なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(175)

 今日は、「父北村雨垂とその作品(175)」を掲載します。

               北村雨垂とその作品(175)
  
  原稿日記「四季・第一號」から(その13)

 禅者の云う無は吾人にとっては「実在する無」であると考えられる。

 禅者の「悟り」と同時に把え得た「無」とは決して哲学者の考えた絶対純粋な「無」ではなく、そうし

た点である意味に於いては常識に近い「汚れた無」であり、霞のかかった空(くう)であり、そうした形容

を以って非難されるであらうが、いわゆる実存的修行に深く関係を持つ禅者の身心一如とでも云うべき行

状の体得した眞理である。眞理と云う外に形容の仕方のない無相が実在することを把え得た事を改めてこ

こに記録することの出来ることを自ら光栄とするものである。前頁に洞山の示教にふれて洞山の見解を深

く考肯したが、臨済録に於ける示衆に於いて至るところに禅者の感得した「無」相を巧妙な形容によって

表現していることに注目せねばならぬであらう。

                          1983年(昭和58年)6月17日


 私が禅学についてしばしば用語とする「眞理について」或は「眞理なるところの無、或は空」などと云

っている眞理はここでは仏経、特に禅についての言であって哲学者或は一般思想家の云う眞理とはいささ

か異なる意味を含ませて在るので誤解を避ける意味でここに禅学に於ける眞理がどう云う意味を持って居

るかを記しておき度い。


 「無」と「空」の実相

 禅者が「悟り」と同時に把え得た「眞理となる無」は決して哲学者の「考えられた無」では無く、そう

した点で或る意味に於いては禅者の観た「無」或は「空」は共に汚れた無であり空である。と形容したな

らば或は理解できる人があるであらう。それが達磨以来の無であり、竜樹以来の空であり、眞理として実

在する無であり空であると私には考えられる。否私の意識は全くその通りに応えて呉れる。斯うして得た

無或は空の世界こそ安住の世界であり、生死を超えた生き物の考えである行を絶対視する修行であると私

は理会する。
                            1983年(昭和58年)6月18日


 砂浜の砂が 臍と夏に干され     1983年(昭和58年)6月28日

 頭蓋骨(むなしさ)の私(なんじ)に 莞爾たれと責むも   1983年(昭和58年)7月2日

 無惨や時計 汝は人(おに)を置き去りぬ   1983年(昭和58年)8月29日


 禅に於いては存在は即ち現象であり、現象は一つの過程であり、絶対存在とは無縁なものでいわば現象

αは現象βにつながる過程的存在であることは吾々の眼、耳、鼻香、香觸觸によっても手軽に観ぜられる

私の命題とする「眞理としての無、或は空」はその「実態」である「無或は空」が無相の相である、これ

が禅の究極に於いて指摘する法であり、相として把える法身であって古来多くの有力禅者常に口を突いて

出す法身が斯うした「無、空」の眞なる相であることは云う迄もないことであると同時に「悟り」がこの

無相の相が真剣に修行を続ける禅者を手招きしているのである。

                          1983年(稱亜58年)6月28日


 哲学特に西欧哲学は常に世界を対象として考えられた有(即ち存在)であり、非有(即ち無)である

ことは、デカルトのコギト・エルゴ・スムによって明らかであり、カントの純粋理性批判によって亦その

他の哲学者殆んどがこの境域を出ていない。唯ニーチェの狂気に近い感触による世界観は別としても、そ

の多くは殆んど考えられた世界観であり、考えられた存在であったと私は観ざるを得ない。


東洋における禅者はその点に於いて西欧哲学とは明らかに異なる所がある。それは「考える」意識の働き

ではなく、触れた意識による即ち触れた場の意識による反応の世界を感応する。それによって把えた「世

界」であり、この感応の世界から観た世界であって、決して考えられた世界ではないことは明らかであ

る。而しそれだからと云って、私は西欧的哲学を悉く否定しようとするものではない。それは元文学を始

め、数学科学等々貴重な遺産をこの世界に残たこと、今後も無限に開発するであらう功績は絶対に否定し

得るものではないからである。私の想うところは「いずれ」は東西両思潮も一本の線に会合することの有

るであらうことを感触する者である。
                         1983年(昭和58年)7月5日

 註:本稿は直接に記した事であり、無原稿である。 雨