なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(136)

 いつも日曜日に掲載していました「船越通信」は、昨日は掲載できませんでした。何となく忙しくして

いて、一日が過ぎてしまいました。今日掲載します。アドベントに入りました。今年も主の降誕を覚える

クリスマスが来ます。一般の暦と教会歴は、同じ日、同じ時間を指示していますが、時間理解に相違があ

ります。一年の日々の中に、神の出来事、イエスの出来事の生起を信じる教会歴は、歴史の現実から目を

そらすためにではなく、歴史の現実のただ中に神の出来事、イエスの出来事を追体験するためにあるので

はないかと思います。そのような意味で、2013年という状況の中で、今年もクリスマスを迎えたいと

思います。         


         船越通信癸隠械供 。横娃隠廓12月1日                


・11月24日(日)は、教会歴では終末主日で、一年の最後の日曜日でした。12月1日(日)はアド

ベント第一主日になり、教会歴では新しい年に入ります。そこで、24日は礼拝後、クリスマスの準備を

みなでしました。クリスマスツリーを組み立て、飾り付けを施して、礼拝堂の前に設置。それに船越教会

独自のクランツの四本のローソクを飾り付けと共に講壇の前に机を出して用意。さらに昨年から、道路か

らの外階段の壁に、夜だけ点滅する十字架のある教会堂のイメージの電飾を設置しました。24日の礼拝

出席者7名がそれぞれ分担してクリスマスの準備に当たり、午後1時前にはすべての準備を終えることが

できました。

・私は、この日午後4時半から神奈川教区事務所の二階会議室で、今年度第3回オリエンテーションに委

員長として出席しなければなりませんでしたので、しばらく教会で休み、午後2時ごろ教区事務所に向か

いました。私が教会を出る時には、まだNさんが植木の手入れをしてくださっていました。Nさんに挨拶

をして、私は教会を後にしました。今回のオリエンテーションは、「戦争責任告白について」で、関田寛

雄牧師に講師をお願いしてありました。少し早目でしたが、午後3時15分頃教区事務所に着き、この日

オリエンテーション委員のMさんが欠席でしたので、お茶の準備をして会が始まるのを待ちました。午

後4時過ぎに最初に関田牧師が到着しました。関田牧師から資料のコピーを依頼されましたので、近くの

コンビニでコピーをして、その日のレジメと共に参加者に配布しました。参加者は講師を含めて13名で

した。オリエンテーションの対象者である、新任教師・按手准允志願者・教師検定試験受験者・神学生は

7名、委員が5名、講師を含めて13名です。

・関田牧師は、「神奈川教区オリエンテーションのために」というレジメを用意してくれました。その内

容は以下の通りです。<はじめに 1)牧師になるまで ∥萋鷦\こβ臉錣箸錣燭掘´∨匯佞了劼箸靴

 「軍国少年」として い澹斥佞箸僚于颪ぁ´ジタ函酋いられたる恩恵 2)牧師になったから 

川崎につかわされて ∈瀑釤灰螢▲鵑箸僚于颪ぁ´H晋?音毀臼親阿涼罎如´て鸞のわらじをはきつつ

(牧師と青山学院の教師) ダ盒気龍譴靴漾。魁法崟鐐萓嫻す霰髻廚函嵜仰告白」 ゞ誼弔寮立をめ

ぐって、 ◆嵜仰告白」の成立をめぐって 「戦責告白」の教団史的意義 に鎤遏ε貎逝臾簑蠅砲

いて タ靴靴た仰告白をめざして 4)教区形成基本方針について .廛蹈札垢箸靴討龍飢餬狙―教

区・教団と共に 多様性における一致―御霊の賜う約束の中で I分と全体―参加する権利と義務―

学習の場 5)牧会者として目指すところ (垢・見る・語る ◆屮リストに従う」-モデルをもつ

こと ゆとりとユーモア(完全主義はサタンのささやき) ぢ慮海ら経験へ、そして変貌へ ヌ室

の祈りー生の原点 むすび>。このレジマから関田牧師の講演を想像していただければと思います。この

日参加した若い7名だけでなく、委員5名も、戦責告白だけでなく、牧師とは?という問いに対する、長年

牧師として歩んで来られている関田牧師の体験を踏まえた貴重な話を聞くことができました。感謝です。

・27日(水)には、紅葉坂教会でKさんの前夜式があり、私も出席しました。Kさんは横浜共立学園

先生を長くしていた方で、退職後は病気だった連れ合いの世話をされていましたが、ある時期からは、二

人とも別々のホームでの生活を強いられるようになりました。連れ合いが先に帰天され、彼女の葬儀は私

が司式しましたが、それからどのくらいになるでしょうか。24日の早朝に92歳で帰天されました。謙虚

で物静かな方で、ご自分の考えを決しておしつけることのなかった方でした。ご遺族の上に主の慰めをお

祈り致します。

・28日(木)は、久しぶりに国会前の辺野古新基地建設反対の座り込みに参加しました。この日は、何

時もと違って、国会前の道路は人の行き来が頻繁でした。来年度予算編成の時期なのでしょうか、陳情団

と思える人の列が多かったように思います。それだけではなく、参議院での「特定秘密保護法案」廃案を

求めて、アッピールするプラカード類を持って個人で国会前に来た方が、数名私たちが座り込んでいる所

に並んで立っていました。ギターとスピーカーで、「特定秘密保護法案」反対を叫んでいる二人の方もい

ました。その一人の方が、ギターを弾きながらインターナショナルを歌っているのですが、かつて70年代

によく聞いたインターナショナルと同じ歌かと思えるほど、こぶしの聞いた演歌かと思える歌い方をして

いました。私たちの座り込みだけでなく、さまざまな抗議行動が国会前で繰り広げられていますが、国会

議事堂や首相官邸衆議院参議院議員会館の立ち並ぶ国会周辺の空気は、何かよどんでいて、どんな抗

議の声も、応えられないまま消えていくように思えてなりません。それでも声を上げていかなければと思

っています。「特定秘密程法案」反対で来ていた教団の某牧師が、私が座り込みをしていたのに驚いて、

キリスト者平和ネットの集会にも教団の牧師は来ていないねー、と呟いていました。

・今の教団の大勢は、現在教団宣教研究所から出されている「改訂宣教基礎理論、第二次草案」を読む限

り、教会と国家について、ルターの二王国説に近い理解をしていますから、社会的な運動にコミットする

ことはあり得ないでしょう。<教会が教会として世界平和や国家・社会に関わる関わり方は、基本的に

は、神の言葉を宣べ伝えるという関わり方に限定されます。ことに御言葉の奉仕者は、時代におもねるこ

となく永遠の福音を語ることによって、世界・国家・社会に対して御言葉に基づく判断ができ、力強い証

しを立て得る信徒を養い育てるという、間接的な仕方でのみ関わるべきです。>と、「改訂宣教基礎理

論、第二次草案」には記されています。そして、国家への抵抗は、教会が教会であることが侵されたと

き、具体的には礼拝が国家によって禁じられた時にするのだというわけです。これは戦時下の教団が、復

活信仰のような教義が否定された時は、殉教の覚悟で国家に抵抗するが、殆ど日本国家による戦争行為を

批判し、抵抗することはしなかったことと同じではないでしょうか。しかし、このような教団執行部の姿

勢とは違って、教団には社会的な責任も負って宣教活動をしている教会、信徒・教職が多くいることも見

失ってはなりません。