なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

エレミヤ書による説教(67)

   「保護される」エレミヤ書26:20-24、2017年6月18日(日)船越教会礼拝説教

共謀罪(「組織的犯罪処罰法改正案」(「テロ等準備罪」法案)が、政府与党の強引なやり方で、15

日の早朝参議院で可決されました。この法律の成立によって、私たちは、今も既に監視社会と言ってよい

と思いますが、更に厳しい監視社会の中で生活することを余儀なくされることになります。

・私は時々国会前の辺野古新基地建設反対の座り込みに行くことがありますが、その時に警察官が近づい

て来て、「何人くらいで、何時ごろまでするのか」と聞いてくることがあります。私は今まで、「なぜあ

なたにそんなことを聞かれなければならないのか」と言って、その質問を突っぱねてきました。しかし、

これからはそうはいかなくなるかも知れません。

・また、説教で語ることが組織的犯罪(共謀罪)に該当することがあるかも知れないということで、戦時

下の教会の礼拝に特高警察がきたように、形は違うとは思いますが、例えば教会の礼拝堂に盗聴器を付け

るというような形で、説教で何を語るかを監視するというようなことが起こり得るかも知れません。

・けれども私たちは聖書の言葉に耳を傾け、どんな社会であっても、語るべきことは語り、聖書の使信に

従って生きていかなければなりませんし、そのようにしていきたいと切に願うのであります。

・さて、今日のエレミヤ書の箇所は、24節を除いて20-30節には、エレミヤと同じ内容の預言をした一人

預言者ウリヤの死の記事が記されています。彼についてはここだけに記されているだけですので、詳し

いことは一切わかりません。そのすぐ前のエレミヤ書の箇所には、エレミヤが神殿の庭で神殿崩壊の預言

を語り、捕えられて裁判にかけられましたが、死刑を免れたという記事があります(26:1-19)。ところ

が、預言者ウリヤは、エレミヤと同じ預言をしたために、《ヨヤキム王は、すべての武将と高官たちと彼

の言葉を聞き、彼を殺そうとした》(21節)ので、《ウリヤはこれを聞いて、恐れ、逃れて、エジプトに

行った》(同)というのです。ウリヤはエジプトに亡命したのでしょう。けれども、エジプトに逃げたウ

リヤを、ヨヤキム王は人を送って連れ戻させ、残忍な仕打ちで殺害しただけでなく、埋葬することも許さ

ないで、呪われた死を与えました。《王は彼を剣で撃ち、その死体を共同墓地へ捨てさせた》(23節)と

いうのです。何とも酷い仕打ちです。

預言者ウリヤがこのような死を遂げたということは、同じ神殿破壊の預言を神殿の庭で語っているエレ

ミヤにも当然その危険が迫っていたことを意味しました。けれども、裁判で《高官たちと民の全ての者に

向かって》(12節)《わたしはお前たちの手中にある。お前たちの目に正しく、善いと思われることをする

がよい》(14節)と言い、亡命の道を選ばず、人々の前で恐れることなく堂々と語ったエレミヤは、生きる

ことを許されました。そのために彼を保護する人がいたことが、24節には記されています。《 しかし、

シャファンの子アヒカムはエレミヤをかばい、エレミヤが民の手に渡されて殺されないようにした》と。

・エレミヤをかばった「アヒカム」という人ですが、実はこの家族には主の言葉を恐れていた人が多かっ

たことを聖書の中で知ることができます。まず父の「シャファン」は、ヨシヤ王の宗教改革が行われる

きっかけとなった、神殿の中で見つかった律法の書を持っていって、王の前で読み上げた書記です(2列

王22:10)。そしてシャファンの他の息子「ゲルマヤ」はユダの首長の一人で、エレミヤの預言の書を王

エホヤキムが焼いているのを「焼かないでください」と願っています(エレミヤ36:25)。さらにシャ

ファンのもう一人の子「エルアサ」は、バビロンに捕え移された人たちに宛てたエレミヤの手紙を、バビ

ロンに持っていた人であります(29:3)。また、アヒカムの子に「ゲダルヤ」がいますが、彼はエルサレ

ムが破壊された後に、ネブカデネザルによってわずかに残ったユダヤ人の上に総督として立てられた人で

す(エレミ39:14)。ですから、主を恐れていた人が王の側近の中にもいたということです。

・関根正雄さんは、ウリヤの死についてこのように語っています。<ウリヤがエジプトに逃げたことが必

ずしもウリヤの悲劇の原因ではなかろう。危険をさけて逃れることはイエスもエレミヤもなした所であ

