なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(295)復刻版

 「黙想と祈りの夕べ通信(295)」復刻版を掲載します。2005年5月のものです。来年一月に名護市

長選がありますが、この市長選で普天間基地辺野古への移設をめぐって、反対派の現市長が再選される

か、自民党が後ろ盾の推進派の市長が選ばれるか、大きな山場に来ています。

 昨日、船越教会で沖縄の高江での闘いをドキュメント風に描いた「標的の村」ビデオを鑑賞しました。

改めて沖縄に米軍基地を押し付けて、沖縄に一方的に犠牲を強いる日本政府とヤマトの我々のあり様が問

われました。


       黙想と祈りの夕べ通信(295[-34]2005・5.22発行)復刻版


 最近ホームで生活しています高齢者の方々を5人お訪ねしました。今日は人間が年を重ねるにつれてと

る姿の一つについてお話させていただきます。全ての高齢者の方がそうだというのではありませんが、年

を重ねて行くに従って、穏やかさが前面に現れてくる人がいます。当教会に属する方の中では最年長者で

ありますK・Fさんも、その一人です。先日お孫さんからお電話をいただきました。そのお孫さんもこの

1年ほどFさんが大変穏やかな顔になって、介護者の方々からもFさんから元気をもらっていると言われ

ているとおっしゃっていました。Fさんは教師の経験があり、頭がクリアーでそれが顔にも表れて、意思

の強さが優っている顔をしていました。ところが、確かにこの1年ほどはいつもお人形を抱いてニコニコ

しているのです。心身は年とともに衰えてきているのでしょうが、それに従ってこの世の煩いからは解放

されて、全てを委ねて在ることへ導かれているのでしょうか。Fさんはこの5月3日に満104歳になりまし

た。もちろん、心身に強度の痛みを抱えている方の場合には、Fさんのようなわけにはいきません。いろ

いろな高齢者の方がいらっしゃいますが、お一人お一人の日々が神からも人からも支えられてありますよ

うに。

 上記の発言に続いての一人の方からの発言がありました。今回も辺野古の話を報告したい。先週辺野古

にいってきた。今、施設局は夜も作業をしようとするため24時間体制で警戒をする大変な状況にある。そ

の中で特に感じたのは辺野古の小さな漁港から基地建設の施設局側に雇われた辺野古の漁人と反対派の住

民が船を並べて黙々と準備をして海に出て行く。そして争わなければならない。それを見送る私の胸は痛

む。阻止行動には色々な役割がある。櫓に乗って非暴力で対応する人、阻止船で抗議、抵抗する人、海に

飛び込み抵抗する人、浜辺のテントで座り込みの対応をする人、無線で全体を指示する人、24時間体制の

ための食を支える人。そして一番重要なおじい、おばあ達。この一週間これまでの長い闘いでそれぞれが

体力の限界を超え、ダウンした人が何人もいた。特にほとんど休まなかったH・Eさんが寝込んでしまい

起き上がれないでいる。ある人はEさんが櫓にいると神々しく見えると言っていた。私には今辺野古で闘

っている一人一人が神々しく見えた。中には、何も知らず旅をしていて辺野古にきて一ヶ月も居ついて櫓

に登っている中年の女性や、飛び込み隊の20代の女性が施設局に暴力を振るわれた報告をする時も、怒っ

ているわけでなく淡々と明るく話す。辺野古の海にヘリ基地を造ることは、海の波も荒く、反対が強いの

で、現実的に難しいと言われながら、施設局側に雇われた業者は予算消化のための仕事をしているとしか

思えない。反対側の人をからかっているかのように、落とした単管を拾って戻す反対側の人に対して、笑

いながらまた単管を海に落としている。阻止のために闘っている人たちは、基地が出来なかったとして

も、何の得になるわけではない。ただ平和のためだけに闘っているのだ。そういう人たちに触れられ、今

回も力を与えられ感動を覚えて帰ってきた。そんなことで帰ってくるとまた気になってすぐ行きたくな

る。平和をこれだけの人たちが求めているということに、希望を与えられる。これからも希望をもって行

きたい。

 続いてK伝道師から発言がありました。今日昼の聖研で士師記18章を学んだ。穏やかな人々が住んで

いる町ライシュをダン族が征服し、奪うという記事である。ライシュの人々は、周囲の人々からも隔絶し

ていて、他部族と同盟を結ぶこともなく、ひっそりと静かに生活していた。この穏やかで平和な町は、力

や欲望を放棄しているところにのみ存在する町だと感じた。欲深い人は戦いを好み、征服を求める。この

町の人々は分かち合って生きる民であったと思う。少しでも早く、少しでも多くとい欲望や効率を求める

心が、平穏な民を戦いの民に変えていくのではないか。