なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

現場から「伝道」を考える

以下は以前農伝の紀要に掲載したものです。兵庫教区教師部主催研修会の講師として招かれた時に話したものです。三・一教会での説教をこのブログに掲載したときに、いくつかコメントを記しましたが、それをしるしていた時に、この<現場から「伝道」を考える>も、このブログで掲載することにしたらと思いました。もし読んでくださり、共感していただけたら、教会の宣教に関心のあるお知り合いの教職・信徒の方に拡散していただけらた幸いです。教団政治の変革を求めるとともに、それぞれが<現場から「伝道」を考え>、それを持ち寄って話し合い、それぞれの実践を深めていく必要があるのではないでしょうか。

 

<現場から「伝道」を考える>

「宣教の現場である3つの教会での働きを通して~課題・「未受洗者配餐」・展望~」                                                                                                                      北村慈郎

 

(注記)

ちょうど一年程前に農伝高柳富夫校長から、私は農伝の説教演習の非常勤講師を依頼されました。私自身40年以上現場の牧師として説教に携わってきた者ですので、他に人がいなければ引き受けざるを得ないと思いお引き受けしました。すると今度は、2014年度の農伝の紀要に宣教論について何か書いて欲しいという依頼を受けました。これも長年宣教に携わってきた者として、断る理由がなかったのでお引き受けしました。私は、2009年当時日本基督教団から教師退任勧告を受けていましたが、新教出版社の小林望さんに勧められて、それまで牧会の責任を持った2,3の教会で話したり、書いたものをまとめて『自立と共生の場としての教会』という本を出しました。この本は教会の働きのジャンルで言えば、宣教論に入ると思われます。そのこともあり、高柳校長は私に宣教論について書いて欲しいと頼んできたのではないかと思います。

そこで、2013年10月27日(日)~28日(月)に開催された兵庫教区教師部主催研修会(テーマ「現場から『伝道』を考える」)に私が講師として招かれ、そこで話したものを、多少手を加えましたが、ほぼそのままこの紀要に掲載させてもらいます。

 

目次

  • はじめに(自己紹介)
  • 課題
  • 兵庫教区教師部委員長からの私への依頼

(4)「現場」ということ

(5)「未受洗者配餐」

  • 教会とは何か(伝道牧会の展望をどのように考えているか)
  • 船越教会で
  • 展望についての断片的な思い付き

(9)おわりに

 

資料

  • 「戦責告白」40周年を覚える神奈川教区集会「報告集」(2008年2月集会実行委員会発行)
  • 聖餐についての個人的体験と一教会の試み(「福音と世界」2006年1月号掲載)
  • 紅葉坂教会だより、1995年4月号、6月号(『自立と共生の場としての教会』(2009年、新教出版社発行)14-19頁参照)
  • 『自立と共生の場としての教会』94~p.103
  • 紅葉坂教会「聖餐に関する資料」目次
  • 「炊き出し」と「聖餐式」に通底するもの(「福音と世界」2011年6月号掲載)
  • 船越教会礼拝式文
  • 「宣教基礎理論改訂第一次草案」「同第二次草案」
  • 「宣教基礎理論」(1963年版)(『新しい教会づくり~「教団宣教基礎理論」の解説』1964年、教団出版局発行)
  • 清水博『場の思想』(2003年、東京大学出版会発行)178-p.179

 

  • はじめに(自己紹介)

今紹介して頂いた北村です。実は、今まで牧師になってから44年間で、私が働いてきたのは、3つの教会ではなく、今の船越教会を入れますと、4つの教会になります。その経験を通して、この研修会のテーマであります〈現場から「伝道」を考える〉についての、私なりの応答をさせていただきたいと思います。

 

  • 課題

まず、宣教の課題は何かについて、私自身の考えていることをお話しさせてもらいます。紅葉坂教会時代に、若い伝道師に「あなたは教会で何をしたいのか」という質問を向けたことがあります。この問いに対して、中にはきょとんとしている伝道師もいました。教会の教職として教会での仕事・働きは自明のことであって、自分が教会で何をしたいかということを、改めて考えたことがないということなのかも知れません。

私が、「あなたは教会で何をしたいのか」という問いを問うのは、宣教(伝道)とか、福音とか、教会とは何かとか、そういう教会の宣教にとって基本的な問題が、必ずしも自明な事柄ではないと思うからです。そういう本質的な問いを避けて、伝統的な宣教(伝道)観、伝統的な福音理解や教会理解によって教会での働きに専心することが、結果的にイエスにおいて明らかになった福音の内容とは異なるということが起り得ると思うからです。