る。唯ウリヤは「恐れて」と書かれている所に記者はウリヤの問題の所在を暗示していると思われる。唯

逃げたのではなく、恐れて逃げた所に神への不信があったのであろう。この不信とウリヤの最後とは無関

係ではないと考えられる。預言者として立てられた者に対して神のなさる所は厳しいのである>と。ウリ

ヤがエジプトに亡命したのに、連れ戻されてヨヤキム王に殺害されたのに対して、エレミヤは亡命するこ

ともなく、正々堂々と預言者としての活動を続けることが出来たのは、エレミヤには彼を保護する、おそ

らくヨヤキム王も一目置いていたシャファンの子アヒカムがいたからで、ウリヤにはそのような人がいな

かったということではないかと思われます。それを関根正雄さんのように、不信がウリヤの残酷な死を招

いたというのは、ウリヤにとって酷なようにも思われます。エレミヤにアヒカムのような彼を保護する人

物がいなかったとするならば、ウリヤのように恐れてエジプトに亡命するようなことはしなかったかも知

れませんが、保護する人がないままウリヤと同じようにヨヤキム王に殺害されていたかも知れません。た

だその場合でも、ウリヤとエレミヤの死には違いがあったかも知れません。それは二人の預言者が同じよ

うに語っていた預言の真実が持つ説得力の違いではないかと思います。ヨヤキム王を恐れて、エジプトに

亡命したウリヤの語っていた預言は、例えエレミヤと同じ内容のものであっても、その預言の真実さに欠

けてしまうのではないでしょうか。一方エレミヤがウリヤと同じようにヨヤキム王に殺害されたとして

も、エレミヤの語った預言の真実さが持つ命の力は失われなかったに違いありません。エレミヤは殺され

ても、必ずや何らかの形でエレミヤの預言を継承する人が後に現れたのではないでしょうか。しかし、同

じ内容の預言を語ったウリヤの預言を継承する人は現れなかったのではないでしょうか。

・そのことを思う時に、あのナチズムの時代にボンフェッファーが、一時ラインホルド・ニーバーなどの

協力があってアメリカに亡命しますが、自分はドイツでナチズムの脅威の下で同胞と共に生き延びなけれ

ば、戦後のドイツの再建に同胞と共に参与することができないからと言って、ドイツに帰って行ったこと

を想い起します。そしてボンフェッファーはヒットラー暗殺計画に加わったという理由で、ヒットラー

秘密警察ゲシュタボによって逮捕され、獄中の人となり、処刑されて、39歳で命を落としてしまいます。

彼は生き延びて、戦後のドイツの再建に参与することはできませんでした。けれどもボンフェッファーの

存在と彼の残した著作は、戦後のドイツの再建に影響を与えたと考えられます。その意味で、ボンフェッ

ファーは戦後のドイツの再建に参与することができたと言えましょう。

福音書のイエスの受難と十字架の出来事を読む限り、イエスはローマ総督ピラトやユダヤの大祭司を恐

れてはいませんでした。ですから彼らを恐れて逃げるということはありませんでした。イエスの十字架に

関する福音書の物語を読む限り、恐れているのはイエスではなく、むしろピラトや大祭司の側だったよう

にさえ思えます。命をかけて証言された神の国の福音の真実は、イエスの死後もイエスの復活の奇跡をと

おして弟子たちに継承されていったのです。

・ウリヤを殺害したヨヤキム王と王に従ったイスラエルの民はバビロニアのネブカドレツアルによって、

滅ぼされ、その多くは捕囚の憂き目に合うことになります。ある意味で、ウリヤを殺害したヨヤキム王

は、自分がウリヤにしたことを、ネブカドレツアルから彼自身が受けたことになります。

・<神のことばの主権性とその力は、人の思いの中で受け入れられたり拒まれたりし、これを語る預言者

は実に弱い立場に立たされます。しかし、神のことばの主権性とその力は、人の思いを超えたところで貫

かれ実現していきます。表面の弱さに眩惑されず、語り続ける預言者を持つ民は幸いです。また、過去の

歴史を振り返りつつ、神のことばの真実を見つめ、これに聞こうとする民も幸いです。そのような民を持

預言者もまた幸いです。神のことばはこうした細いしかし決して切れることない糸を、神自身によって

保たれていくものであることを改めて幸いに思います>(鳥井一夫)。

・このことは歴史を振り返る時に、私たちもまた共有することができるのではないでしょうか。共謀罪

ような法律が私達の日常生活を脅かすことのないように願いますが、どんな状況にあっても、死の危険の

中で神のことばの真実に固着して生きた預言者エレミヤを覚えて、私たちもそのように神の力によって支

えられたいと切に願います。