なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(85)

         船越通信(85)   2012年12月2日     

・11月25日の礼拝後には、12月2日の日曜日がアドベント第一主日になりますので、クリスマスの準備をみんなでしました。船越教会ではアドベントになりますと、講壇前にテーブルが置かれ、その上にアドベント・クランツに代わる、古木を組み合わせ、そこに柊、ポインセチア(小さな造花)、松ぼっくり、杉の木の葉(?)石ころを組み合わせて形を整え、四角い四本のローソクが置かれます。来週の日曜日から一本、二本と灯されていきます。その他に会堂講壇から右手に、飾られたクリスマスツリーが置かれます。今年は、道路から教会の25段の階段を上る所のコンクリート壁に、夜点滅する光の十字架のツリーを作りました。この制作には、いつも教会の庭を手入れして下さっているMさんが力を貸してくださいました。階段を上り切った所に設置されている外灯から電源を引いて、スイッチを入れると、夜だけ点滅するようにしてくださいました。29日の木曜日に寿地区活動委員会に出て、私が夜9時半ごろ船越教会に帰ってきましたら、光の点滅がはじまっていました。30日の午前中に、近くのコンビニでコピーをしに教会の外階段をおりたときには、光の点滅は消えていましたので、Mさんが仕事の行き帰りにスイッチを入れたり切ったりして下さっているのでしょう。ご協力を感謝。

・25日の日曜日は、教区の今年度第3回オリエンテーションが教区事務所で行われ、私はオリエンテーション委員会の委員長として出席しました。今回のテーマは「万博問題と教会の宣教論」でした。講師は岩井健作牧師にお願いしました。委員を入れて十数名の参加者で、何時もより参加者は少な目でしたが、岩井牧師がご自分が教団の牧師の一人として歩んできた自分史と60年代から70年の大阪万博にかけての教団の歴史を重ねて話してくださいましたので、講演は非常に説得力がありました。実は最近教団では宣教基礎理論の改訂作業を始めており、その試案なるものが宣教研究所から出ています。教団の諸委員会に配布されたり、各教区に配布されたりして、この試案への意見聴取が行われています。60年代に教団では、教会の体質改善と伝道圏伝道を柱にして宣教基礎理論が作られました。この宣教基礎理論には縦の線(神との関係)が弱いということで、戦責告白以来の「荒野の40年」(山北宣久元教団議長)の歴史を否定的に評価し、その間伝道の衰退を招いたという理由で、今回の宣教基礎理論の改訂が行われようとしているのです。この新しい宣教基礎理論試案における一番大きな問題は、私にはこの宣教基礎理論試案には自己相対化の視点がなく、むしろ自己絶対化への傾斜が大きく、これをもって教団の諸教会を統制しようとする教団執行部の意図が見え見えです。この宣教基礎理論試案によてっは、論争による創造性の喚起は期待できないと思われます。岩井牧師が、この宣教基礎理論試案による教会形成もあるだろうが、それは状況捨象による教会の自己増殖を目的としたもので、「世のための教会」とか「世に仕える教会」という歴史の中での教会の在り様を求める方向とは相容れないものではないかと、おっしゃっていましたが、その通りだと思います。私は戒規免職問題でクリスチャン新聞の編集者にもお世話になりましたので、それ以後クリスチャン新聞を取って時々読んでいますが、この新聞の基盤になっている日本の保守的な教会の中にも、社会の問題を宣教の課題としてとらえる神学思想やその実践が試みられていて、それが教会全体から排他的に扱われているという感じはしません。教団は全体としては、今も戦責告白以後の40年を教団創立における国家への迎合を批判的に乗り越える教会の営みの一環として、批判的にではありますが積極的に評価している教会も信徒教職も多くいると思われますので、私は教団に絶望しているわけではありません。現在の教団の執行部が余りにも一方的で、議論にならない現実にしばしば出会って辟易としていますが、自分のやるべきことはやりながら、忍耐する以外にはないのではと思っています。

・27日(火)にはシャワーの会(横須賀の路上生活者のパトロール)参加のため、朝7時少し前に小田急鶴巻温泉駅で電車に乗り、相鉄、京急と乗り換えて京急久里浜駅に9時少し前に到着。駅前でSさんが運転する車を待ちました。9時15分過ぎにKさんが同乗する車に乗り、12時30分頃までパトロールをしました。久里浜近辺の公園、観音埼灯台、海沿いの公園、横須賀中央の街中、図書館近辺、横々高速道路下を見回って、7名の当事者に出会い、Hさんが作って下さったおにぎりを渡したり、必要な方には衣類なども配りました。中にはおにぎりはいらないと言う方もいました。パトロールを終えて、私は京急逸見駅で降ろしてもらい、その日は鶴巻に帰りました。

・29日(木)には昼ごろ鶴巻を出て、午後3時船越教会に着きました。この日は午後6時半から寿の地区センターで寿地区活動委員会がありましたので出席しました。
毎年11月の末か12月初めには寿で青年ゼミが行われます。この時期に青年ゼミを設定していますのは、年末年始の越冬活動へのガイダンスという意味もあるからです。しかし、今年は青年・学生の応募が少ないということでした。もしかしたら、東日本の被災地もあり、寄せ場である寿が今の日本社会の貧困問題に出会う場としての希少性が減っているのかも知れません。日本社会の寿化が少しずつ進んでいて、日本社会のさまざまな場所に貧困問題が現れており、そこで活動するグループも生まれていて、貧困問題の多様化が進んでいるということでしょうか。激変する社会を見据えて、ルーティン的に活動するのではなく、一つ一つ見直しながら、今何が必要なのかを考えながら取り組んでいかなければならないことを、改めて考えさせられました。