端的に日本基督教団の成立と戦時下の日本基督教団の教会の歴史を振り返るときに、戦時下の教会がイエスの福音にふさわしいものであったとは思えません。本日の資料1の神奈川教区で行いました戦責告白40周年の集会の報告集の中に、私の友人である現在神奈川教区の茅ヶ崎教会牧師をしています櫻井重宣さんが、戦時下に教団から各教会に出された資料や各個教会の教会史に基づいて発題をしてくれたものが、まとめられています(報告集11頁から15頁。資料は29頁48頁まで)。詳しくは、そこをお読みいただくとして、要するに戦時下の教会と戦後の教会の歴史を見る時、「戦前からの天皇制の枠の中での教会の歩みが明確に断ち切られるために」、1967年3月26日付で発表された日本基督教団の戦争責任告白がどうしても必要だった、と櫻井重宣さんは彼の発題で結論付けています。このことの認識が共有できるかどうかが問題だと思います。

現在の教団の大勢、現教団執行部を中心とし、それを支持する教会、信徒・教職は、「戦責告白」以降の40年を「荒野の40年」(前教団議長山北宣久)として否定的にとらえています。当然戦責告白を踏まえて教会の宣教(伝道)を考えるという視点はありません。

最近「日本基督教団伝道推進室News№1」というパンフレットが教会に送られてきました。そこには《伝道推進室基本方針》として、このように記されています。

 

日本基督教団は、聖なる公同の教会に連なる福音主義合同教会である。本教団は、簡易信条と公会主義の伝統を継承し、十字架と復活の主のご委託に応えて、日本伝道の幻に仕える。伝道推進室は、伝道委員会のもとに設置された機関であり、『日本基督教団信仰告白』と『日本基督教団教憲教規』に基づく信仰の一致をもって、さらには将来の『伝道局』構想を視野に入れつつ、教団全体における伝道の実践と研究に取り組み、教団内諸教会、諸団体における伝道の推進に仕えるために活動する」。

 

この《伝道推進室基本方針》には、戦責告白については、一切触れられていません。戦時下の教会の罪責については一切問題にしないまま、戦時下の教団の教義の大要の焼き直しと言われています「日本基督教団信仰告白」(アレテイア1995年11月号、土肥昭夫「日本基督教団信仰告白の成立について」参照)と「教憲教規」に基づく信仰からは、戦前からの天皇制の枠の中での教会の歩みを明確に断ち切ることはできないと思います。

先程の『報告集』の中に、岩井健作さんの発題が載っています(17頁左段上から7行目以下)。岩井健作さんは、「当時30歳代で、『どうしても戦争の責任を教団が公にしていかないと、私は日本基督教団という教会で宣教・伝道に携わるということは、本当にできん!』という思いに駆られたのです」と述べています。このような岩井健作さんの思いを共有する立場の人たちは、私自身もその中の一人ですが、歴史社会の中での教会の主体性を問題にしているのだと思います。「イエスの福音」は、歴史社会の中に生きる私たちに対する挑戦であって、その社会の枠組みの中で、私たちが安穏として生きることができる単なる宗教的慰安とは違います。その意味で、キリスト教信仰はイデオロギーではありません。

教団成立と戦時下の教会の問題と、70年代に起きた万博・東神大機動隊導入問題はじめ教師検定問題、合同のとらええなおしと実質化等の問題は、同じ質の問題として私は考えています。一言でいえば、イデオロギー化されたキリスト教をどう批判的に乗り越えるかという問題であり、課題だと私は思っております。従いまして、私の宣教の課題と言えば、キリスト教イデオロギー批判ということになるかと思っています。そのことを前提にして、お話しさせていただきたいと思います。

 

  • 兵庫教区教師部委員長からの私への依頼

委員長からの依頼は以下の通りです。

洗礼を受けていない人にも希望すれば配餐する聖餐式(以下「未受洗者配餐」)に至るまでに〈伝道牧会の場でどのような経験を〉してきたか。そして、〈「未受洗者配餐」を決断してきたか〉。その上で、〈伝道牧会の展望をどのように捉えておられるのか〉ということです。

 

