昨日は午後6時から神奈川教区の常置委員会があり、私も出席しましたが、咽喉の腫れと時々咳が止ま
らない状態でしたので、まだ会議の途中でしたが、8時前に失礼して、鶴巻に引き上げました。4月の末あ
たりから咽喉に違和感を感じ始めていましたが、比較的寒暖の差が激しい日が続いて、2年振りの風邪を
引いたようです。今日は医者に行って、薬をもらい静かにしていますが、夕方横浜に出なければならない
用事があります。
さて今日は「父北村雨垂とその作品(189)」を掲載します。
父北村雨垂とその作品(189)
原稿日記「風雪」から(その10)
今日一般哲学者等の云う「無」は「有」と共に彼等によって考えられた「非存在」であり「存在」であ
ることはデカルトの「我考う故に我在り」の如く、考えた存在であり同時に「考えられた非存在」であ
り、それを換言すれば彼等の「無」「有」は彼等の創作であると云うも過言では無いことは、無とか純粋
無とか或は絶対無の如きは殊に瞭らかに創作された無であり、それに対応された「有」も亦その軌を一つ
にするものである。ここに於いて彼等の抱いて離すことの出来ぬ「不安」(その代表的な哲学者としてシ
ョーペンハウエルがある)はこれを創作した彼等の当然の帰結と見ることも必ずしも不当と云う訳にはゆ
かない筈であると考えられる。
1983年(昭和58年)12月26日
いわゆる西欧哲学者の「無」は学的に考えられたところの非存在であって、仏法殊に禅に於いて命名し
たところの無とは根本的な「開き」があることは、禅家の「無」観によって分明である。いまひとつ追加
して云えば、禅家の観た「無」「無心の無とは別に」眞実に観たこの世界現実の世界現象に於ける空間で
あり同時に時間である。これは同時吾々の「境」となっている理現有世界に於ける世界空間とでも云うべ
き観られ、触れることによって把え得た「無」であり「空」なのである。二度三度繰り返す様に考えられ
るがこの私の眞意は是非理会してもらいたいからである。
1983年(昭和58年)12月28日
(中略)本からの引用とも思われる文章が続いている。
弁証の非情と観たか 猫背の汝(きみ) 1984年(昭和59年)1月21日
黄金の烏(からす)を 愚かしき夢を 同
悲劇の英雄と 愚かしき元首相 同
禅語録を書いた聖山師は仏教に於ける「眞理」に就いて眞理が言葉による表現を超えるという思想は、
インド仏教本来のものだが、中国の仏教は老荘系の同じ思想と合して、この傾向を一層強めた。禅がその
代表である禅録p.38に挙げた一切の経綸は心の後始末とする立場がこれである。有名な大乗起論のごとき
も眞なるこころを二つに分けて説き、言語表現を越えたところ(離言)とそのことを言葉によって説く立
場(依言)とを鋭く区別し、言葉によって言葉を断つことを追求する。この作品を(無心論)もまた同じ
方法によりながら、かえって、それ故に人間の言葉による道の論議の有効性を認めようとしている様であ
る。人が道を弘めるのであって、「道が人を引めると云うと云うのでは無い」と、中国的発想がここでは
強い。
1985年(昭和59年)1月3日