なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(92)

 昨日は夕方雨の中を船越教会から戸塚地区センターに行きました。「秘密保全法案」につての学習会が、神奈川教区国家秘密法反対特別委員会主催であったからです。野田政権は今年の通常国会に「秘密保全法案」の提出を目指しています。この法案の危険性について、講師である日弁連の山下幸夫弁護士が話して下さいました。「昨年の8月に答申された有識者会議では、新たに作られる『特別秘密』について々颪琉汰粥↓外交、8?Δ琉汰患擇喘畚?飮?箸気譟罰則の対象となるのは公務員だけでなく、事業委託された民間業者や独立行政法人職員などまで広がっています。罰則も「10年以下の懲役」まで広がり、大変厳しくなっています。国民の『知る権利』を損なう危険性をはらむ」、情報公開とは逆行する法案です。権力の側による監視社会の強化のもくろみを感じます。

 野田政権が今この法案を国会で成立させようとしているのは、アメリカ側の圧力の強さがあるのではないかと講師は言っていました。自衛隊によるイージス艦の軍事秘密漏洩事件を契機にアメリカ側は日本側の秘密保持の甘さにいらだっているというのです。日本の国としては、軍隊としての自衛隊をもっていることがおかしいので、憲法9条による平和外交に徹すれば、何もアメリカの圧力を受けることもないのではと思うのですが・・・。

 昨日はこの集会の後鶴巻に帰り、本日11時から紅葉坂教会で行われたIさんの葬儀式に出席して、しばらく前に船越に帰ってきました。Iさんは5年以上病院で寝たきりの生活を続けていました。私の紅葉坂在任中は年に4,5回はIさんを見舞い行っていました。この1月に、5年間くらい入院していた病院にはいられなくなり病院を移ったそうです。91歳でした。もう10年前になるでしょうか、Iさんの最愛の息子が50歳前後で肺がんで召され、それから数年後にIさんも病に倒れて、長い病院での生活をすることになりました。病室のベットの脇には夫と息子の写真が置かれていました。
 Iさんを神さまにお委ねするとともに、ご家族の方々の上に主に在る慰めと平安をお祈り致します。

          黙想と祈りの夕べ(通信 92[-40] 2001・7・1発行)

 私が、最初にM兄が危篤状態に入っていることを報告し、兄弟のことを覚えて祈って欲しいと申し上げました。

 続いて、一人の姉妹がバブル期に結婚した二人の女性の共通した価値観について話されました。一人の女性は夜中に電話をかけてきた方で、「私は幸せになれるでしょうか」と言うのである。「あなたの幸せは何ですか」と問い返したら、「夫の収入が十分あって、自分もフルタイムで働くことが出来、子どもも良い学校に行くことだ」という答えが返ってきた。教会の価値観は違うことを話し、家庭があり、子どもが与えられていて、その子どもの寝顔を見ても幸せを感じられるのではありませんか、と言うと、「やってみます」と言って、電話が切れた。30分後また電話があり、「できません」と言う。もう一人の女性は、ボランティアで関わっている人だが、夫との関係がこじれているので、彼女も働いて自分の収入を得て、夫の収入だけに頼らなくても生きていける道を考えたらと、アドバイスをし、本人もそう思うと言うのだが、今手に入れている生活を手放すのが出来ないようだ。彼女は結婚式も派手にやり、贅沢な生活に慣れて、それが失われると不幸だと感じてしまうのではないかと思う。たまたま私たちの時は、結婚式も会費制がはやっていたこともあり、会費制でし、共働きも自然で、戦後の貧しい時期を過ごしてきたので、自分の家に塩がない時には、隣の家に貸してと言える関係を持ってきた。バブルの時代に結婚した人の中にはそういう関係はない。助けてと、隣の人に言うことができず、生活そのものがバブルの繁栄が前提となっているように思われる。夜中に電話のあった人には、教会は価値観が違うが、よかったら礼拝にいらっしゃいませんか、と言った。共通の言葉が持てない歯痒さを感じている。多くの人が共通した幸せを感じられるようになり、経済が苦しくても、助け合って生きていけるようになれればと思う。

 また一人の兄弟は、牧師からM兄のことが報告されたが、自分はこの教会に初めて来たとき、たまたま礼拝の席の隣にM兄がいて、説教のメモを熱心に取っている姿に、こんなに真剣に説教を聞くのかと感動し、それから自分も見習うようにしたと言われた。続けて、昨日は「沖縄慰霊の日」(6月23日)だった。沖縄戦で20万人の人が死んだが、その内12万人は沖縄の民間人だった。沖縄戦では鉄の雨が降ったと言われている。実に悲しい出来事だと思う。自分は日本の繁栄を維持する上で安全保障を必要と考えている者であるが、私自身にとっては8月15日の敗戦記念日よりも6月23日の沖縄慰霊の日の方が重い。以前吉田満の「戦艦大和の最期」を読んだ。戦艦大和沖縄戦に行く途中で撃沈される。吉田は3時間漂流する。何度も殺せ、殺せと言われ、指を離せば死ぬ、そういう状況の中で、今迄の生とは何かを考え、バッハを幻聴したという。その生きようとするところがすばらしい。吉田満カトリックで受洗し、その後プロテスタント日本基督教団西方町教会に転入した。当時西方町教会の牧師は鈴木正久氏で、吉田は1967年イ-スタ-に日本基督教団総会議長鈴木正久名で出された戦責告白が出る前に転会している。想像に過ぎないが、吉田満の転入が鈴木正久牧師を触発したかもしれない。教会の中で社会問題や政治問題を考えながらやっていきたいが、ニヒルかも知れないが、大勢に流されず、自分にとってはどうなのかを問いながらやっていきたいと思う。