  • 「現場」ということ

そのことをお話しする前に、今回のテーマは「現場から『伝道』を考える」でありますが、この「現場から」をどう理解するかということについて触れておきたいと思います。二つの理解が可能ではないかと思います。一つは、現場とは、社会の現実そのものという理解です。たとえば、神奈川教区では、宣教の現場の一つとして寄せ場寿に、1983から人を送り、1987年からは寿地区センターを設置しています。その寿地区センターを支える教区の特設委員会が寿地区活動委員会で、私はその委員会の委員長を10年しています。教区が寿町を宣教の現場としてとらえたとき、そこでどのようなことを考えたかと言いますと、日本社会の矛盾の集中している寿から、教会が問いかけを受けて、それに応えていくという風に理解しました。ですから、寿地区センターの目的の一つには、寿でのさまざまな運動に関わる中で明らかになった課題や問いを、神奈川教区の諸教会に向けて発信していくということがあります。ちなみに神奈川教区では、寿の他に、川崎を中心とした在日の課題と、横須賀、厚木・座間・相模原の米軍基地をかかえていますので、米軍基地・自衛隊問題を宣教の現場の問題としてとらえています。そのことは、例えば神奈川教区では新任教師、按手・准允志願者、教師検定試験受験者を対象にしてオリエンテーションを年4回持っていますが、そのオリエンテーションでは上記の三つの宣教の現場について、3年に一回ずつ扱ってきています。現場研修ですから、寿や川崎(川崎戸手教会)、横須賀や厚木で研修を行っています。

そのような「現場から」とは、様々な社会的な問題や課題に対して、教会はどう応えられるかということになると思います。

もう一つ「現場から」という場合、それぞれが属する「教会」を現場と考えることができます。「未受洗者配餐」などの問題は、教会という現場での問題です。

今日の研修会の「現場から『伝道』を考える」というのは、社会の現実からと、それぞれの属する教会から、ということが二重にかさなって考えられているものと、私は理解して参りました。兵庫教区は特にそのことを1995年の兵庫南部大震災を経験していますので、私などよりはるかに強く且つ深く理解されているものと思います。〈地域の再生なくして、教会の復興もあり得ない〉というキャッチコピーの中に、見事に教会の宣教とは何かという本質的なことが明らかになっていると思われます。

そういう観点から、「未受洗者への配餐」に至る問題を中心にお話しさせていただきます。

 

  • 「未受洗者配餐」

先ず「聖餐」に関する私自身の体験は、2006年1月号の「福音と世界」に書いたものがありますので、それをご覧ください。神学校を出て、最初に赴任した足立梅田教会でも、名古屋の御器所教会でも、聖餐については潜在的には問題がありましたが、教会の中では殆ど表面化していませんでした。1995年4月に紅葉坂教会に来るまでは、伝統的な形で洗礼者に限られた聖餐式をしてきました。そもそも聖餐式に関しては、余り強い関心を持ってはいませんでした。聖書解釈に基づく言葉による説教中心に、礼拝も、牧師の働きも考えて来たからです。

1960年代後半からリタージカル・ムーブメントが世界的に広がってきて、日本の教会の中でも説教と共に聖餐についての関心が呼び起こされました。中にはその頃から説教と聖餐は一体化したものであり、切り離せないと、毎日曜日毎に聖餐式を執行する教会が現れるようになりました。

私は、1995年4月に紅葉坂教会の牧師として働くようになりました。実は紅葉坂教会は、私が高3の時、1959年11月にはじめて礼拝に出席し、その年の12月のクリスマスに洗礼を受けて以来、青年時代を過ごしてきた教会で、いわゆる私にとっては母教会に当ります。1968年4月から1974年3月までは、最初の任地である足立梅田教会に在籍していましたが、1974年4月から1977年3月までは、担任教師(伝道師)として紅葉坂教会で働いていました。その後名古屋の御器所教会で18年働き、1995年4月からは、今度は紅葉坂教会の主任として働くようになった次第です。

ですから、1995年4月に紅葉坂教会に着任した時には、それまでの紅葉坂教会の歴史について、私自身大体は把握していました。聖餐の問題が、以前から紅葉坂教会に内在していたことも、ある程度知っていました。紅葉坂教会の中で実質的に「未受洗者配餐」が行われるようになったのは、1980年代後半からではないかと思われます。これは、当時の牧師岸本羊一さんの独断で行われるようになりました。紅葉坂教会は会衆派の教会ですが、信徒の大半は牧師を立てて、牧師のやり易いように教会形成をしていくという牧師主導の教会として歩んできました。よほどのことが無い限り、牧師のやることに文句をいう事はありませんでした。陰では牧師批判もありましたが、それが表面化することはほとんどないという教会でした。そういう意味では、会衆派の教会が持つ直接民主制、牧師も信徒もみんなで教会形成をしていくという面は、理念としてはあっても、実態は牧師主導になっていました。

岸本羊一牧師が、突然聖餐式の執行の中で、それまでは「洗礼を受けていない方は、どこの教会に属していても聖餐に与ることが出来ます。しかし、洗礼を受けていない方は、しばらくお待ちください」と言っていたのを言わなくなったのです。1990年の頃の役員会で、そのことが問題になって、一役員から質問が出ていますが、岸本羊一牧師は、それに対して、「この聖餐の問題は、難しい問題なので、役員会を中心にこれから学んでいきましょう」と答えています。しかし実際には、その後役員会で聖餐について話し合われることなく、1991年8月に岸本羊一牧師は帰天してしまいます。

