なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

使徒言行録による説教(20)

       使徒言行録による説教(20)使徒言行録5章27-32節
               
使徒言行録の著者ルカが伝える最初期エルサレム原始教会の活動は、理想化されて描かれているように思われますが、イエスの福音が人々に告げられていくときに起こる人間模様も、同時に鋭く描かれているように思われます。

・今日の使徒言行録の物語は、大祭司を中心とする最高法院の議員たちが、危機意識を露わにして、使徒たちを尋問している場面になります。一度はエルサレム神殿のソロモンの回廊の前で奇跡的な癒しを行っていた使徒たちを、彼らは捕まえて牢に入れます。けれども、その夜に、使徒たちの上に不思議な事が起こりました。主の天使が現われ、牢の扉を開いて、使徒たちを連れ出し、使徒たちに「行って神殿の境内に立ち、この命の言葉を残らず民衆(民)に告げなさい」と告げます。使徒たちは主の天使に言われた通り、夜が明けると神殿の境内に入って教え始めたというのです。

・そのことを知らない大祭司らは議会を招集して、牢から使徒たちを連れて来るように下役を遣わします。しかし、牢には鍵がかかっていましたが、使徒たちはいません。その報告を祭司長らは聞いて、「どうなることかと、使徒たちのことで思い惑って」いました(5:24)。その時、人が来て、神殿の境内で使徒たちが民衆(民)に教えを語っていると告げます。大祭司らは神殿守衛長とその下役を遣わして、使徒たちを連れて来させます。神殿守衛長と下役たちは、「民衆に石を投げつけられるのを恐れて」、使徒たちに手荒な事をしなかったと記されています(5:26)。

・そのようにして、今日の記事にある尋問が行われたというのです。「彼らが使徒たちを引いて来て最高法院の中に立たせると、大祭司が尋問した」(5:27)と。この大祭司の尋問の内容はこのようなものでした。〇氾未燭舛イエスの名によって話したり、教えたりするのを禁じたにもかかわらず、彼らがそれを破ったこと。∋氾未燭舛龍気┐エルサレムの町に広まっていること。そして、イエスを十字架にかけて殺した責任を自分たちが追及されていることです。この大祭司の尋問の内容からしますと、イエスの名による教えを語る使徒たちの福音宣教において、大祭司らが直感的に受け止めて最も恐れたのは、自分の身の危険ではなかったかと思われます。

使徒たちの福音宣教の要約が、30節31節に記されています。その個所をもう一度読んでみたいと思います。田川訳で読んでみます。「我らの父祖たちの神は、あなた方が木に掛けて処分したイエスを甦らせました。このイエスをば神は導師かつ救い主として高め、みずからの右に(座せしめたのです)。それはイスラエルに悔改めと罪の赦しを与えるためでありました」。この使徒たちの福音宣教の要約の中心は、大祭司らへの呼びかけ、招きにあります。「イスラエルに悔改めと罪の赦しを与えるため」という言葉にそのことが示されています。

・私たちは福音書のイエスの物語で、イエスの福音宣教について知ることができます。マルコによる福音書の1章14節、15節には、マルコ福音書の著者によるその要約が記されています。そこには、「ヨハネが捕らえられた後、イエスガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい』と言われた」とあります。イエス神の国の福音において人々に悔い改めを求めました。悔い改めとは、しばしば申し上げていますが、生き方の方向転換です。神の支配としての神の国の到来を信じ、その神の国の住人としてそれにふさわしくこの世を旅人として生きていくことです。

使徒言行録における使徒たちの福音宣教も、このイエス神の国の福音宣教と連動しているのではないでしょうか。ルカの語る「悔い改めと罪の赦し」は改宗運動の傾向がないわけではありませんが、私はそれ以上にイエスの悔い改めとの共通性において、この使徒たちの福音宣教の要約を受けとめたいと思います。

・とするならば、使徒たちの福音宣教によって、大祭司らが問われたのは、勿論イエスを十字架にかけた血の責任もあるでしょうが、それ以上に、彼らの生き方の方向転換だったのではないでしょうか。「我らの父祖たちの神は、あなた方が木に掛けて処分したイエスを甦らせました。このイエスをば神は導師かつ救い主として高め、みずからの右に(座せしめたのです)。それはイスラエルに悔改めと罪の赦しを与えるためでありました」という使徒たちの福音宣教の要約が、それを物語っていると思うのです。

