なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(296)復刻版

 黙想と祈りの夕べ通信(296)復刻版を掲載します。2005年5月のものです。

 下記の記事の中に「情報開示」の問題が記されていますが、今まさに国会では自民党が中心になって、

特定秘密保護法案」を通そうとしています。この法案が通ると、私たちの知る権利や表現の自由が侵害

され、かつての治安維持法につながっていく危険性があります。21日が山場ということで、その日反対集

会が組まれていますが、私は船越教会の聖書研究会がありますので、参加できませんが、可能な方は参加

して欲しいと思います。


 「秘密法に反対するすべての人たち大集合」 STOP!「秘密保護法」11.21大集会

  日時:11月21日(木)午後6時30分・開会 午後7時30分・国会請願デモ

  会場:日比谷野外音楽堂



          黙想と祈りの夕べ通信(296[-35]2005・5.29発行)復刻版


 今日の聖書の箇所ルカによる福音書16章19-31節の「貧しいラザロと金持ち」の物語は、読むたびにい

ろいろ考えさせられるところです。この物語は単純にこの世で富める者と貧しい者が来世でその立場が逆

転し、富める者は地獄に、貧しい者は天国に、ということなのでしょうか。死んで地獄の火(?)で苦し

んでいる金持ちが、まだこの世に生きている金持ちの自分の兄弟たちに、ラザロを遣わしてよく言い聞か

せてくれと、アブラハムに頼むところがあります。しかし、アブラハムは、「お前の兄弟たちにはモーセ

預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい。」とだけ答えます。「モーセ預言者に耳を傾ける」という

ことは、「貪るな」ということであり、正義と公平に立つということでしょう。そこにこそ神のみ心があ

るからです。金持ちは神のみ心を踏みにじり、貪り、自分の家の玄関前で物乞いしていたラザロの存在を

全く無視していたのでしょう。共に生きるべきお互いが貧富の壁によって隔てられている現実は、イエス

の時代の社会も現在の社会も変わりません。特に現在の資本制社会における金融システムの問題は、お金

ころがしによって儲かるわけですから、それ自身が自己目的化される危険性が大です。事実現在の社会は

そうなっているように思われます。「モーセ預言者に耳を傾ける」主体的な人間によって形成される社

会では、富や財は人間化されますが、「貪る」人間は富の奴隷になって、常に新しいラザロを産み出して

いくでしょう。この「ラザロと金持ちの」譬え話から、そんなことを考えさせられました。

 上記の私の発言に続いてひとりの方から以下のような発言がありました。辺野古に一週間行って、毎朝

5時起きの生活が続いたので、帰ってきてからも朝早く目が覚めてしまい、辺野古のことだけではなく他

にも気にかかることがあったりして睡眠が十分とれなかった。そんな時テレビで睡眠障害のことが放映さ

れていた。アメリカでは睡眠障害の人が大変多いそうだ。私は自閉の子どもたちと長く関わってきている

が、この子どもたちは規則正しい生活が難しい。その治療として睡眠を十分取ることによってパニック状

態を防げるということが事例として報告されている。現在は2歳児の子どもで、寝るのが10時過ぎが50パ

ーセントを越えると言われる。自分が子どもを育てた時は、8時には寝かせた。現在は夜街に出ても結構

小さな子どもたちがいる。パソコンやメールで自分も結構睡眠時間を減らしている。そんな状態で尼崎の

電車事故や飲酒運転による高校生殺傷事件が起こったのではないか。人間が宇宙の中にある自然の命に帰

らないと、現代病というか、神からの命を豊かに生かし合うのではなく、疲弊して命を粗末に扱うことに

なる。経済的にダウンしても、命を豊かに生かし合う関係を取り戻さなければならないと思う。2,3日睡

眠を十分取ることによって、バラを観賞しようという余裕が出て来た。食べて、寝て、互いの命を大切に

することを心がけたい。

 K伝道師から発言がありました。DVDで子ども向けのアニメ「対馬丸」を観た。疎開と言う名目の口減

らしのために沖縄の子どもと女性を九州に運ぶために使われた老朽化した普通の貨物船が対馬丸である。

対馬丸には護衛艦がついたが、戦闘時には逃げてしまい、対馬丸は魚雷に撃たれて沈没した。約1500名も

のおばあや子どもたちが命を落とした。情報というものは危ういと思う。分かっている所では分かってい

たと思われるが、対馬丸に乗った子どもたちや女性、その家族には情報は知らされていなかったのだろ

う。沖縄で地上戦がある前に、本土に疎開させればということで家族は説得され、子どもたちやおばあを

船に乗せた。しかし、対馬丸による疎開は元々命を守るというものではなかった。そのことを知らないま

ま人々は船に乗せられ命を失った。あの時代に情報を正しく認識することは難しかったと思うが、情報を

見抜く感性が必要であり、普段から感性を養っておく必要がある。情報を多くキャッチしているから正し

く現実を把握出来るとは限らない。私たちの場合聖書がある。聖書によって自分がどこに立つかを問わ

れ、神との関わりにおいて現実を見抜く力が与えられることを信じる。アニメを見ながらそんなことを思

った。