その後、3年間若い牧師が2人(1年間と2年間)紅葉坂教会で働いていますが、後の人の時に、礼拝の中で行われた聖餐式で、中高生の出席者が陪餐したのを近くで見ていた年配の女性信徒が、「この聖餐式は、洗礼を受けた人が与るもので、洗礼を受けていないと与ることはできないのよ」と、その中高生に注意したということが起りました。そういう問題を抱えていた時に、私が紅葉坂教会の牧師に着任しました。役員会から、先ず私自身の宣教方針について問われました。同時に、聖餐について、今の状況では、中高生の問題はまたいつでも起こり得るので、何とか道をつけて欲しいという要望を受けました。

先ず、宣教方針について取り上げました。「自立と共生の場として教会」という、御器所教会時代に仲間と考えてきた宣教の在り方について、何回かに分けて話し、問題提起し(資料3)、それが受けいれられて、毎年役員会と牧師提案として、教会総会で、何年度の「牧会方針と教会行事予定の承認の件」を諮るようにして、教会の方向性を明らかにするようにしました(資料4)。

その後で、聖餐の問題を取り上げました。約3年間、集中的に相当の議論を積み重ねました(資料5)。その結果、1999年3月の教会総会で、教会規則第8条削除を決め、そのことをもって、聖餐は希望する者には誰でも与れるようしました。式文の内容については、役員会で牧師の裁量ということにしました。その後の聖餐式では、基本的に「福音と世界」(2011年6月号)に書いてあるような招きの言葉を語って、聖餐式を執行してきました。

ちなみに現在私が牧師として働いています船越教会では、礼拝式文というものが1970年代から作られていて、何度か改訂されて、現在でも用いられています(資料7)。聖餐式に関する船越教会の実践は、1987年教団出版局発行の、宣教研究所がまとめた『聖餐』の中にも、事例の一つをして出てきます。いわゆる「未受洗者配餐」は、既に自覚的に70年頃からはじめていた教会があったわけで、私が最初ではありません。

教会規則8条削除は、教会規則変更申請という形で、教区常置委員会を通して教団の同意を求めました。教区常置委員会は、紅葉坂教会の申請に困惑し、内容に同意するわけではないが、規則変更なので、教団に判断を委ねるという形で常置委員会では承認して、教団に上げました。教団は、教区が内容はともかくという形で紅葉坂教会の規則変更申請を教団に上げてきたことがおかしいので、ひとまず教区に戻すという処置をしました。教区は教団から戻されたというので、そのまま紅葉坂教会に戻してきました。

教区では、その後教区議長が教区の宣教委員会に聖餐についての諮問を出しました。宣教委員会は、「未受洗者配餐」を行っている紅葉坂教会となか伝道所の二つに聞き取り調査を行なった上で、①未受洗者及び「幼児受洗者」の陪餐を、現在実施している教会については、その決定に至る経緯を考慮しつつ、各教会の宣教的、教会形成的取組みを尊重する。②聖餐に関する神学的、歴史的研究を、教区の取組むべき課題として位置付け、実践的検証を踏まえた議論がなされる場を早急に設置し、各個教会の形成に資する情報を提供する、という答申を出しました。

紅葉坂教会役員会としては、その時の教団執行部の姿勢からして、紅葉坂教会としては教会総会で変更した規則で今後運営していくことと、教会からは強いて教団に問いかけはしていかない。教団側からのアクションがあった場合には、それにきちっと対応する。教団成立と戦争責任の問題があるので、教会からは日本基督教団から独立して単立教会になる選択はしない。教団との折衝の中で、そういう選択をせざるを得ないこともあるかもしれないが、その場合でも教会から教団を出るのではなく、教団から排除された場合、そうせざるを得なくなるかもしれない、という話をしていました。

その後、私の退任勧告、戒規免職問題が起こるまでは、一切教団からは何もアクションはありませんでした。私の問題が起ってから、紅葉坂教会の教会規則は変更を認めていないので、まだ8条はそのまま生きていて、北村は教会規則上も違反しているという主張を教団側はしてききました。

