なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

使徒言行録による説教(7)

 毎週土曜日は説教を掲載していますが、先週は上地真樹さんの声明を転載させてもらいましたので、今週は金曜と土曜の2回説教を掲載します。  
   
          使徒言行録による説教(7)使徒言行録2:14-21
             
・今日は二本のローソクに灯が点りました。一歩一歩クリスマスに近づいています。先週の日曜日にも申し上げましたが、今日の説教も使徒言行録の続きである2章14節からメッセージを与えられたいと思います。

・2章14節から42節までは、新共同訳の表題では「ペトロの説教」となっています。14節では、「すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた」と記されています。イエスの死後、人目を避けて身をひそめていた彼らが、今や自らみんなの前に公然と立って、「声を張り上げ、話し始めた」というのです。その変貌は見事という他はありません。彼らはイエスの十字架に躓いて、裏切り、否認、逃亡という形で、イエスを見捨ててしまった者たちでした。このペトロの説教では、その見捨てたイエスを「主、メシア(救い主)」として宣べ伝えているのです。「イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。あなたがたが殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです」(36節)と。

・このペトロの説教<宣教(ケリュグマ)>は、ルカによるものだと思われますが、何らかの形でペトロも人々の前で説教に類することは話したと思われますから、このような説教はどのようなペトロの内的確信から、ペトロ自身の中で生まれたものなのでしょうか。ケリュグマそのものは、ペトロだけのものではなく、最初期の教会の人々に共有されたものだったと思われます。ペトロは、その最初期の教会の宣教(ケリュグマ)をただオーム返しに語ったのではないと思います。彼自身の中に、このケリュグマに自分の人生を賭けて、イエスの復活の証人として生きて行く決断があったと思われるからです。

使徒言行録によれば、「イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、40日にわたって彼らに現れ、神の国について話された」(1:3)と記されています。このことによってペトロの内的確信が生まれ、イエスの復活の証人として生きて行く決断が出来たということでしょうか。そうなのかも知れません。そうだとしても、ペトロにとってイエスの十字架の躓きがどのような形で乗り越えられたのでしょうか。少し聖書のテキストを越えて、その点を踏みこんで考えてみたいと思います。

パウロは、「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です」と、コリンとの信徒への手紙一に書いています(第一コリント1:18)。この言葉によって、ペトロがイエスの十字架の躓きをどのように乗り越えることが出来たかのかを知ることができると思います。パウロの言う「十字架の言葉」は「イエスの十字架」を意味しますから、このパウロの言葉ではイエスの十字架は神の力だということになります。おそらくペトロも、イエスの復活の顕現に出会って、イエスの十字架は神の力だという確信に導かれて行ったのではないでしょうか。

・イエスの十字架はイエスの生前の活動の帰結です。イエスは生前弟子たちや彼に従ってくる人々と共に、神の国の福音を宣べ伝え、ユダヤの社会の中で周縁に追いやられ、虐げられた者の友として歩まれました。神の国では、人は皆神の恵みによって生かされて生きている者であり、その人生を喜びと感謝をもって生きていくべき存在です。それにも拘わらず、この世では人を生かすのではなく、むしろ人を殺す神に反する悪しき力が働いていて、それによって苦しむ人びとが多く存在します。イエスはそのようなこの世に神の国が既に到来していることを信じ、神に反する悪しき力と闘い、悪しき力に支配されている人々を神の国の住人として招かれました。その結果十字架死を享受しなければならなかったのです。神はそのイエスを甦らせて、十字架に極まるイエスの生前の歩みこそが神の国に至る命の道であることを示されました。

・ペトロの内的確信とは、十字架に極まるイエスの生前の歩みこそ、神の国に至る命の道であるという信仰だったのではないでしょうか。そしてそのような生前の生きざま・死にざまによって命に至る道を示してくださったイエスが、今復活されて、今も生きていて自分たちに先だって歩んでいたもう。だからその後に従って自分たちも歩んでいくのだというのが、ペテロの内的確信だったのではないかと、私は想像いたします。

