今日は「父北村雨垂とその作品(80)」を掲載します。
下記の父の句の中に現在の天皇夫妻がまだ皇太子夫妻だったころに慰問を受けて作ったものが一句あります。「厚木リハビリステーション」は神奈川県が厚木の七沢に作ったリハビリセンターです。1970年頃の神奈川ではリハビリの最先端を行っていた病院です。1970年に父が脳溢血で倒れて半身不随になり、半年は私たちが赴任していた東京の教会を横浜の自宅から通うようにして介護しました。その後七沢のリハビリセンターに入院しました。その入院中に当時の皇太子夫妻の慰問を受け、父がお二人と直接接したようです。父は戦後共産党員との付き合いがあったりして、権力には批判的だったと思いますが、天皇家には対する日本的感性は多くの日本人と共有していたのかもしれません。
父北村雨垂とその作品(80)
無題 1978年(昭和53年)12月 川研 347
陽は虹に 死んだ時計の 面(ツラ)に 夢
宙天や 月を見おろす 芒(ススキ)の 砂漠
逆轉の ニーチェ 眞理を サーカスに
熱い 涙と 冷たい 汗の 長い 会話
プリズムと レンズに 浮かぶ 古事記の袖
無題 1972年(昭和47年)6月 川研 270
藤の花 風 東より 南より
夜あけの 合歓(ねむ)に 落ちた かんざし
ロマンスは 源氏ほたるの 点と 線
撫子(なでしこ)の 河原にひとり 想ひつめ
ラッパ手の 百合(ユリ)の小平が 背伸び した
俊寛は 泣きあかしたか 月見草
1971年昭和(46年)11月 川研 263
曼珠沙華 汝は 施主なりや 孤児なりや
こだました 百万分の一秒の 雷
蟷螂の父は 汝の母に 聴け
始元在りや おんどり 東天紅と鳴く
曼珠沙華 ひねもす 風に 停ち 居たり
美智子妃殿下の御慰問を得て
皇太子御夫妻の御慰問を賜り
於 厚木リハビリステーション
極まるや 唯に 涙を ロゴス とす
無題 川研 277 1973年(昭和48年)1月
秋の銀座を 悠々と 歩るく 熱帯魚
天井のミイラは 蝿の 巨大な 脚
明日のたそがれ 現在(いま)も 天から流れくる海
朝を睨(にら)んで 轉がっている 野犬の 目玉
煙突の街で ゆっくり 自殺する
回帰(ふるさと)の 夢とも 狡猾(ゼロ)の 現象(いのち) とも
分裂(かくめい)の大地(ふうけい)に 蝸牛の 觸(ねむ)覚(り)
川研 283 1973年(昭和48年)7月
掌に採れぬ 眞理の壺(つぼ)は 積み 重ね
牡丹 散って 男の愛の うつろな 睨
おどる ヒトデの生態のキャバレーの黒い灯だ
心臓が 現在(いま)に格闘した コトバ
具足の 鋼(ハガネ) 椿の 原色の すべて
これや この 砂漠に画描く 無数のいのち
マクヒスは 遂々 殻象に 食われ