では、何故私が「未受洗者配餐」への道を紅葉坂教会においてつけるために、膨大な時間を使って取り組んだのかについて、お話をしたいと思います。①既に紅葉坂教会では実質的に「未受洗者配餐」が行われていること。②最初期の教会では、愛餐と聖餐は一体化していて、聖餐はイエスを中心とした交わりの中で行われていること。従って、その交わりを礼拝共同体として考えれば、礼拝に集う者はだれにでも聖餐は開かれていると考えたこと。③教団の歴史においては、古くは礼拝に来る者を分け隔てできないという考えから、70年代前後からは、聖書学や宣教学の知見を得て、自覚的に教会の在り方として「未受洗者配餐」に踏み切っている教会が相当数あったこと。④そして何よりも、聖餐の起原の一つと考えられている5000人や4000人の供食の物語、貧しい人たちや罪人(社会から疎外されている人)と、イエスが共に食卓を囲んだこと。特に紅葉坂教会は歴史的に寿地区センターの活動に、最初の時から深く関わり、寿で行われている「炊き出し」と聖餐に通底したものがあるのではないかと考える人が、既に紅葉坂教会の中にはいましたし、私自身もそのように考えていたからです。しかも紅葉坂教会は、1980年頃から積極的に社会に開かれる教会をめざし、さまざまな理由でこの社会の中で悩み苦しむ人々に寄り添っていく教会でありたいと願って歩んで来たこともあって、そのような教会の姿勢を私自身も大切に考えていたからです。⑤そして神学的には、バルトのサクラメント観、つまりサクラメントイエス・キリストご自身だけであって、洗礼も聖餐も教会の応答であるという理解にも共感していたからでもあります。

 以上が、私自身の中での「未受洗者配餐」を可とする理由でもあります。

 

  • 教会とは何か(伝道牧会の展望をどのように考えているか)

そこで、「未受洗者配餐」という聖餐式の在り方を含めて、私が「教会」をどのように考えているかについて、お話しさせていただきたいと思います。そのことが〈伝道牧会の展望をどのように考えているか〉に答えることになると思うからです。

福音と世界の2013年10月号に、9月号からの連載で、リチャード・ボウカムというイギリスの聖公会神学者のようですが、インタビュー記事が載っています。その中でボウカムは、インタビュアーからの「最後に『日本の教会に向けて』一言いただければ幸いです」という問いに対して答えているのですが、その中にこういうことが言われています。そう長くはありませんので、その部分の前半部分を引用いたします。

 

「これは、私の推測にすぎないかも知れませんが、日本のキリスト者たちは自分たちが圧倒的に少数者であるという感覚から弱気になっているかも知れません。キリスト教のメッセージに関心がないような社会にどう届くことができるかと。今日、講義の一つで提起したことですが、ヨハネ福音書で用いられている友情のイメージは、現代の西洋、そしておそらく日本でも多くの可能性に満ちたものだと思っています。つまり、キリスト教界を、制度や権威主義的体制としてではなく、イエスの友であり、それゆえにお互い友であるような集まりとして考えるということです。それならば、日本の若者たち、親世代よりも個の自由の感覚が強い人たちが、関係性における自由 ~私はこれを『所属しながらの自由』とよびますが~ を見つける一つの場所になるのではないかと思っています」。

 

このボウカムが言っていることは、私が今まで教会の働きの中で努力してきたことと、殆ど同じことではないかと思います。私は、教会とは、イエスを中心として集まっている人間の集まり、「兄弟姉妹団」(バルト)だと考えてきました。そのことは、ボウカムが「キリスト教界を制度や権威主義的体制としてではなく、イエスの友であり、それゆでにお互い友であるような集まり」と言っていることと、ほぼ同じです。私は、教会を「自立と共生の場としての教会」と考えております。それはボウカムが、教会は〈「関係性に於ける自由」=「所属しながらの自由」を見つける一つの場所〉と言っていることに近いと思います。ただボウカムが言ところの「自由」とは何かが、この文章だけでは明らかではありませんので、私が考えていることとどこまで一致しているかは、よく分かりません。

現在の教団執行部(福音主義教会連合、一部連合長老会、東京神学大学)は、まさに「制度や権威主義的体制」としての教会をめざしていると思います。私は、この在り方には、「お互いがイエスの友であるような集まり」としての教会にとっての将来的な展望はないと思っています。今教団宣教研究所を中心に議論しています「宣教基礎理論改訂第一次草案」(資料8)(最近「第二次草案」が出ました)には、全く展望はありません。ドクマで人間をしばるものだからです。ここからは「関係性における自由」は、全く与えられないと思います。人が観念の共同体の中で奴隷とされていくだけではないかと思います。むしろ、60年代の教団の「宣教基礎理論」(資料9)の方がはるかにまともですし、「関係における自由」をめざしていると思われます。ここでは読みませんが、「日本基督教団説教基礎理論」の「Ⅰ教会の体質改善」のところを読んでいただきたいと思います。

 

  • 「自立と共生の場としての教会」について

「自立と共生の場としての教会」ということで、私の考えていることをお話しさせていただきたいと思います。洗礼を受けていないが、教会の集まりに参加している人、洗礼を受けて、教会の集まりに加わっている人による集まりとしての教会は、そこでどのような出来事が起こる場なのでしょうか。

