なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とSの作品(188)

 今日は、今年のゴールデンウィークの最後の日になります。「父北村雨垂とその作品(188)」を掲

載します。  

              父北村雨垂とその作品(188)
  
  原稿日記「風雪」から(その9)

  芭蕉と禅僧仏頂和尚(根本寺)

 芭蕉は水戸鹿島の根本寺の和尚仏頂から得た六祖五兵衛と云う門人を連れて深川に芭蕉を訪ねた際、六

祖五兵衛が先に立って「如何なるかこれ閑庭草木裏の仏法」と問うた。すると芭蕉が「葉々大抵は大、小

底は小」と答えた。すると仏頂和尚がずっと這入って来て「今日のこと什麽生(そもさん)」と問われたら

芭蕉答えて「雨過ぎて青苔潤おう」というた。和尚また問う「青苔いまだ生ぜず、春雨いまだ来たらざる

ときいかん」その時にちょうど蛙が古池に飛びこんだ。芭蕉翁が悟りの極意を得たのである。それで和尚

が「汝は満ちの極意を得たと云って印可証明を与えた。その時分に杉風(さんぽう)とか嵐雪とか其角とか

云う多くの弟子が翁に向かって蛙飛びこむ水の音でお許しをお受けになったが頭の五文字をつけたらどう

でせうといった。杉風が「宵暗に」嵐雪が「淋しさに」其角が「山吹に」をつけた。各々の力があらわれ

ている。翁は大いに嬉び皆尚豪いがわしはやっぱり「古池に蛙飛びこむ水の音」だといわれた。これが名

高い句であります。(以上は宗演師の言そのままを写した)。

これには専門の現代俳句作家にクレームをつけられるところが在ることであらうが、これは純然たる禅家

の言であって俳句作家ではないし、この著作した時期と現在との歴史的時間差も考慮すべきであらうとも

考えられるし、俳句作家としての個性の差等多々あることであり、唯今は禅家の言を素直に受け入れるべ

きであると考えられる。

                            1983年(昭和58年)11月28日

  
 悟りと云うことはむづかしく論ずることはさておいて、一種の修養から練り出した心の光であると、こ

うみたらよろしいこういう工合に自由になってくれば何事をするにも取りはずしがない。



 禅者の云う平等と差別が世界即ち「無」とか「空」とする名命題の本態であり、それが平等を本質とす

る世界空間でありその空間世界に現象する「もの」が差別であり、この平等と差別が全と個でもある。言

葉を換えて云えば、この全と個は一枚の紙の表と裏の相であり、この裏打ちされた表なる所謂一枚が世界

空間と云う命題が眞理であると観る「覚知」即ち「悟り」の境に於いて観る法であり仏法であり、その相

を仏と命名したものであり、その仏が即ち眞理の相であるところの空間世界であると。それを生きた身体

がこの世界空間に即ち無(若しくは空)に内包された差別相の因子なる現象を把握するノエマであり、そ

してそのノエマこそ世界空間を個即ち差別の相に於いて把握する肉体の堅持しているところのノエマであ

り、その「ノエマ」の反省態がノエシスであると云うことである。而してこの世界空間が創造する時間即

ち過去現在未来の相でもある平等空間即ち空間世界と差別空間即現象が個の空間相を覚知する。換言すれ

ば、職識知即ノエマであって、このノエマと云ひ現象即ち差別相とする「相」そのものが即ち「無」の相

であり「空」の相と云う命題の根基であることは瞭らかである。

 この私の拙劣なる表白が日本の生んだ哲学者西田幾多郎であり、その系統を堅持した田辺元であってそ

の特異なる色彩を持つ弁証法的表現で即ち無の自覚的限定であり絶対無のそれとなったものと考えられる

のでありと、これが私の云う覚知即ち悟りの構造であると、これが私の独善的表白であると私なる無の相

ノエマの自省と云うことになる。
                            1983年(昭和58年)12月2日