教題でメッセージを取り次ぎました。詳しくは私のブログ(なんちゃって牧師の日記、3月9日)をご覧ください。このマルコの個所は、第二回のイエスの受難と復活予告と誰が一番偉いかと弟子たちが議論していたことを記す記事が続いているところです。イエスはこれから受難と十字架への道行に進んでいきます。そのところで誰が一番偉いのかと論じ合っている弟子たちの姿は象徴的です。最も小さくされた人への仕えに生きて十字架に極まったイエスとは真逆な弟子たちの姿です。このイエスと弟子たちとの関係が、イエスに従う弟子たちに変えられていくにはイエスの十字架と復活の出来事が必要だったのでしょう。