なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

牧師室から(19)

 今日は、私の夏期休暇中で鶴巻にいますが、これから藤沢大庭教会に行き、礼拝説教を担当します。船越教会の礼拝は、國安敬二牧師にお願いしました。ですから、今週は船越通信はお休みです。牧師室から(19)を掲載します。大部前に教会の機関紙に書いたものです。

                   牧師室から(19)

 これを書いているのは、5月17日の早朝です。18年間働いた名古屋のG教会からこの4月に横浜のM教会に転任いてから、まだ1ヶ月半が経っただけなのに、私の中では随分長い時間が経過したように思われます。人が感じる時間は、時計が刻む時間とは必ずしも同じではありません。同じ1時間でも、一人でいる時と誰かといる時では異なりますし、住み慣れた場所で過ごす時と見知らぬ旅先で過ごす時とでも違います。また、自分の体調によっても自ずから違うでしょう。この1ヶ月半の私の体験した時間は、多くの未知の方々との出会いによって随分長く感じられるのだと思います。

 その中でもFさんとの出会いは大変強烈です。着任してから10日位経った頃突然現われ、「M教会は障がい者や病気の人や貧しい者を差別する教会だ」と、激しい口調で言われるのです。前以てFさんのことは少しお聞きしてはいましたが、初めの頃はびっくりしました。けれども、彼の叫びに耳を傾けていますと、激しい言葉の中から、大切な「声」が聞こえてくるように思えるのです。今もよく電話がかかってきますが、初めの頃とは彼の態度も変わってきました。私は、私たちにとって他者である兄弟姉妹は私たちに出会うキリスト(イエス)でもあるということを、特にボンフェッファーから学びました。他者の存在を通して語るイエスの声を聞き損わないように努めていきたいと願います。
                               1995年5月

 私の牧師就任式が6月11日(日)に行われました。形の上ではこれで文字通り私はM教会の牧師になりました。改めてどうぞよろしくお願いします。

 さて、この教会だよりには拡大役員研修会での私の発題も載ることになっていますが、その最後の「具体的課題」の中に、高齢者への教会の対応を挙げておきました。広報委員会によると「70歳以上の方々へのアンケート」の対象者は96名とのことです。この数は現住陪餐会員の約三分の一になります。その事実によっても私たちの教会が高齢化社会に入った日本社会の現状をそのまま反映していると言えるでしょう。そういう教会にあって私たちはどんな交わりを創り出していけるのかが問われていると思います。

 私が着任してから今までに訪問したり、連絡をとれた教会に来られない方々を通して感じさせられますことは、家族の方々や友人たちの日常的な親しい交わりに支えられて生活しておられる方の場合には、比較的精神的に安定しておられるということです。けれども、肉体的にはお元気な方でも、精神的な孤独感に襲われて苦しんでおられる方もいらっしゃいます。老いを豊かに生き抜くためには、交わりの中で支えられる面と、個として自立しなければならない面とあるように思われますが、普段から心がけていかれたらと思います。教会に来られない方々を覚えて、お祈りください。
                                1995年6月

 ひとりの人の個人史は、その人が生きた時代と社会の刻印であると言えるでしょう。また、ひとりの人の個人史は、他者との出会いの集積と言えるかも知れません。

 私は、8月の末に開かれました「障がい者と教会の集い」に参加して、荻生田千鶴子さんの「自分史」を聞く機会に恵まれました。荻生田さんは、文学座の女優で、自動車事故で昔から下半身が麻痺し、その状態でお連れ合いに支えられて独り芝居をされている方です。彼女は、お話の中で彼女を温かく見守ってくれた高校時代の恩師に触れて、その関連で「心友(「親友」から作った造語)ということを語られました。恩師が彼女を自分の子供のように長い目で見ていてくれたことが、どんなに彼女の力になったかという貴重な体験を踏まえて、彼女は、他者をもう一人の自分と思うことを「心友」と言いました。彼女が不自由なからだをかかえて独り芝居に打ち込めるようになったのも、彼女の周りに多くの心友がいたからでしょう。

 自己中心的な私たちは、他者を自分自身のように思うことの難しさにいつもぶつかります。そしてその厚い壁の前に孤独な者として佇むのです。けれども、そういう壁が破られて、お互いに相手を自分自身のように思える心友に支えられてそれぞれが生き得たら、その生それ自身が価値ある輝きを帯びるのではないでしょうか。そんな生を日々生き得たら、私たちは何と幸いなことでしょうか。たとえ今日という日が、この地上の最後の日であったとしても。
                                1995年9月

 一口に「教会」と言いましても、教会には多様な側面があって、どこを指すかによってソノニュアンスは随分違ってくるでしょう。建物としての教会、礼拝や聖書研究のような集まりとしての教会、教義や信条のようなものに結晶されている面を指して教会という場合もあります。また人の交わりを指して教会とも言います。

 9月24日に敬老祝会が開かれました。今年は祝われる方は68名いらっしゃいました。当日の参加は20名でした。その後参加できなかった方々をお訪ねして、プレゼントをお渡ししています。その訪問を通して改めて感じさせられたことがあります。それは、教会はいろいろな場所に散らされている会衆の一人一人の存在と生活でもあるということです。M教会という一個の教会が、そのような会衆の一人一人の生活の場にまで拡がりをもっているとするならば、これは、一個のM教会の大変豊かな可能性でもあると思えるのです。

 あたかも大都会のジャングルの中に点在しているかのような会衆の一人一人は、その置かれた場で個としてのその固有の課題と重荷を背負い、様々な人との関わりをどう生き抜いていくのでしょうか。その一人一人の人生の途上にイエスが伴ってくださり、イエスはその人の生き様・死に様をどのように彩ってくださるのでしょうか。

 欠けがえのないお一人をお訪ねする度に、その人でなければ咲かすことの不可能な、その固有の彩りの花の美しさに出会う喜びを味わわせていただいております。
                                1995年10月