マルコ福音書による説教(63)、マルコ福音書14:66-72
・今日はイエスの大祭司宅における審問中に、ひそかに大祭司の庭に忍び込んで様子をうかがっていたペトロが、イエスを知らないと3度否認した物語から、私たちへの語りかけを聞きたいと思います。
・イエスの受難物語の中で、イエスは弟子からも見捨てられました。イスカリオテのユダの裏切りとペトロが3度イエスを知らないと言ってイエスを否認したという出来事は、正にイエスが弟子達からも見捨てられてしまったことを意味しています。このことは、イエスの受難がただ単にイエスの反対者たちからの攻撃というだけでなく、自分の身内の人間の中からもイエスが見捨てられてしまったということを告げています。それは、イエスの受難と十字架という出来ごとが本当に悲惨な出来事だったということでもあります。
・ところで、ペトロがイエスを知らないと3度イエスを否んだということが、どうして初代教会の中に伝えられて、今日のマルコによる福音書の中に記されているようになったのでしょうか。この出来事は、ペトロ自身にとしては、余り人に知られたくない自分の汚点ではないかと思います。イエスの一番弟子と言われていたペトロが、イエスを知らないと言ってしまったということですから、誇りに出来ることでは全くないからです。むしろペトロにとっては出来れば隠しておきたい出来ごとだったと思うのです。
・しかし、このペトロのイエス否認の物語は、マルコ、マタイ、ルカ、ヨハネの4つの福音書すべてに記されています。ということは、イエスが審問をうけた大祭司の庭で、ペトロがイエスを3度知らないと言ったということが、初代教会の中で広く伝わっていたということを意味します。しかも、そのイエス否認という内容からして、ペトロ自身が言わなければ、他の人にはわからなかったことです。おそらく、イエスの死後、イエスの復活、聖霊降臨を通して誕生した教会の中で、このペトロのイエス否認の物語は、ペトロ自身が自らの体験として語ったことから、広く人びとに知られるようになったのではないかと思われます。
・もしそうだとしたら、ペトロのどこかにイエスが逮捕された時、他の弟子達は皆逃げ去ってしまったが、自分だけは逮捕されたイエスが大祭司の家に連れて行かれてからも、心配してその様子を伺うために大祭司の庭に密かに忍び込んでいたんだという思いがあったのかも知れません。つまり自分はイエスが逮捕されてからも逃げ出さなかったという自負です。他の弟子達とは違い、まだ自分にはイエスを簡単には見捨てなかった勇気があったのだという思いです。
・たしかにイエスが逮捕されて連れて行かれた大祭司宅の庭に忍び込んで様子を伺うということは勇気ある行動だったでしょう。実際、ペトロは大祭司に仕える女中の一人に、火に当たっていた自分をじっと見つめられて、「あなたも、あのナザレのイエスと一緒にいた」と言われて、見つかってしまったとき、「あなたが何のことを言っているのか、わたしにはわからないし、見当もつかない」と言って、出口の方へ出て行ったと記されていますが、大祭司の家を出て行ってしまったというわけではありません。その後また、「女中はペトロを見て、周りの人々に『この人は、あの人たちの仲間です』とまた言いだした」と言われているからです。「ペトロは、再び打ち消した。しばらくして、今度は、居合わせた人々がペトロに言った。『確かに、お前はあの連中の仲間だ。ガリラヤの者だから』。すると、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、『あなたがたの言っているそんな人は知らない』と誓い始めた。するとすぐ、鶏が再び鳴いた。ペトロは、『鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう』とイエスが言われた言葉を思い出して、いきなり泣き出した(身を投げ出して、泣いた(田川)」というのです。
・バークレーはこのように言っています。「誤解しないように―ペトロは不思議な勇気を持った者のみに臨む誘惑におちこんだのだ。同じような状況にいたとしても、決してペトロのように誘惑を感じない臆病な、身の安全をのみ努めている小心者が、ペテロが誘惑に負けたのを非難するのはおかしい。誰にもその極限がある。ペテロは彼の極限に達した。しかし千人のうち九百九十九人は、その極限に彼よりもずっと以前に達していただろう。われわれは、彼の失敗に衝撃を受けるより、むしろペテロの勇気に驚くべきだろう」。確かにそういう一面があったのかもしれません。
