なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

牧師室から(18)

 昨日の船越教会の礼拝には、さいたまからいらした新来者の方が出席されました。私の裁判を支援してくださっている方で、さいたまの仲間と共に応援しています、と励ましの言葉をいただきました。ありがたいことです。また、この日は午後神奈川教区の平和集会が紅葉坂教会であり、参加しました。沖縄返還40年ということで、「『日米安全保障条約』を『日米平和友好条約』へ~沖縄返還40年を考える~」と題して、名古屋の「自衛隊イラク派兵差止訴訟」を担った一人である池住義憲さんの講演がありました。実は池住さんを呼んで「日米安全保障条約」を踏まえた話をしてもらったらと、私が教区の基地・自衛隊問題小委員会に要望したことが、今回実現しました。池住さんの話を聞いて、平和運動のやり方についてヒントを与えられました。自分なりに生かしていきたいと思っています。 

 以下は、以前に教会の機関紙に書いたものですが、ちょうど2年前の教団総会前後の文章です。

               
                   牧師室から(18)

 
 先日教団関東教区の茨木地区牧師研修会に招かれて、はじめて大洗に行ってきました。上野から水戸に行き、鹿島臨海鉄道大洗駅下車です。そこにM牧師が車で迎えに来てくれました。会場は大洗の漁港に近い宿で、県の関係の施設ということでしたが、大洗では一番人気のある宿ということでした。なかなか立派な宿でした。
 
 さて茨木地区の牧師研修会に私が招かれたのは、聖餐のことで戒規を受けた私から直接話を聞きたいと、一人しかいない牧師会の委員であるM先生から依頼があったからです。当初M先生は、私と共に東神大の学長である近藤勝彦さんにも依頼したようですが、近藤さんは都合が悪く断られたということでした。そういうわけで、講師は私一人で一時間半の時間を3回、話をするというプログラムでした。私は、聖餐について、教師退任勧告および免職問題、戦責告白をめぐる教会のあり方について3回話をしました。

 茨木地区は茨木一県の地域になりますが、教会数は19です。ちなみに神奈川一県には110弱の教会があります。19のうち11の教会には幼稚園・保育園が併設されています。この地域では各個教会の存続が厳しく、そのために牧師の方々が労苦されていることがひしひしと伝わってきました。多分今教団で問題になっています私の免職問題も、なかなか自分の問題としては担いきれないものがあるのではないかと思わされました。けれども、普段から教団茨木地区牧師会に出席しているという在日大韓基督教会の二人の牧師の方を含めて、20名弱の方々が真剣に私の話に耳を傾けてくれました。その中には以前横浜の教会で伝道師をしていた方もいて、彼だけは教憲教規違反ということを言っていましたが、それでも地区教師会に出てきて、他の方々と共に歩もうとしている彼の姿勢には共感しました。
                                       2010年9月


 以前Hさんを招いて教会で、セクシュアル・ハラスメントについて学んだことがあります。そのとき、Hさんは、被害者の女性の痛みを講演で話すとまどいにか、聴衆との距離にか、言葉が詰まって、講演を中断して、外の空気を吸いに行きました。そして一息入れて、また講演を続けてくれました。その後私は、セクシュアル・ハラスメントを受けた女性の痛みにHさんのようには敏感になれない自分の鈍感さを詫びました。するとHさんから長いメールが来て、その中に田中美津の『いのちの女たちへ~とり乱しウーマン・リブ論~』を、帰って読み返したとありました。私は田中美津とこの本については知っていましたが、まだ読んでいませんでしたので、その後本を購入して読みました。先のメールの中でHさんは、この本の中から以下の言葉を引用していました。

 「いま痛い人間は、そもそも人にわかりやすく話してあげる余裕など持ち合わせていないのだ。しかしそのとり乱しこそ、あたしたちのことばであり、あたしたちの生命そのものなのだ。それは、わかる人にはわかっていく。そうとしか云いようのないことばとしてある。痛みを原点とした本音とは、その存在が語ることばであり、あたしたちの〈とり乱し〉に対して、ことばを要求してくる人に、所詮何を話したところで通じる訳もないことだ。コミュニケートとはことばではなく、存在と存在が、その生きざまを出会わせる中で、魂を触れ合わせることなのだから! 〈わかりやすい〉ということと〈出会っていく〉ということとは、まったく別の事柄だ」。

