なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(532)

船越通信、№532 2022年9月18日(日)北村慈郎

 

  • 4日(日)の礼拝後役員会がありましたが、コロナ感染拡大中でもありましたので、この日は早めに終えました。諸報告の後、協議事項として、①10月当番の確認、②在日大韓基督教川崎教会の会堂建築献金として、皆さんからの献金39,100円に教会会計から10,900円を支出し、合計50,000円を送ることにしました。③「平和と人権を考えるDVD鑑賞会」の件では、11月に「沖縄復帰50年」に関する内容作品で実施することにし、日程は後日決定する、次々回は2月に実施予定としました。④「ウクライナに平和を!」スタンディング行動の件では、10月18日の礼拝後、京急田浦駅で実施することにしました。⑤「船越の丘から」については、21号は11月~12月に発行予定(内容は、永眠者記念礼拝、教会員の近況、信徒講壇を終えて、11月の「DVD鑑賞会」報告など)としました。
  • この週には、6日(火)夜Zoomによる教区常置委員会があり、私も参加しました。8日(木)は、午後1時から4時までの国会前の辺野古新基地建設反対の座り込みに参加しました。この日は国会前で安部元首相の国葬反対の行動もあり、仏教系の団体の人たちが沢山来ていました。そのほとんどの方は女性でしたが、男性の一人が私の横に座り込んでいました。私たちは午後4時で引き上げましたが、国葬反対の人たちは午後6時ごろから官邸前で抗議行動があるようで、抗議行動を続けていました。
  • 私はこの週支援会の通信第29号を完成するために、編集してくれるSさんと電話やメールで連絡し、10日(土)朝に原稿編集が完成し、Sさんからプリントパックに注文してもらいました。プリンパックからは13日(火)発送、14日(水)に船越教会に着くことになりました。教団総会が9月27日(火)~29日(木)に開催されることが、最終的に8月末の臨時常議員会で決定しましたので、教団総会開催時にはいつも中日の夜に支援会の「全国交流集会」を教団総会開催会場ホテルの近くの集会室を借りて行っていますので、今回も急遽そのように準備しなければなりませんでした。そのために通信第29号の発行とキリスト新聞意見広告掲載をし、「全国交流集会」の案内チラシと共に通信第29号とキリスト新聞意見広告写しを同封して支援者に、できるだけ早く送らねばならなりません。そのためにSさんには無理をお願いしましたが、何とか1週間前にはみなさんに届くように発送できることになりました。
  • 11日(日)の日曜日は、私は船越教会から夏期休暇をいただいていましたので、前々から頼まれていました三・一教会の礼拝で「聖餐について」話して欲しいという表見牧師の要望に応えることができました。この日の朝小田急相模大野から9時40分発のバスに乗り、三・一教会に伺いました。礼拝は10時半からですので、少し早く着き、教会に荷物を置かせてもらい、周囲を少し散策しました。三・一教会は、鉄製の網のフェンスで隔てられていますが、相模原の米軍住宅施設のすぐ近くにあります。沖縄でもそうですが、フェンスの内側の米軍住宅のゆったりとした佇まいとは対照的に、フェンスの外の日本住宅の密集が際立ちます。矛盾を感じざるを得ません。10時半からの礼拝で「聖餐について」のお話をし、その後二三質問を受けて、お茶を一杯いただき、三・一教会の教会員で連れ合いとも親しかったHさんが車で、相模大野まで送ってくださいました。三・一教会での説教は、私のブログに掲載してあります。関心のある方はご覧ください。
  • さてこの週の木曜日15日の国会前の座り込みは、支援会の発送作業が重なることが分かっていましたので、8日(木)に参加したときに、この日は座り込みを休むことを一緒に座り込んでいる人に伝えておきました。13日(火)夜に船越教会に来て、支援会の発送作業の準備に取り掛かりました。封筒、キリスト新聞意見広告、全国交流集会チラシ、各1,000枚を印刷し、振替用紙の印刷をすれば、後は封筒に送り先のラベルとメール便のシールを張って、14日(水)に船越教会に配送される通信第29号と上記のものを封筒に入れて封をすれば完成です。それをヤマト運輸に持っていってもらえば、発送作業はすべえ完了します。14日(水)午後4時半から6時ごろまで高座渋谷教会で教区の基地小の委員会がありましたので、そこに出席しましたが、それ以外は13日夜から15日(木)午後4時頃まで船越教会で発送作業をしました。支援会の事務局の方には15日(木)に発送作業に来てもらうことになっていましたが、14日(水)夜の段階で、みなさんに来てもらわなくても、私一人でできそうでしたので、急遽メールで15日の発送作業には来なくてよいことを発信しました。実際15日(木)午前11時にはすべての作業が完成し、ヤマトに集配をお願いしました。午後4時少し前にヤマトの人が来て、約1,000部の封書を持って行ってくれました。私は、今回支援者とは別に、教団総会議員で住所の分かる教職の方々に同じ封書を送りました。今回の教団総会にも、私の戒規免職撤回議案が出ていますので、今までは議事日程の段階で議長に廃案にされてきましたが、今回の教団総会では議事としてきちんと審議してもらいたいと思っています。教団における私に対する戒規免職決定は、どう考えても私への人権侵害であるとしか思えません。日本基督教団という宗教団体が人権侵害を犯して、何事もなかったかの如く、戒規免職撤回議案を上程もさせずに葬り続けることは、果たして許されることなのでしょうか。それをし続ける日本基督教団とは何なのか。この9月26日が来ますと、私が日本基督教団から最終的に戒規免職処分を受けてから満12年になります。今回の発送作業をしていて、改めてその思いを強くしました。
  • それにしても、2008年の教団総会で、当時の山北議長を中心に常議員会決議として私を教師委員会に戒規にかけるように提訴することが教憲教規違反であるとする柴田もゆる議員提案の議案が不思議に可決しました。その年の11月中頃山北さんから私に電話があり、その後二人でお会いした時に、柴田もゆるさん提案の議案可決に、「聖霊の導きを感じた」ので、紅葉坂教会役員会と話し合いたいので仲立ちをしてくれるように頼まれました。そして山北さんと紅葉坂教会役員会での話し合いで、山北さんは「今後戒規をちらつかせるようなことをしないので、紅葉坂教会は『開かれた聖餐』の旗を振らないでもらいたい」と言うので、紅葉坂教会役員会も『開かれた聖餐』の旗を振るつもりは全くありませんでしたので、山北さんの申し出を受けいれたのです。その後の展開は私にも紅葉坂教会にも全く予期せざるものでした。