なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(317)復刻版

 今日も、黙想と祈りの夕べ通信(317)復刻版を掲載します。2005年10月のものです。

 下記通信にも書いてありますが、通信316は、私と連れ合いが振りかえの夏期休暇を利用して辺野古

に行っていましたので、当時の伝道師にまとめてもらい、私が書いたものではありません。そこで316

号はこのブログに掲載せず、315号から317号に続きます。
 
 下記通信に書いてある家宅侵入による3人の方の逮捕のようなケースは、現在特定秘密保護法が成立

し、実際に一年後くらいから施行されるようになれば、それこそ特別なことではなくなるのではないでし

ょうか。電車の週刊誌のつり下がり宣伝を見ていましたら、安倍首相はこんどは「共謀罪」を成立させよ

うと考えているような趣旨の宣伝文句がありました。歴史の必然からすれば、国民国家は開き、ユーロの

ような国家連合から、さらに国家の無化に進んでいかなければならないと思いますが、その意味では安倍

政権は反動的です。戦争をしないで世界の人々が、南北問題を解決し、平和な暮らしができるようになる

には、吉本隆明が言うところの贈与経済に移行していかなければなりません。それができるのは、憲法

条の軍隊の放棄による平和外交以外にはありません。また、お金ころがしで儲けている金融資本家の横暴

を止めるには、民衆が互助体制を作り、消費を最低限にして、大企業を倒産に追い込み、大企業と結託し

ている政権を倒し、文字通り主権在民の政治をつくることです。そのためには、自分だけの欲望を求める

人間のエゴをどう乗り越えられるかが重要になります。この課題の克服を伴わない政治・社会運動は、結

局自己満足を越えられないのではないでしょうか。
 


         黙想と祈りの夕べ通信(317[56]2005・10.23発行)復刻版


 10月10日に神奈川教区オリエンテーションとして「基地問題」を扱いました。その際に横須賀の基地を

海から見る企画があり、そこには希望者は誰でもが参加できました。ここに出席している方々の中にも一

緒に参加し方がいます。私にとってはじめてのことでしたので、空母キティーホークをはじめ、米軍基地

にも海上自衛隊の基地にも多くの艦船が停泊しているその風景に圧倒されました。これらの艦船が何をす

るかは明白です。特に空母キティーホークはアメリカのイラク攻撃で大活躍したということです。この大

規模な基地にヨコスカ平和船団の方々は、粘り強く、小さな船を出して基地反対の運動を続けているとの

ことでした。その後私は8月に取れなかった夏期休暇を利用して、12日から16日まで沖縄に行きました。

その中の3日間は辺野古の基地建設反対のテントで座り込みをしました。現在防衛施設局によって立てら

れたヤグラも全くなく、海は静かでした。今は長く続いた海上での阻止行動もなく、テントでの座り込み

だけでした。時々隣にある米軍基地キャンプ・シュアブから進軍ラッパが鳴ったり、演習で海陸両用の戦

車が砂浜に出てきたりしました。辺野古で反対運動をしている人たちの中心は、辺野古で生活する方々で

す。ここでもテントに座り込んでいる人たちの小ささと米軍基地の大きさが際立って感じられました。こ

の横須賀と沖縄を体験して、原始共産制(?)的な人間の生活を想像しました。わずかの人たちが自然と

共生しながら生活していた人間社会に帰れないものかと。たとえ帰れないとしても、日常の私たちの生活

世界で原始共産制的な生活を創り出していきたいものだと。

 上記の私の発言に続いて、以下のような発言がありました。辺野古から帰ってきて、知り合いの人が二

人の仲間と共に厚木基地が見えるアパートの踊り場で警察に逮捕され、家宅捜査を受けたということを知

った。そのことが日曜日の朝刊に記事となった。3人の名前と3人とも公務員であったのでそれぞれの役

所名が出た。毎日新聞では住所も出たという。逮捕の理由は家宅侵入。アパートの階段の踊り場で住居の

中に入ったわけでもないのに、新聞記事に名前、勤務先、住所まで出てしまうものなのか疑問である。月

曜日に国会前で座り込みをしていたら、精神障がい者の方々が自立支援法反対で同じように座り込みに来

たとき、6~7人の警官に囲まれて職務質問を受けて恐れていた。上記逮捕の事件を通して国家権力が個人

に圧力をかけているのだと思う。家宅捜査による情報収集がこの事件の目的ではないか。3人は月曜日に

は釈放された。新聞はそのことも記事として出した。自分は今までは無関心だったが、辺野古へ行った

り、国会前の座り込みへの参加を通して個人の情報が収集されていて、この国に戦前が来ていることを実

感している。国家権力に対しては、知恵を出して真剣に考えていかなければならないと思わされている。

 続いて以下のような発言がありました。高校時代の同級生が教会に行ってみたいというので、同じ高校

を出た自分たちより一級上の方が聖公会の司祭になっているので、彼のいる練馬の教会の礼拝に案内し

た。自分は所属する教会で牧師招聘に関する件があり、そちらに行かなければならなかったので、40分く

らいしか一緒にいられなかった。牧師招聘のことでは、いろいろ感じるところがあった。それとは別に、

先週土曜日に高校時代のクラス会があり、84歳になる先生が出席された。その先生が、自分は徴兵を逃れ

るために上級学校に行った。非国民とも言われたことがある。大学に入ってから徴兵され、特攻隊の要員

になったが、敗戦で助かった。軍歌を聞く度に死んでいった仲間のことを思い出すという話をされた。自

分はそれをまとめて、クラス会に来れなかった人に出す通信に書いた。幹事から徴兵拒否の記述はまずい

のではないかという話があった。しかし、自分はそこには先生の不戦の思いがあるので、そのまま残すべ

きだと主張した。幹事はそれを了解した。この通信はクラスのみんなに読まれるものである。