なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(107)

           船越通信癸隠娃掘 。横娃隠廓5月5日        

・4月28日の礼拝には3名の出席がありましたが、礼拝後にはお茶を飲む人は数名で、後の方は、船越教会の庭にある一本の佐藤錦のサクランボ狩りを楽しみました。先週の日曜日には、もしかしたらその週の半ばにサクランボが赤くなってしまい、この日曜日までもたないのではと思っていましたが、気温の低い日があったせいか、ちょうど日曜日が絶好の収穫時にぶつかりました。一本の木ですが、鳥が食い散らかす前に、赤くなったサクランボを結構沢山収穫することができました。取れたサクランボをみんなで分け合って持ち帰りました。最後の方が帰ったのは午後3時過ぎでした。連れ合いは先に帰りましたが、私は予定があり、最後の方を送ってから、船越教会を出ました。

・船越教会には、サクランボの他に甘夏の木が庭と崖に2本あります。庭の方はそんなに大きな木ではありませんが、崖の方の木は相当高く、上の方になった果実は、自然に落ちてくるのを待つか、長く伸ばした枝切りばさみを使わないと落とすことが出来ないくらいです。しかも毎年沢山の果実がつきます。見ていると、その木の枝には果実のない時期が一年の中でないくらいに、その年に実のった果実がそれぞれの枝からなくなるころには新しい果実がなっているのです。その木の生命力には感心させられています。サクランボの木の隣には、梅の木があり、春花が咲くときには、二本の木がほとんど同じ時期に花を咲かせます。いつもは梅の方が先に花をつけますが、今年は桜の花の方が早いくらいでした。

・このように船越教会はそれほど広い場所ではありませんが、すぐ先にトンネルがあり、道路はトンネルで繋がっていますが、地形はそのトンネルで行き止まりの感じで、前方トンネルに向かって道路わきの狭い歩道を歩いてきますと、船越教会は道路から右側20数段の外階段を上って、道路からは5,6メートル高台にあります。階段手前はお隣の家二軒が、二階建てで道路から奥に並んで建っていて、その二軒の家の2階部分が、船越教会の敷地に隣接しています。トンネル側と右奥が崖になっていて、右奥の崖の上には家が建っています。トンネル側はずっと崖になっていますが、相当高いところにはやはり家が建っています。そういう地形に教会堂が建っていて、特に二階の牧師館は二面の崖側に窓がありますので、教会前の道路は大型車両が良く通り、その音が聞こえてきますが、ちょっときになることもありますが、自然の中にいるように感じられます。ここで私は原則として毎週木曜日午後から日曜日の教会行事の終わるまでいます。

・30日(火)にはシャワーの会がありましたが、私は4月から毎週火曜日にある所で説教演習を一緒にすることになりましたので、参加できませんでした。週報の報告にありますように、今回はSさんとHさんの他に、いつものKさんと横須賀のパトロールに関わってくださっているお二人が奉仕者に加わって下さいました。いつものコースに加えて、別のコースも回ったようです。

・30日は私の裁判の控訴理由書を裁判所に出す〆切の日でした。4月1日に弁護団会議で話し合い、8日の訴訟対策委員会には弁護団が最初の控訴理由書を用意しました。その時私は弁護士から寿関係の文書類や地域の方の陳述書や私本人の陳述書等を用意するようにと言われ、20日過ぎにそれを用意し弁護士に送りました。訴訟対策委員会後、講師理由書についての訴訟対策委員からの意見が寄せられ、私の用意した文書類も参考にして、弁護士の方で何回も書き換えて、完成したものを30日に弁護士から裁判所に提出しました。6月3日が第一回控訴審ですので、それまでに証拠書類等まだ用意しなければならないものが残ってはいますが、これで一応控訴審を待つことになります。控訴理由書は60頁になる大部なものになりました。弁護団を初め訴訟対策委員の方々、また別に御協力頂いた方もあり、心から感謝しています。

・5月2日の木曜日には、久しぶりに国会前の辺野古新基地反対座り込みに参加しました。連れ合いが3日から始まるリフレッシュ@かながわの準備があるので、国会前の座り込みには私が行くことにしました。月曜日と木曜日の座り込みにずっと参加している3人の方と私と4人で午後1時から4時までの3時間、国会の建物の裏側、参議員会館前の道路で座り込みました。座り込んでいますと、時々関心を持って下さる方もいますが、殆どの方は前を通り過ぎていきます。この座り込みに来ている80歳を過ぎたSさんは、4時に座り込みが終わると、必ずその後経産省前の原発反対座り込みテントに寄って行かれます。辺野古新基地建設反対の座り込みがない日も、毎日経産省前のテントには来ているようです。自宅は国立の方にあり、そこから毎日国会前に来ているのです。毎週金曜日の反原発デモも、最近は大分少なくなっているということでした。

・彼女は長年反原発を中心にさまざまな運動を続けている方ですが、その運動の中で痛切に私たちに足りないものを感じて来たようです。それは、市民意識をちゃんともっておる人が、運動に参加する側の人にも少ないというのです。特に戦後ずっと革新系の政党が背後にある運動では、デモや集会参加が組織動員によるために、参加者一人一人が主体的に問題や課題を担うという意識が希薄で、ただ動員されて出てくるというケースが多かったようです。市民意識とは、封建領主を追い出したブルジョアジーが、その社会をどういう社会にするかということにおいて他人任せにはできなくなって、自分たちが社会形成の主体になって、一人の個人が責任的に社会に関わるようになって人々の中に生まれた意識だと思います。古代ヘブル人の場合には自営農民がその共同体の責任的な構成員だったと言われていますから、宗教性を濃厚にもった古代社会と市民革命が起こってからの近代ヨーロッパの都市とは違いますが、一つの共同社会の構成員という点では、自営農民の立場に近いかも知れません。本来日本国憲法のいう主権在民国民主権はそういうことではないかと思いますが、この市民感覚は実践を通してしか、なかなか育たないものではないかと思いますので、理念だけでは私たちの中になかなか肉体化しないのでしょう。金曜日の反原発デモは組織参加よりも個人参加が多いと言われます。私たちの社会が市民社会として成熟するのは、これからなのかも知れません。