なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(260)復刻版

 昨夜から今朝にかけて、辺見じゅん『ダモイ遥かに』というシベリア抑留の事実に基づいた小説を読み

ました。連れ合いの名古屋の友人の朗読のグループが、昨年この本に基づいた朗読を発表したところ、そ

の会場主が今年もお願いしたいということで、今週の土曜日その朗読劇が名古屋であり、連れ合いが行く

ことになっています。その準備というか、連れ合いがこの本を取り寄せ、読んでから、私のもぜひ読んで

欲しいと言われて読みました。シベリア抑留の悲惨さと共に、そこで生き死んでいった人間の尊厳さも伝

わってくる本でした。いつか感想を書いてみたいと思います。

 さて、今日も9年前の「黙想と祈りの夕べ通信(260)」復刻版を掲載します。


         黙想と祈りの夕べ通信(260[-51]2004・9.19発行)復刻版


 私たちの教会の関係教会でありますB伝道所では9月12日に19周年献堂記念礼拝が行われました。当

教会を代表してAさんがB伝道所の礼拝に出席し、当教会からの献金をB伝道所に届けてもらいました。

そのお礼にとB伝道所のI牧師からお手紙をいただきました。そのお手紙の中にI先生は、B伝道所の使

命について書いておられます。「主のみ心としてベテル(神の家)と名づけられた小さな伝道所ですが、

常に貧しく小さいままの歩みしかできないことを主に詫びつつ、これがまた主のみ心と覚えて歩んで参り

たいと思っております」と。実際B伝道所は会員数は少人数です。なかなか会員の数は増えません。けれ

ども、福音を求めて苦しむ心病む方々にとってB伝道所とI先生の働きは重要です。先生ご自身もそのこ

とに使命を感じておられるように思います。一対一でじっくり関わるには、むしろ小さくあることが必要

なのかもしれません。紅葉坂教会は規模としては比較的大きな教会です。ともしますと小さくあることの

大切さを忘れ易い私たちのような教会にとって、B伝道所との関わりを与えられているということは、教

会とは何かを常に問われることになります。そのことが私たちの教会にとっても大事なことではないか

と、私は思っています。その意味でB伝道所のことを覚え続けていきたいと思います。

 上記の私の発言に続いて一人の方からの発言がありました。先週のこの会でも話したが、辺野古のボー

リング調査が先週木曜日から入るという知らせが入った。それに反対して座り込みを続けている側は、辺

野古か隣接のキャンプシュワブから調査船が出るのではと予想して対処していたが、全く違う南の方から

調査船とカモフラージュの船が辺野古の海に入った。現在反対側は小さな船2隻とカヌー隊で抵抗してい

る。今当教会のYさんも辺野古に行っており、カヌーに乗っている。カヌー隊の中には71歳の年配の女

性もいる。辺野古の座り込みに連動して行われている国会前の座り込みに私は出かけている。朝社民党

事務所からパネルを出して座り込みを毎日続けているが、私一人で朝の準備をする時もある。夕方まで座

り込みにかけつける人が続く。通る人から励ましの言葉をかけられることもある。逆に沖縄に基地がある

から日本は安全なんだと、非難めいた態度の人もいる。インターネットで辺野古のことを知ったという若

者が座り込みに来ることもある。今の情報社会ではマスコミの情報は操作されていて、辺野古のことは殆

ど取り上げられない。しかし、インターネットでは現地の状況が動画でも見られるし、インターネットに

よって伝わっていく可能性がある。私はこの4日ほど祈る思いで国会前の座り込みを続けた。辺野古の現

地では、ボーリング調査が始まることによって、反対派住民と調査に協力せざるを得ない漁民たちの分断

が進み、同じ村の人々同士が争わざるを得ない悲劇としか言いようの無い現実が起こるだろう。つらい闘

いになる。日曜日から辺野古に行っているYさんから今夕も電話があった。カヌーでポイントまで行った

と言う。沖縄のジュゴンのいるサンゴ礁辺野古の美しい海に普天間基地の代替基地が作られないよう

に、そのために反対運動している人たちのことを覚えて祈って欲しいと思う。

 また別の方から発言がありました。古い友人が自宅の近くにいる。隣人としてのお付き合いをしてい

る。その方と辺野古のことを話すことができた。何か感じることがあったのか、小銭を貯めていた貯金箱

2個出してきて、辺野古のカンパにと言う。嬉しかった。その友人と今後も貧しくとも心豊かなお付き合

いを続けていきたい。