教会によっては、その教会の集まりに洗礼を受けて所属すると、企業集団の一員のように、「伝道」という名目によって、新来者獲得へ走るということもないとは言えないでしょう。或は、教会で語られる救済の論理を受け入れて、自分は救われた者だからと、そこで思考停止して、救われた者と未だ救われていない者という二元論的な人間観に立って、未だ救われない者を一人でも救いに導かなければならないと、「伝道」に励むという風にです。

それに対して、「自立と共生の場としての教会」ということで、私が考えてきたことは、人の集まりとしての教会の場を「現実と聖書との往還」の場としてとらえ、そこで起こる出来事は〈出会い、発見、変容、共生〉の繰り返しと考えています。少し横道にそれるかも知れませんが、清水博という人が書いた『場の思想』という本があります。その本の帯には、〈生命システム科学の発想から生まれた、新しい時代の哲学。日本のもつ「場」の思想が、社会の経済の「危機」を乗り越える原動力となる〉とあります。「場」の思想ということですから、西田幾多郎の影響を受けているのではないかと思いますが、この人の考え方は大変魅力的です。

その本の中で、イエスについて触れられているところがあります。イエスの十字架について、このように言われています。

 

「イエスの悲痛な絶叫は消滅の悲劇を締めくくって完成させる叫びである。新しい生命の力強い変態的生成という新しい幕を挙げるためには、旧い消滅のドラマの幕を完全におろさなければならないのである。…・(中略)…イエスの場合を参考にして考えると、消滅即生成の変態的変化の場は、生死の場に他ならないことがわかる。人生の挫折は、もしもそれを率直に受け入れることができるなら、自分の心を縛ってきたさまざまな拘束を剥いで、剥き出しの真実を見せてくれる。それは自己の死の前では、それまでの人生の虚飾が無意味なものとなるということと本質的には同じである。これまでの自己の『葬式』を自己がだし、その自己の死の後で見えてきた真実から出発して自己自身を再構築していくことが自己創造の変態的変化である。…・(中略)…・

転換期における変態的変化に必要なことは、自己の内側からの声への強い使命感である。その声は自己の生命と純粋生命の二重存在性によって、純粋生命から送られてくるものである。使命感をもって生きることができないものは、「人生はかくあるべし」という内側からの声を聞くことはない。そのために、常に目先の利にしたがって生きようとする。自己中心的な観点しかもっていなければ、群れ合いの場に集まることができず、自分の周囲に出会いの場をつくることはできない。したがってドラマの転換点で迷う」。

 

清水博さんは確か「共創」ということを言っていたと思います。〈出会い・発見・変容・共生〉は、「共創」につながると思います。教会は〈出会いの場〉ではないかと、私は思っています。ところが、出会いを通してお互いが変わり合っていく場というよりも、教会に安心を求めて、そこで思考停止している場合が多いように思います。

 

  • 船越教会で

私は2年半前に、紅葉坂教会を辞し、その後船越教会の牧師として現在に至っております。船越教会は、紅葉坂教会や御器所教会と比べますと、少人数の教会です。礼拝も毎日曜日5名から10名前後の出席です。礼拝後、何も集会がない時は、お茶を飲んで、懇談の時を一時間ぐらいもちます。実は2013年10月19日の土曜日から20日の日曜日にかけて修養会ということで、「船越教会の今を考える」というテーマで集まりがありました。この時は16名の参加でした。お年寄りと地方の方以外はほぼフルメンバーです。そこで1990年から船越教会として掲げて来た「平和宣言」の見直しの話し合いがありました。「平和宣言」の見直しは随分前から話し合っていたのですが、この修養会で最終的なまとめをすることになっていました。その結果、以下の様な見直し案がまとまり、20日の礼拝後、教会総会ではありませんが、17名の出席で、ほぼフルメンバーでしたので、そこで見直し案を承認し、船越教会の「平和宣言」としていくことが確認されました。2013年のクリスマスに、旧い「平和宣言」に代わって、この新しい「平和宣言」が、道路から外階段を上がったところの会堂の外壁に設置されています。

 

1990年の「平和宣言」

 私たちは戦争責任に基づき飢餓、地球破壊、差別、軍事力、核等のあらゆる抑圧から解放され自由、人権、世界平和の実現を求めつつ、戦う民衆として前進することをここに宣言します。            

                    1990年5月20日

 

 今回の見直しの「平和宣言」

 私たちは、先の戦争に対する責任を自覚し、いのちを脅かす貧困、差別、原発、軍事力をはじめとするあらゆる暴力から解放されて、自由、平等、人権、多様性が尊重される平和な世界の実現を求め、共にこの地に立つことを宣言します。