・たとえ人を殺した殺人者であったとしても、その人に求められるのは、報復としての死刑ではなく、その過ちを償って過去とは違う全く新しい人間として立ち直って神と隣人と共に生きて行くことではないでしょうか。大祭司らに求められたのも、まさにそのことだったと思われます。

・神がイエスを甦らせたというイエス復活の出来事によって、人間の生きている基盤そのものに大変動が起こったのです。それを伝える使徒たちの福音を、大祭司らが信じて受け入れた場合、彼らはどうなるでしょうか。

・まず、イエスの十字架を決定した最高法院の議決が誤りだったということになります。そして、イエスの名によって救われることを認めるということは、エルサレム神殿の営みの全ての根拠が奪われてしまうことを意味します。ですから、大祭司を始め祭司たちが神殿に詣でる人に与えていた罪の赦しの宣言も、もろもろの犠牲を捧げる祭儀の行為も無意味になります。更に、神殿に寄生して生きてきた彼らの生活基盤が失われてしまいます。ある意味で、彼らにとって使徒たちの宣べ伝える福音を受け入れることは、今までの彼ら自身の死を意味しました。罪の赦しに繋がる悔い改めとは生まれ変わりだからです。

パウロは実存的にはそのことをよくわきまえていました。例えばローマの信徒への手紙6章-14節に、古い自分に死んで、イエスの復活に与って新しい命に生きると記しています。「わたしは洗礼によってキリストと共に葬られ、キリストの死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです」(6:4)。「わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ばされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。死んだ者は、罪から解放されています。わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます」(6:6-8)。

・この生きることの方向転換を、大祭司らも、使徒たちが語る福音宣教によって、暗黙のうちに求められていることに気づいていたのかも知れません。しかし、大祭司らは、パウロとは違って、古い自分の死を認めることができず、逆に使徒たちの福音宣教を否定してしまったのです。何ということでしょうか。彼らは自らの国籍を、この地上における彼らがこれまで居座り続けていた神殿という宗教的・政治的権力の座から天に移すことが出来ませんでした。本当は、使徒たちの福音宣教に出会って、パウロと同じように、古き自分に死んで、罪の奴隷から解放されて、キリストと共に神に対して新しく生きていくべきでした。彼らにとっても、その神への道に生きることの方が、人を傷つけ、人を殺し続け、そのことによって自分自身も傷つけている罪の奴隷としての人生から解放されて、すべての人と共に、神に向かって平和と、正義に満ち溢れ、喜びの尽きない道に生きて行くことができたはずです。大祭司らは、彼らにとっても本当に大切な人生の節目を、そのチャンスを自ら逸してしまったのです。

・思えば不思議なことですが、それ程までに今までの生き方に固執してエルサレム神殿を彼らの生活基盤として、このチャンスに当って選び取った大祭司らは、60年代後半に始まったローマとの戦争の結果、エルサレム神殿そのものが崩壊し、彼らの生活基盤が失われてしまうことになります。歴史の皮肉と言えば、それまでのことですが、このことは、私たち自身に対しても、あなたは何を基盤にして生きているのですか、と問いかけているように思えてなりません。

・「福音宣教およびそれを信じ受けるということは、文字どおり生と死を分かつ厳粛な営みで」(高橋)ありましたし、それは今日でも同じことです。服従を伴わない安価な恵みを提供して、人を集めて、教会の教勢を増やすことが福音宣教という誤解がありますが、福音宣教とは、そのようなことではありません。罪と死に結果する私たちの立っている生活基盤からの方向転換を告げることが、福音宣教です。それはただ観念的な教義を後生大事にするということではなく、生き方の問題です。

・生まれ変わることのできた大きなチャンスを逸して、既存の自らの生活基盤に居直った大祭司らは、5章33節で「激しく怒り、使徒たちを殺そうと考えた」と言われています。このことによって、使徒たち及び信徒たちへの迫害がはじまっていくのです。

・私たちは、この使徒言行録が語っているイエスの福音宣教という出来事が、人間の生死を決するほどに重大な事柄であるということを忘れてはなりません。そして福音が宣べ伝えられるところには、それを否定する悪魔的な力が顕在化することも、よく認識しておく必要があります。けれども、それを十分踏また上で、敢えて福音宣教の働きに、イエスの福音によって死から命へと導かれた私たちとしては、与っていきたいと願わずにはおれません。