なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(134)

          船越通信癸隠械粥 。横娃隠廓11月17日               

・11月10日の日曜日の礼拝には、紅葉坂教会時代のAさんが出席しました。私が2年半前に船

越教会の牧師になってから、一度でも船越教会の礼拝に出席してくれた方に、先日船越教会機関誌

「船越の丘から」創刊号を送りました。Aさんにも、以前に一度船越教会の礼拝に出席しましたの

で、「船越の丘から」を送りました。そのことがあって、青木さんは、久しぶりに船越教会の礼拝

に出席してくれたのだと思います。さて、この日は、前週の日曜日が永眠者記念礼拝で30名の礼拝

出席者でしたので、礼拝出席者の落差が大きいのではと思っていましたが、11名の出席があり、そ

れほどでもなく、礼拝をすることができました。ただ、私の讃美歌の選曲ミスがあり、345番の

讃美歌は皆はじめてだったようで、ヒムプレイヤーの演奏についていけず、ほとんど歌うことが出

来ませんでした。申し訳ありませんでした。

・礼拝後いつものようにお茶の会がありました。懇談の中で、最近礼拝に来ておられるSさんから

ホームページの作成について、その知識を伺うことができました。私は、話を聞くだけで、自分で

は出来ませんが、ホームページやブログの活用についても、いろいろあることが分かりました。例

えば、私もブログをしていますが、その立ち上げは娘にしてもらいましたので、自分では分かりま

せん。私がしていることは、ただその日に掲載する記事をアップしているだけです。そして、私の

ブログを読んでくださっている方も、その方々が自主的に私のブログを開いて見てくれているわけ

です。私はそれでいいと思っていますが、そういう開いてくれるのを待つだけではなく、誰かが開

こうが開くまいが、何らかの関係のある方には、こちらから積極的に送りつけるという方法もある

ようなことをお聞きしました。また、一口にホームページと言っても、私が素朴に考えている、教

会ならば案内看板のようなものだけではなく、様々なことが出来るようです。情報化社会の内実に

ついて、私はまだまだ初歩的なことしか知らないということがよく分かりました。

・Sさんがパソコンについて言っていた言葉が、私には印象的でした。私の言葉で言い換えている

かも知れませんが、「機械はシステム通りに動くから、そのシステムを把握すればよい」という言

葉です。それに対して、人間にはイレギュラーなことが起こるので、機械のようにシステム(マニ

ュアル)通りにはいかないところが多いわけです。私はどうもマニュアルに弱いところがあるよう

で、何かパソコンにトラブルが起きても、なかなか自分で処理できません。道具として便利ですの

で、それなりに使っていますが、私が使っているのは、パソコンの機能からすれば、ほんの一部分

に過ぎないのではないかと思います。

・11日の月曜日には、午後6時30分から、私の裁判支援会の神奈川世話人会・事務局会の集まり

が、横浜駅西口にあります県民センターでありました。私を含めて10名の方が集まってくれまし

た。11月4日の報告・討論集会を受けて、今後のことについて話し合いました。この会で確認しま

した、一番大きなことは、今後支援会として東京・横浜での集会だけではなく、出前集会として、

様々な教区や地域で集会を企画して頂き、こちらから原告と事務局員・世話人がでかけて行く形

で、様々な地区で裁判報告をはじめ戒規免職撤回のための話し合いを積み重ねていくということで

す。その他、11月4日の報告・討論集会の内容を編集し、通信9号を発行すること。通信9号と共

に、今回も別冊で、上告の要旨と控訴審の被告教団側の準備書面の内容で問題のところ、例えば、

「未受洗者配餐」による私の戒規免職処分は、「セク・ハラの比ではない」というところなどを、

いくつか拾い出し、教団側の主張の問題点としてまとめたものを作ること。そして教団全体の教会

に送付すること。すでにお願いしています「要請署名」の他に、「ハガキ要請」及び「上申書」の

お願いもすること、などを確認しました。

・2年前に提訴して以来、私の裁判は、一審、二審、そして現在最高裁まできていますが、この2年

間一貫して多くの方々の支援を受けてここまで来ることが出来ました。裁判傍聴をはじめ報告・討

論集会にも、いつも全国から100名前後の方々が参集してくださっており、その集会での発言も活

発で、現在の日本基督教団の大勢のあり方、上意下達的体質への反発と共に、皆さん話し合いを強

く望んでいることがひしひしと感じられます。本来ならば現場である諸教会に関わる信徒・教職か

らの意見を突き合わせて、それをまとめて実践に生かす道筋があってしかるべきなのですが、現在

の教団は、「改訂宣教基礎理論」のように、恐らく一人が書いたものを宣教研究所で承認し、それ

を教団の各員会や教区に降ろすという、上から下へという方式をとっています。これでは、決めら

れた枠の中に入れようとする意図が見え見えで、自由な討議はできません。主体的に参加し、自分

たちで決めたことには責任が伴いますが、上から決めたことに誰が責任的に関わることができるで

しょうか。

・15日(金)には、アフリカから日本に来ています方の難民認定裁判第3回公判が東京地裁であ

り、私も傍聴に行きました。この方は以前寿のドヤに住んでいました。カラバオの会が支援してい

る方で、裁判になる前にも、何回か寿でお会いしたことがあります。日本は難民の受け入れに厳し

い国の一つと言われていますが、何とか難民申請が認められるようにと願っています。この日は午

後6時半から寿地区センターで寿活動委員会がありました。裁判は午前11時でしたので、私は、傍

聴後一度船越教会に戻り、少し休み仕事をしてから委員会に出かけました。委員会では、諸報告の

後、先月開かれました30周年記念の集いの反省と今後の地区センターのあり方について話し合いま

した。なお、現在寿地区センターのホームページが開設されていますので、案内版には寿で行われ

る集まりなどのお知らせが掲載されていますので、そこをご覧になって、関心のあるものに参加い

ただければ幸いです。

・16日(土)10:00~14:00に高座渋谷教会で教区の拡大社会委員会があり、私も寿地区活動委員会

から参加しました。