                    2013年10月20日

 

船越教会で牧師として働くようになって、少人数の教会であることの優位性のようなものをしみじみと感じています。けれども、私が来る前の船越教会は、教区から互助を受けなければやっていかれない教会の一つでした。神奈川教区では教区から互助を受けている教会は5~6教会だと思います。船越教会は、そういう少人数の教会でも、教会堂をもっています。1989年頃に建築した建物で、今は、維持のためにそれほど負担になっていませんが、これが会堂建築ということにでもなれば、メンバーの気持ちはそのことに集中していかざるを得ないと思います。維持→護教(教会を護る)という方向に意識が集中しますと、教会は制度的な教会への関心に傾斜していきます。〈出会いー発見―変容―共生〉という出来事性が失われていきます。

「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」(マタイ18:20)というイエスの言葉を忘れてはならないと思います。教会はイエスがその中にいる人の集まりであるということを。本質的には、制度的な教会がなくても、このような人の集まりがあれば、そこには教会があるということです。

 

  • 展望についての断片的な思い付き

展望については、こうだという決定的なものはありませんが、44年の牧師の経験から、いくつか感じていることをお話しいたします。

まず現在のような個人経営事業のような教会の形態を続ける限り、成長神話の呪縛から解放されることはないと思います。現在の教団執行部が伝道、伝道と言っているのは、教勢拡大による教会維持の安定化ではないかと思います。その基本は護教の姿勢です。〈仕えられるためではなく、仕えるために〉という姿勢は、そこからは生まれ難いでしょう。教勢拡大に成功したとしても、現在の韓国の教会が抱えている問題にぶつかるに違いありません。体制化された教会であります。

船越教会では、私が年金生活者ですので、教区から互助を受けなくてもやっていけます。勿論、私は戒規免職処分を受けている者なので、神奈川教区も公式には私を船越教会の牧師として認めていませんので、互助を申請しても、受け付けないだろうとは思いますが。教会が経済的に他に依存したり、維持するために大変な労力を使わなければならない場合、どうしても保守的になると思います。

「イエスの友であり、それゆえにお互いが友であるような集まり」としての教会にとって、大切なことは、①身軽になること。②連帯を築くこと。③方向性をできるだけ鮮明にしていくこと、ではないかと思います。

「互助と連帯」は、現状の教会を前提にして考えていくと、行き詰るように思います。新しい教会の在り方、教会間の在り方、牧師・信徒像の在り方を模索していく中で、互助と連帯を考えていく必要があると思います。

2002年暮れに神奈川では、当時の沖縄議長だった山里勝一さんが、2002年の教団総会で「名称変更議案」をはじめてとして、「合同のとらえなおし」関連議案がすべて審議未了廃案になって、「さようなら」と言って、教団総会の場を去っていきましたが、そのことを受けて、「かながわ明日の教団を考え会」という有志の集まりを立ち上げました。その会で、3、4年前に、民主党のマニュフェストが騒がれていたときですが、「日本基督教団マニュフェスト」について話し合ったことがあります。それを紹介します。

 

日本基督教団マニュフェスト私案              作成:北村慈郎

 

I 日本基督教団の教会としての枠組みに関する提言

 

1)日本基督教団は合同教会として開かれた、平和を愛する主に導かれた教会をめざす。

たとえば、教権を否定するならばカトリック教会とも合同の可能性を内包する合同教会として開かれた教会をめざす。

2)日本基督教団は社会的に疎外差別されている人及び小規模でも福音宣教の課題を担っている教会・伝道所をその中心にした交わりをめざし、相互の支え合い、分かち合いを大切にする。

3)沖縄教区との関係の修復からやり直し、合同のとらえなおしを推進する。

4)教団信仰告白と戦責告白は暫定的に相補的なものとするが、教団の信仰告白であるならば、国家の要請に教会側が主体的に内応・呼応して成立した教団の負の歴史を克服する内容をめざさなければならない。このことは、平和に反する国家の要請には、教会として主体的に内応・呼応しないことをめざす。

信仰告白はなくてもよいが、必要ならば、教団信仰告白と戦責告白両者の矛盾を止揚するために新しい信仰告白を作るか、または、それぞれの地方的なものも作ることもでき、全教団としては複数のものをもつこともできる。複数の信仰告白にはっきりと相反する立場がある場合には、相互調整し、全体として同じ方向性をめざす。

5)二重教職制の問題と教師検定問題の解決を図り、教師検定問題で教団教師から疎外されている受験拒否者(補教師も信徒伝道者も)及び福音主義教会連合で按手礼を受けている者は、本人の希望があれば、すべて教団正教師にする。また希望がない場合もその人を教団正教師に準ずる扱いをする。