・ペトロには、他の弟子たちのようにイエスを見捨てて簡単に逃げ出したのではないという思いと、それにもかかわらず、結局自分もイエスを知らないと言ってしまったという悔恨の思いが強くあったのではないでしょうか。ですから、ただ他の弟子達よりも自分の方がイエスのことを何倍も思っていて、大祭司の庭に忍び込む勇気があったのだというそれだけでは、ペトロとしてもイエス否認の事実を後に教会の仲間に語ることはできなかったのではないでしょうか。ペトロにとって、このイエス否認の出来ごとには、もう一つ重要な点があったのではないかと思うのです。自分がイエスを知らないと否なんだにもかかわらず、「それでも、この驚くべきイエスは、決してわたしを愛することをやめられなかった」(バーークレー)という、自分のような者もイエスは見捨てないで大切にしてくださっているというイエスに対するペトロの思いです。
・パウロもローマの信徒への手紙3章で、詩編の言葉を引用して、このように語っています。「正しい人はいない。一人もいない。悟る者もなく、神を探し求める者もいない。皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。善を行う者はいない。ただ一人もいない。彼らののどは開いた墓のようであり、彼らの舌で人を欺き、その唇には蝮の毒がある。口には、呪いと苦味で満ち、足は血を流すのに速く、その道には 破壊と悲惨がある。彼らは平和の道を知らない。彼らの目には神への畏れがない」。そして、「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによって贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです」と言っています。イエスが逮捕され、大祭司の所で裁判を受けて、死刑を宣告されて、ピラトの下に送られようとしている、イエスにとってはまさに危機的な状況にあったときに、弟子である自分がイエスを知らないと否んでしまった。何という取り返しのつかないことをしてしまったのか。自分は本当にダメな人間だ。そう思っていたに違いないペトロが、イエスの死後復活されたイエスとの出会いを通してでしょう、こんな自分のような者でも決して見捨てずにイエスは今も愛し、大切にしてくださっているのだということを知ったのでしょう。
・その意味では、ヨハネの福音書でイエスの復活後の物語として(21:15-19)、イエスと弟子達とが食事をして、その食事が終わるとイエスがペトロに3度「わたしを愛しているか」と問うたということが記されています。それに対してペトロは、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存知です」と答えます。すると、イエスは「わたしの小羊を飼いなさい」と言われたというのです。ヨハネのこの個所では、イエスとペトロの問答が3度繰り返されたというのです。その部分を読んでみたいと思います。
・ヨハネ福音書20:24-29朗読。
・ペトロは自分の中にある勇気によってイエスに従うことができたのではありません。人間的には他の弟子達とは違って、みんなが逃げ去ってしまったときにも、なおイエスのことを心配して大祭司の庭に潜り込んでイエスの様子を伺うということをしました。けれども、そこでイエスを知らないと否んでしまい、結局他の弟子達と同じように最後までイエスに従うことができませんでした。ペトロが立ち直ることができたのは、彼自身の勇気によってではなく、「それでもイエスは自分を愛し、大切に思っていてくれている」というイエスの真実によってではないかと思います。私たちは自分の義によって立つことができるのではなく、イエスにおいて示された神の義によって立つことができるのです。
・ペトロの否認との関係でP.パーキンスはマルコの注解書の中で、「今日のキリスト者の大部分が否認の問題と直面するが、その状況は、非常に多様性がある」と言って、パーキンスが挙げている事例の一つとして、「キリスト者が、人種差別や性差別から生じる言葉による虐待や、その他様々な形態の不正を他人が受けるのを、傍観したり、許容したりする可能性もある」と言っています。ペトロの否認と同じ問題に現代のキリスト者が直面している一つの状況として、差別や抑圧による不正な人権侵害を黙認していることだと言うのです。
・ペトロは「それでもイエスが自分を愛したもう」というイエスの真実に触れて、おそらくイエスに従っていったと思われます。イエスを否認してしまったにもかかわらずこんなに自分が大切にされ、それでも自分を大切に愛してくれる方が、同じように一人一人を大切に愛しておられる。それなのにその一人一人の命と生活が差別・抑圧によって脅かされているなら、それをそのまま放置するのは、イエスを否認することと同じではないかというのです。
・今日は沖縄でオスプレイ配置反対の県民集会が開かれます。岩国教会の大川牧師からのメールでは岩国でも沖縄と連帯の集会が行われるということです。東京でも午前11時から国会包囲・沖縄県民集会との同時アクションがあります。原発の問題と共に基地の問題も、私たちが否認によって傍観者として、それによって命と生活が脅かされている人たちを切り捨ててはならないと思います。
・そのような文脈の中で、「それでもイエスは私を、そして一人一人を大切に愛していたもう」というメッセージを真摯に受け止めたいと思います。