なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(318)復刻版

 今日も黙想と祈りの夕べ通信(318)復刻版を掲載します。2005年10月のものです。

 以下通信の内容の中に辺野古のことが記されていますが、普天間基地辺野古への移設問題では、現在

国から沖縄県に出ている辺野古の埋め立て申請書に、仲井間知事が承認するかどうかを12月中には決

めることになっています。沖縄県民は県外移設が圧倒的ですが、どうなることでしょうか。仲井間知事が

県民の意向に沿った決定をするように願うものです。       


        黙想と祈りの夕べ通信(318[-5]2005・10.30発行)復刻版


 10月24日(月)から25日(火)にかけて第3回常議員会が教団会議室でありました。私は23日(日)の

夜に有志の会があり、東京にでかけ、一度戻り、24日は高田の馬場のホテルに一泊しました。常議員会で

は九州教区で起きたセク・ハラに対する教団の対処が余りにも被害者の立場を無視するものではなか。再

度きちっと対応してほしいという要望が、特に当該教区である九州教区から出されました。それに対して

は、既に教団の教師委員会が戒告処分にしたことで終わっているというのが執行部の判断のようです。そ

れ以上踏み込んでこの問題に関わる気が執行部にはないとしか思えません。セク・ハラを受け、またその

後のキリスト教関係者の対応によって二次被害を受けて、現在も仕事ができない状態の被害者に対して、

教団のすることがさらに被害者を傷つけるのではないかと思い、心が痛みます。同じことは沖縄教区との

関わりにおいても言えるように思えてなりません。第33回合同後18回教団総会で沖縄教区提案の「名称変

更議案」が審議未了廃案になって、その後沖縄教区が教団との間に距離を置く決断をしから既に3年が経

過しています。山北議長は山里沖縄教区議長へ常議員会毎に出席の要請をしているが、出て来ないし、会

ってもくれないので、どうすることもできないと言うのです。そういう議長はじめ現在の教団の執行部側

には人間としての他者の痛みへの共感が失われているとしか思えません。聖餐の問題でも、未受洗者に開

かれた聖餐は教憲教規違反であり、「正しくない」聖餐執行というレッテルを貼ろうとしています。一致

や秩序を損なう者は異端ででもあるかのような考え方が強くなっていくのではないかと思います。そうい

う傾向に対してきちっと批判的に対峙していきたいと思っています。

 上記の私の発言に続いて、一人の方から発言がありました。普天間基地の移設が辺野古で日米が合意し

たというニュースが流れた。大変動揺している。辺野古の人たちは沖縄にではなく、海外移転を求めて闘

ってきている。今回の合意を受けて、米国の担当官が日本の国が決めたのだから責任を持って建設するよ

うにと言って帰国していった。この合意通り辺野古に基地建設が進められたら、反対の側に逮捕者も出る

に違いない。人の少ない沖縄の北部を要塞にするという米側の意図があるようだ。そうなれば、沖縄にま

たまた負担をかけることになる。人の目につかないところに基地が、住民を差し置いて、国と国の間で決

められていく。辺野古に座り込んでいる人たちがどんなに悲しむことか。どう祈ったらよいのか分からな

い。セクシュアル・ハラスメントのことでは、常議員会の議論がセカンド・ハラスメントではないか。大

きなものが小さなものを飲み込んでいく国とか教団の体質は、神さまの御旨を思うとき、御旨とは違う方

向に進んでいくように思えてならない。祈りながら、何が出来るかを求めていきたい。

 続いてもう一人の方から発言がありました。私の友人で真言宗関係の新興宗教である真如苑に入ってい

る人がいる。東京にもあちこちに集会所がある。70年で信者が80万人ということである。この宗教の中身

はよく分からないが、興味があってその集会に行くことがある。中身は別として、集会に行くと、「お帰

りなさい」と言って迎えられる。話の中で自分たちの信仰をみんなに伝えなければいけないとよく言うの

で、信者はいろんな場で信仰を伝えているのかなーと思う。教団の場合、信仰は教会では語られるけれど

も、日常の場で語っているかというと、その点は弱いように思われる。