なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(190)

 今日は「父北村雨垂とその作品(190)」を掲載します。             

               父北村雨垂とその作品(190)
  
  原稿日記「風雪」から(その11)

 禅語録(p.300)に於いて洞山は未だ無情説法を体得できず、又た雲厳に重ねて前旨を問うが「水上座

よ、この大事をものにするには、どこまでも慎重でなくてはならん」洞山には尚ためらいがあった。その

のち或るとき川を渉って水に映る姿を発見して完全に前の言葉の意味に気づくとあるが、この件について

は先きに解釈した事の様に覚えている。無生物的世界に於ける響きに無情説法を体得した一齣である。


 禅語録の中で余談として(p.301)、《先師の肖像を画けるか》は師の法をつぐこと当時印可の証とし

て師の肖像を画くことを許された。原文「眞」とは肖像のこと「写眞」とも云う。「伝灯録」六に盤山宝

積が入滅に当たって誰か俺の眞を画ける奴が居るかと云うと、弟子たちがみな紙に絵を画いて差し出すう

ちに普化ひとりが師の前に手ぶらで進みでて、トンボ返りを打ってさっと出てゆくのを正しく眞を画くも

のとして許したと云っている(p.308上段の8)。ここに普化の人柄と悟入の端緒とが隅々右の機縁として

合成されたことに気づく人もあらうと想う。


 禅における「平等」は即ち『全』であり、現象世界的世界であり、亦即ち『一』であり『眞理』の世界

であり平等の世界である。ここに西田幾多郎を始めとする田辺元その他のいわゆる京都学派の弁証法即ち

絶対無の弁証法が提唱されたものと私は観ている。ここに現象的世界現象と指向する禅者と[或は仏法に

於ける世界]を含めたそれとの西欧的哲学の対象的な最も極端なる対象的な世界が構想されたものと私は

観ているのである。臨済義玄の度々に及ぶ三身仏、無依の道人、亦洞山良介の『麻三斤』等は最も適切に

この現象世界的世界なる眞理の本態を表徴したものとして私は受けとっている。

                              1984年(昭和59年)1月27日

 
 木田元著『現象学』(岩波新書763)に於いて(p.38g.9)ヴィッセンシャフトとそれに続く哲学者と共

に(日本の哲学者をも含めて理念が総じて東洋に於ける禅者の禅学に於ける理念とに重大なる差の有るこ

と、而かもそれがしばしば行間にも感ずることがあり、フッサール現象学も禅者からみて、その究極に

右の様な迷路に突入する結果と考えるであらうし、以下ハイディッガーの初の際どい場にまで入りながら

迷路に踏み込み、こうしてライプニッツモナド論の偶然の現象ではあったとしても東洋思想殊に仏法の

眞理観〔雨垂が指摘する〕に危うくも接触したかの感が私に在る。亦米国から突然変異の様に出現した

プラグマティズム」にも運命のような不可思議な意識が私をして動揺せしめることを告白しておく。

                              1984年(昭和59年)1月28日
                              (雨垂誕生日)


 尚同書に於いて(p.47-p.49)著者はメルロポンティがフッサールの超越論的純粋意識について素晴ら

しい理会(同書現象論p.47の4g)でこの解説によって、現象を続けてゆく現実世界をこの純粋意識を ―

私はこの意識をノエマと考えていることは依然として変わりはない― ノエシスの形態で把握したとすれ

ば私の曰う禅者が歴代に於いて把握し続けた「純粋意識」に接触したことを、ここに於いて初めて識るこ

とができたし、それほどではくとも、その可能性は充分に感得できるのである。

                             1984年(昭和59年)1月28日
                             (雨垂誕生日に当たりこれを記す)