6)聖餐は日本基督教団としてしては現在「閉じた聖餐」を共有しているが、「開かれた聖餐」を試行することも認める。教団として聖餐についての研究、論議の場を設ける。

7)教団の諸活動は教区が中心的に行う。場合によっては数教区が一つの教区のような活動をしてもよい。教区の教会性を最大限に認める。教区は教会・伝道所に仕え、教団は教区に仕える。現在教団が行っている働きの内教区に移行できるものは全て教区に移行し、全体教会としての教団の働きは必要最低限にする。それに従って教団事務局の働きを縮小し、教区の働き・事務局を充実する。但し地域によって教区格差が出ないように、教区間の連帯の在り方を考える。

8)教師の人事権は教区がもつ。基本的にはパリッシュの形(教師の所属は原則的に教区にある)を取るが、教師の教区間の移動も認める。その場合は教区と教区の話し合いによって進める。

8-b)各個教会と教師の関係において、現在のような直接的な雇用関係(?)は廃止する。教師の雇用関係は教区か教区の下に作られるブロック(地区、支区他)と結び、教師の経済的な保証は少なくとも教区単位で一律にする。

8-c)各個教会は信徒の自主的な集団とし、各個教会と教師の関係は固定的な関係ではなく、流動的な関係にする。

○ 各個教会についての提言

  • 現住陪餐会員が100名を越え、150名になった段階で教会は原則的に二つに分かれる。但し、各地域の拠点にはメガチャーチを作り、その地域全体の諸教会・伝道所の働きを支える。
  • もし、各個教会に「教会形成基本方針」が定められている場合、「現住陪餐会員が100名を越え150名になった段階で教会は原則的に二つに分かれる」の条項を追加することをお薦めする。

 

II 具体的な提言

 

9)教区総会議員、教団総会議員の半数以上は「女性」から選ぶ。

10)教団議長か副議長の一人は人数、財政の小さな教区から出す。

11)教師養成は各神学校に一部委ねるが、教団独自に養成機関を設置し、そこが当たる。

11-b)教師の再教育システムを各神学校と連携しながら教団単位と教区単位に置く。  

12)各教団認可神学校の自主性を重んじるが、教団立東京神学大学については、合同教会としての内実をもつ神学校になるように体制を抜本的に改め、機動隊導入の否を認めて再出発するように促す。

13)総幹事、幹事の給料は大幅に牧師給を上回らないようにする。

14)教団年金は、継続するなら、掛け金に関係なく全隠退教師に同額を支給する。或いは隠退後のその教師の経済状態を勘案し、支給額を決める。

15)教職謝儀は、各教会の2分の1を教団に拠出する。その分は教会謝儀以外の収入のない全教師に対等に分配する。教会謝儀以外の収入のある教師は別途考える。

16)教区への年度報告に関し、現行の男女別出席者数の区分を撤廃し、一括出席者数とする。

17)各個教会の枠を越えた信徒の繋がりを創出し、地域の問題に応える運動を形成する。主日礼拝と日常の生活過程とを一応区別し、生活過程における信徒のネットワークを地域別、関心別グループとして形成する。

18)形式を含めて現代における礼拝のあり方を模索する。

 

 ※注

・ この「日本基督教団マニュフェスト私案」は、上記のIに属するものとIIに属するものに分けて、それぞれ思いつく問題や課題について、こうしたらどうかと思うことを、KJ方式に倣って、それぞれアトランダムに挙げたものです。これはある会に配布したものですが、完成されたものではありません。全くの私の思い付きです。一、二個人的な意見を寄せてくださった方があり、その方の意見も採用してあります。

・ 信仰告白、教憲教規を声高に言って、教会の現場からの創造的な意見や発想をくみ上げない今の教団には未来は望めません。現場で苦闘しながら生み出してきた未受洗者にも開かれた聖餐式を、議論もせずに、教憲教規違反による違法聖餐だと言って、切り捨てたのでは話になりません。頭が固いというか、人間の痛みや悲しみへの共感が余りにも欠けているというか、イエスからどんどん教団は離れていくかのようです。

・ そのような中で今回私は不当な免職処分を受けましたが、少なくとも40年余教団教師として歩んできた者として、私も教団の未来には責任を感じております。そこで、全くの私案でありますが、この「日本基督教団マニュフェスト私案」を公表させていただきました。今後の教団形成に関わるか方々に参考にしていただければ幸いです。

 

(10) おわりに

 一部は、自分の経験と実践の裏付けを通して、一部は、経験と実践から考えた想像上の話でもありますが、随分勝手なというか、自由にお話しさせてもらいました。ご依頼にお応えできたかどうか分かりませんが、何かの参考にしていただければ幸いです。