なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

判決日に向けて

 
 2013年2月25日(月)午後2時、東京地方裁判所103号法廷で判決があります。
 
 
 来年2月25日(月)午後2時より東京地裁103号法廷で、私の訴えが「法律上の争訟に値するかど

うか」という法律上の問題についての判断が、裁判所から出ることになりました。この判決は、教

団側が一貫して、政教分離、宗教団体の自治権、戒規は宗教上の教義と密接不可分で一般社会での

懲戒免職とは異なるという主張を繰り返していますので、その点に対する裁判所の判断が下される

ということになります。それが中間判決の場合は裁判が続行し実質審理に入って行きますが、終局

判決の場合は一審の裁判はそこで終わることになります。その意味で2月25日は私の裁判にとりま

して、大切な第一関門ということになります。

 そこで支援会では、近々「公正判決を求める要請書」の署名を皆さんにお願いすることにしてい

ます。もし署名用紙が送られて行きましたら、どうぞご協力をよろしくお願い致します。署名は日

本基督教団に所属している人に限らず、キリスト者でない方も、どなたでもよろしいということで

すので、出来るだけ多くの方々にしていただければと願っています。

 以下、12月3日に行われました第2回口頭弁論において教団側島林樹弁護士によって行われた「被

告教団の意見陳述」を記しておきます。教団側が私の戒規免職処分について、提訴以来このような

理解をしていることに出会い、何時から教団はこのようになってしまったのか、という驚きと怒り

を感じています。一つ一つ反論をしたいところですが、今回は控えておきます。ただ、教団に所属

する出来るだけ多くの方々にこのような教団の考えを知っていただきたいと思っています。



               「被告教団の意見陳述」


 1、本件訴訟は再三にわたる中止勧告にもかかわらず、未受洗者に対する配餐をつづけた原告に

対し、被告教団が教憲・教規にしたがって戒規処分を行ったところ、これを人権侵害にあたるとし

て、同戒規処分の無効確認及び慰謝料1000万円とする損害賠償請求訴訟を提起したものでありま

す。

 そこで、被告教団にとって本件訴訟の意義を考えますと、ひとつには「信仰告白」と「教憲・教

規」における洗礼と聖餐の一体性と秩序を守る信仰的意義を有します。と同時に宗教団体としての

被告教団の自律的決定権を守る訴訟上の意義を有するものであります。

 2、申し上げるまでもなく、日本国は憲法第20条1項及び3項は信教の自由と政教分離の原則

を定め、同規定をうけて、宗教法人法第85条は「この法律のいかなる規定も文部科学大臣都道

府県知事及び裁判所に対し、宗教団体における信仰、規律、慣習等宗教上の事項についていかなる

形においても調停し、若しくは干渉する権限を与え、又は宗教上の役職員の任免その他の進退を勧

告し、誘導し、若しくはこれに干渉する権限を与えるものと解釈してはならない」と明記して宗教

団体の自治性、自律性を尊重しているのであります。

 3、 また、最高裁(昭55.4.10判決)も「宗教法人は宗教活動を目的とする団体であ

り、宗教活動は憲法上国の干渉からの自由を保障されているものであるから、かかる団体の内部関

係に関する事項については原則として当該団体の自治権を尊重すべく本来その自治によって決定す

べき事項、殊に宗教上の教義にわたる事項のごときものについては、国の機関である裁判所がこれ

に立ち入って実体的な審理、判断を施すべきものではない」と判示して宗教団体の自治権を尊重

し、これに裁判所が介入すべきでないことを確認しているのであります。

 4、ところで原告はこれらの憲法上の原則について十分承知しながら、本件訴訟において戒規処

分を労働法上の懲戒処分、あるいは懲罰規定と同一視し、他方、戒規処分の手続上の瑕疵は、裁判

所の審査の対象になると主張して憚らないのであります。しかしながら、戒規処分は被告教団の教

規にもとづくすぐれて宗教的な決定であり、伝統的にプロテスタント教会における「戒規」は「福

音の正しい説教」「聖礼典(洗礼と聖餐)の正しい執行」と並んで、「教会のしるし」とされてい

るほどに、教会の存立の信仰的支柱であります。また、その内容は、キリストの弟子としての在り

方、生き方への「訓練」であり、「規律」であって、悔い改めによる「解除、復帰」が期待されて

いることは再三申し上げたとおりであります。加えて、戒規処分を実効あらしめる手続規定は被告

教団の教規にもとづく被告教団固有の専権事項に属し、手続規定のみを抽出して民主主義的な市民

法原理にすりかえて、いわば脱法的に裁判所の介入を求めようとする原告の論理自体、歴史上幾多

の血を流して確立されてきた信教の自由と政教分離の原則に対する重大な挑戦であるといわなけれ

ばなりません。

 5、どうか、裁判所におかれましては、本件訴訟の本質を深く洞察され、宗教団体の自律決定権

を擁護する公正な判断をせられるよう切望する次第であります。また、原告に対しては、悔い改め

をもって一日も早く復帰の道を選択せられるよう切に祈るところであります。

                                      以上