 Hさんは、「このことばに支えられて、今の自分があります。やっぱり、今回もこのことばに戻って、今からあゆみだしたいな、と思わされています。」と、メールを締め括っていました。
 何故か今、私はこのことを思い出しています。
                                       2010年10月


 小さな体験でしたが、10月末に開催されました教団常議員会及び教団総会で、それぞれ常議員席と教団総会議員席に私は座り続けました。山北議長は、私が既に免職決定により常議員でも教団総会議員でもないから、その席から退席するように勧告はしましたが、それ以上に実力で追い出すことはしなかったからです。ですから私は、一切の発言は許されませんでしたが、抗議の意味でただそこに自分の体を置き続けました。  

 総会の中で私を免職にした教師委員会松井睦委員長が発言する時がありました。彼は、私を免職にしたのは「誰でも申立人になれる」という信仰職制委員会の答申を受けて、教師委員会として戒規申立の内規を改定し、小林貞夫常議員から出された申立書を受理したことを、とくとくと話しました。私は思わず、前から参列目の神奈川教区の議員席にいましたので、松井委員長に向って「内規は教団規則ではない」とヤジを何度も飛ばしました。

 すると、隣にいた神奈川教区から選出されている教職の教団総会議員が、「先生余りヤジを飛ばすと、追い出されますよ」と心配して注意してくれました。懲戒処分に当たる戒規を一委員会の内規の改定によって執行されてはかないません。少なくとも教団総会の議を経て成立した規則によって戒規は執行されるべきだからです。発言を終えた松井委員長は、帰りがけに私の顔を睨みつけていきました。このヤジ以外三日間の総会中私はただ黙って、神奈川教区が私の代わりに総会議員を出すようにという教団の意向に逆らって確保してくれた私の議員席に座り続けました。

 子どものいじめの中で、クラスのみんなから無視され続けるということがあるようです。その子は本当につらいだろうなあと思いました。私の場合は抗議の意思がありましたが、それでも、私の存在を無視する場に身を置き続ける痛みは感じました。
                                      2010年11月


 寿の委員会でも他の神奈川教区の社会委員会に属する様々な社会の問題と取り組んでいる委員会に委員として参加いている方々の中には、自分が所属している教会との間に意識のずれがあって、そのことで悩んでいる方が案外多いのです。それは、自分たちが取り組んでいる社会的な課題について、自分が所属している教会の関心度が低いということが原因であったり、中には牧師の姿勢から社会の問題よりももっと教会のことを一所懸命してほしいとう暗黙のメッセージを感じて、その教会にいずらいという場合もあるようです。
 
 このような教会の姿勢は、なか伝道所の牧師であるWさんが常々批判しています、自分たちのことしか考えない「住宅街の教会」の悪しき特徴と言えるかもしれません。住宅街の教会の構成メンバーは歴史的には社会的上層階層を望む中産階層の人々で構成されてきました。今そういう人たちが教会の構成メンバーの多くを占めている典型的な教会は、セレブな人たちが住んでいる地域にある教会だと思います。例えば神奈川で言えば、田園都市線の沿線にあるような教会でしょう。そのような教会に集まっている方々の多くが教会に求めるのは心の平安ではないでしょうか。社会的な差別抑圧と闘って社会を変革したいという意識を持ち、行動したいという人は少ないでしょう。また、現在の教団の大勢は「それいけ伝道」路線をとっていますから、教会の人数と財政の拡大を目標にしています。その路線を継承している教会では、社会の問題に関わることはその目標とは相いれないと思われてしまうでしょう。このずれはそう簡単にはなかなか埋まらないと、私には思われます。

 私は、「明日の教団を考える会」のような問題意識を共有する方々が各個教会を越えてつながるネットワークが今は必要だと思っています。

                                      2010年12月