今日は「父北村雨垂とその作品(172)」を掲載します。
父北村雨垂とその作品(172)
原稿日記「四季・第一號」から(その10)
達磨の説くところの「無」は精しく云えば「法そのものの無」であり、眞理そのものの「無」でそれは
吾々が発言する無とは大きく異なるものである。これは「吾れ吾れ」と共に一般思想家、西欧系哲学、科
学者をも含めた「無」である。それが達磨の啓示として正しく受けつぐ禅学者の悟りである。無が法であ
ると云うのではなく「法そのものの無」なのであり、それが「悟り」の根源(元)なのである。禅者の云
う「平等」が私にとっては即ち「眞理そのものの無」を指示していると考える訳である故に、禅者の眞理
そのものなる無とはその対象なる有を總に現象としてそこに「差別」と命名したことに何等の矛盾も考え
られないし、而かも「平等なる法」は同時に有も亦無の内に包含されている弁証法的存在であり、ひいて
は倫理なるところの善悪の元相もその母体としている等等限りなく拡大される弁証法的論理を形成するも
のと考えられるのである。
1983年(昭和58年)4月10日
陶然と 居士蟷螂か 消ゆるまえ 1983年(昭和58年)5月22日
私は前述に於いて眞理なす無即ち法なる無を禅者の悟りに意味の重大性を観たが、同時に禅者が現象を
差別として無差別つまりその差別の対象なる無差別を平等と観た禅者の意識に深甚なる関心を持つもので
ある。と云うのは、一般思想家、哲学者、又科学者を含めて禅者の命名する平等も差別(即ちその対象な
る現象)もその命名する意識に萬里の隔たりのある点に注目せざるを得ない。別言すれば、この差別と平
等も禅者が絶対眞理と観るその裏付けとなるものが共に眞理なる「無」と観る意識と其の根底を同じくす
るものであることである。 1983年(昭和58年)4月11日
この件については、更に精しく検討することを約束したい。
1983年(昭和58年)4月11日
註:かつて私は柳田聖山師編集著作による禅録中に於いて六租壇経の終わり近い箇所に仏法における弁
証法の萌芽を観た記憶があるが、即ち六租惠能の頌の最終の項に近いことを今日必要あって探したが、見
当らぬので亦折をみて探し当てたいと希うものである。
デカルトの存在もコギト・エルゴ・スムであり考えた存在であり、古代ギリシャ哲学以来の長い歴史に
培われ、近世ヘーゲルや日本に於ける西田、田辺両哲学者の眞剣な弁証法の無も有も眞の仏法による禅に
於いて体得した「悟り」の本体である。禅による眞理なる無、即眞実な「無」とは天と地との開きがあ
る。カントはその論理上正しく無を表白することの困難なことをその著『純粋理性批判』の初頭に於いて
告白しているが、禅に於いては既に達磨を待つ迄もなく「無」の存在を「相」としていわゆる六根に於い
て体得した。ショーパンハウエルが東洋の大乗仏典を密かに引用してみたもののその世界意志は全くの借
りものであり、病的なまでに死を怖れたと云う事実は結論的に観てこの眞理即ち法としての無の相に触れ
得なかった事にあると私は観るのである。
1983年(昭和58年)4月29日
禅者の「悟り」は眞理なる(法)によって無を観ずると同時にこの眞なる無に平等を観る点にある。そ
してその点はあくまで点であって存在を超えた無の主体がそれの平等観なのである。そして現象を差別と
観ることは即ちここで命名する平等の対象として換言すればこの措定した無の対象としての有をすべて現
象として差別と措定する訳である。そうして当然の如くに存在と非存在判じそれに輪廻を指定すると考え
ざるを得ない。亦この点に於いてこそ禅が西欧を故郷とする哲学と一線を画する宗教としてのいわば血液
型の相異が観られる訳である。
1983年(昭和58年)4月12日