なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(174)

 今日は「父北村雨垂とその作品(174)」を掲載します。

               父北村雨垂とその作品(174)
  
  原稿日記「四季・第一號」から(その12)

 禅者の悟りなる構造を究むるに当たり、私は当然のことながら東洋特に日本に於ける武士道、西欧にお

ける騎士道にも触れなければならぬと考える。特に武士道に深い関心を持つものであるが、すでに私の身

体が此岸から彼岸に近づきつつあることの自覚がそれを拒否する様相が私に観えて来たことを記しておき

たい。
                      1983年(昭和58年)5月22日


 陶然と居士蟷螂や消ゆる前         1983年(昭和58年)5月22日


 昭和十年以前であったか二十年以後であったが戦災のため失った書籍の中に古加虎賀寿著書の中で、彼

が実存思想家ニーチェを[その著ツァラストラからであると考えたが]同著を通じてニーチェの体臭を嗅ぎ

だした特異な筆致で同情その他を虎賀寿自身の体臭を抱き合せて発表したものに異常な程の興趣を覚え熱

愛したことの喜びを昭和58年の現在に至っても尚稀稀釈されることもなく私の肉体を温めている。ただ

終戦後改めて同氏の著として出版されたツァラストラを読んで昔の彼獨特の何ものも触れ得なかったこ

とが今の記憶に残っている。

 註:戦後の著書には土居と姓が変わって居たのでその点に彼の思想の変化も考えられるが私にとっては

惜しまれる心境がはるかに強い。

                       1983年(昭和58年)5月28日


 私が禅者の「悟り」の構造について言表した「無」という眞理即ち眞理である「無」の本体と云うの

は、論理によって結論ずけた無などと異なり禅者の修行による而も限りない行によって体得したところの

無であり、眼や耳、舌とか香、触と同様に近い或は無縁でないところの所以る体験を通して得たところの

「無」であることを付言しておきたい。

                        1983年(昭和58年)5月23日


 沖で みえるか 月見草だよ おと父つあん     1983年(昭和58年)5月24日

 
 七色を 雨に咲かせて 陽は丘に          1983年(昭和58年)6月8日



 十字架のキリストには確かに臍があった。
 
 人間マリヤの腹から生れたからであろう。
 
 ストローからとび出たシャボン玉は

 それぞれに虹と臍とを互いに重点を

 見せたり隠したりした。

 無心の小児達から吹き上げられたからであらう。

 神と共に在ったコトバには臍は無かっただらうか

 コドバは神と同様に臍を必要とはしなかったから

 だが永遠に神もコトバもその解決をしようとはしなかったであらうから

                         1983年(昭和58年)5月28日

 「真理は一如なり」「南泉語要」にある言葉(禅語録:テキストp.384の上段の終行)にある。これこ

そ私の云う眞理とするところの「無」乃至「空」に相当する言で、これが身心一如であり、個・全の一如

と識る個そのもの身心が体得した全即無であり空であると禅者の悟りの結論である。

                         1983年(昭和58年)6月19日


 追記:「南泉語要」には「眞理は一如なり潜行蜜用して人の覚知すること無きを呼んで無惨智と為す」

迄禅語録には抽かれてある。
                        1980年(昭和55年)6月16日(?)