・人々の前で大胆に語るペトロには、そのような内的確信に満ち溢れていたのではないでしょうか。そしてペトロがそのように導かれたのは、復活の主との出会いと共にペトロに聖霊が注がれたことによるからなのでしょう。このようなペトロの変貌は、自分自身の中から生まれのではありません。復活の主イエスの出会いと聖霊の注ぎという、ペトロにとっては他者からの働きかけによってです。それが神からの働きかけと言えるでしょう。

・この神からの働きかけは、ペトロだけではなく、他の十一弟子にも、最初に誕生した教会に集まった人々にも、そして今の私たちにすべてにも、与えられているのではないでしょうか。信仰をもってこの見えない神の働きかけに身をさらす者は、イエスの復活の証人として神の国に至る命の道をその人なりに歩む人に変えられていくのではないでしょうか。その意味で、ペトロと十一弟子の変貌は特別のことではないと思います。

・さて、イエスの弟子たち(使徒たち)が語るのを聞いて、人々は、彼らは「新しいぶどう酒に酔っているのだ」と嘲笑した(2:13)と言います。それに対して、ルカはこのペトロはこの説教の初めにヨエル書の一部を引用して、事実はそうではなく、聖霊が注がれたからだと論証しています。このヨエル書からの引用は、ギリシャ語訳聖書から一部変更を加えて引用されていて、このヨエル書の預言が最初期の教会において実現したことを言い表そうとしています。

・「神は言われる。/終わりの時に、/わたしは霊をすべての人に注ぐ。/すると、あなたたちの息子と娘は預言し/若者は幻を見、老人は夢を見る。/わたしの僕やはしためにも、/そのときには、わたしの霊を注ぐ。/すると、彼らは預言する。」(17-18節)。

・ここには、ペトロをはじめとして十一弟子たちにだけ聖霊が注がれるというのではなく、老いも若きも、男も女も、あらゆる階層の別を越えて、すべての人に神から直接に霊が注がれると言われているのです。それまではエルサレム神殿の至聖所に神が現臨するとされ、人々にそれを取り次ぐのは祭司による祭儀を媒介として人々に神の賜物が与えられると考えられていました。それが、すべての人に直接神が霊によって臨むというのです。これは当時としては画期的なことでした。宗教家だけではなく、一般の市井の人すべてに霊が注がれているというのです。このことは、本質的には神と人間を媒介する特別な宗教家も宗教施設もいらないということを意味します。信仰者の交わりである教会の誕生にとって、このことは決定的な事です。ところが、歴史はこの本質的な事実をだんだんと歪めていきます。時が経つうちに、そのようにして誕生した信徒の交わりとしての教会が、制度化されて行き、ユダヤ教と同じになってしまうのです。現在もその歴史の重荷から私たちは自由になっていません。教職者も教会の建物も、信徒の交わりであるコイノーニアとしての教会に仕えるために機能的に必要なだけです。

・もう一つ、このヨエル書からの引用の中には、「世の終わりには、恐るべき天変地異が臨み、苦難の時が襲来するであろうが、『主の名を呼び求める者』はみな救われる」と言われています。ヨエル書では「主」はヤハウエですが、ここではキリストの意味です。

・初代教会の信徒は、キリストの再臨を待ち望んでいました。その時には、イエスを主と信じて生きる信仰者は最後の審判によっても滅びることがなく、永遠の救済を得ることが出来るとい信じていました。そのことが、ここに言い表されていると言えましょう。

・ルカはその信仰によって「地の果て」までの伝道を考えていたのではないかと思います。
ルカが「主の名を呼び求める者」ということで、「自分の十字架を負って私に従ってきなさい」というイエスの招きに答えて、イエスの十字架に極まるイエスの生きざまにこそ命に至る道を発見し、その道を歩む者のことを考えていたのかどうかは分かりません。「主の名を呼び求める者」を、洗礼を受けた信徒に限定して、洗礼を受けている者だけが救われている者だと考えていたのかも知れません。もしそうだとすれば、私は、ルカを越えて前者のイエス招きに応える者でありたいと願います。