なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(70)

  
           船越通信癸沓亜  。横娃隠嫁8月12日    

・8月5日(日)は平和聖日の礼拝でした。船越教会では平和聖日の礼拝で聖餐式を行っています。船越教会の聖餐式は教会独自の式文によって行われます。この式文は、多分私の神学校時代の同級生の友人が1970年代に船越教会の牧師をしていた頃に作られて、今使っているのは「2003年8月3日改訂版」です。通常聖餐式の序詞に当たる部分が、司式者(司会者)と会衆(一同)の交読になっています。式文は以下の通りです。

・「司会:一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それをさき、弟子達に与えて言われた。「取りなさい。これは私の体である。」また、杯を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった。彼らは皆、その杯から飲んだ。そして、イエスは言われた。「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。」(マルコ14:22~24)
 
 一同:「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人(つみびと)を招くためである。」(マルコ2:17)
 
 司会:主イエスは当時、社会から疎外されていた罪人(つみびと)(地の民)、取税人、病人、飢え渇く者たちと食事を共にし、神の国は万人のためにすでに開かれていることを身をもって語られました。他者を罪人とすることによって他者を排除し、自分の正しさを誇り、「自分たちこそ神の国に入る資格や知識、信仰を備えている」という考えをしりぞけました。
 
 一同:私達はこの主イエスの生き方、言葉に感謝しつつ従います。私達は主イエスの招きに与ることによって、あらゆる差別と抑圧とを克服していきたいと願うものです。どうか、主よ、私達にそのような祈りと願いに導きと勇気を与えてください。
 
 司会:「イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて、弟子達に渡して配らせ、二匹の魚も皆に分配された。すべての人が食べて満腹した。」(マルコ6:41)
 主イエスは弟子達に、「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。」(マルコ6:37)と言われました。パンとぶどう酒はまず飢え渇いている人々にこそ与えられるべきものです。そのために私達は貧困と飢えを無くすべく、政治的、社会的改革に目を向けるように主イエスから問われ、依頼されました。人間の生命を維持するために日々必要とする食物がある人々には欠けている不平等な社会はイエス神の国にふさわしくありません。
 
 一同:主イエスの招きに与ることによって私達は「万人の命が尊ばれる社会、生命(せいめい)の維持を保障される社会」の形成に向かっていきたいと願うものです。どうか、主よ、この私達の祈りと願いに祝福と導きを与えてください。
 
 司会:「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人の身代金として自分の命を捧げるためにきたのである。」(マルコ10:45)
主イエスは私達に、他者を、また隣の国の人々を支配したり、抑圧したりするような生き方をしないように戒められました。主イエスの招きに与ることによって、私達は他者を、また隣の国の人々を支配してきた歴史を心から反省し、また今もなお様々な形で隣の国の人々を苦しみ続けている現実を直視します。
 
 一同:どうか主よ、私達が他者とともに、また隣の国の人々とともに助け合い、手を結んでゆく者となりますように。主の御名によって祈ります。アーメン」

・この後に配餐が行われます。この式文には聖餐式の文脈化が行われています。現在の日本の教会が直面している歴史的現実を踏まえて教会で行う聖餐式はどういう形がふさわしいのかという問題意識から式文が作られているからです。一教会の試作としての聖餐式の式文としては、なかなかよく作られているのではないかと、私は思っています。

・5日の日曜日は礼拝後「テーマ話し合い」があり、Tさんがキリスト者としてのご自分の歩みの中で出会った事件や人物、差別の現実とのご自分の関わりの在り様についてお話しをしてくださいました。Tさんのお話しは多岐にわたっていますので、ここで報告することはできませんが、いろいろな問題に関わる自分のスタンスについて話されたように思われます。それは生身の人間との直接的な関わりを大切にする姿勢のように思われました。差別や貧困の問題は社会構造に関わるわけですが、Tさんにとっては、社会構造の問題として問題を立てての関わりは間接的に感じられているようで、むしろ直接的な関わりにおいて自分自身何が出来るかを課題にしているようです。Tさんは日本の憲法前文が聖書の教えそのものではないかと考えておられるようです。日本国憲法前文は以下の通りです。

・「・・・・日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会おいて、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われえらは、全世界の国民は、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。(1946年11月3日公布)」

・9日は、私の裁判になりますが、準備手続きが裁判所で行われました。弁護士からの連絡ですと、次回も準備手続き(10月1日)が続きます。