なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

使徒言行録による説教(51)

      使徒言行録による説教(51)、使徒言行録14:8-20

              
パウロバルナバの受けた迫害・弾圧は、所謂その後のキリスト教ローマ帝国の中で権力者であるローマ皇帝による迫害・弾圧ではありませんでした。二人は、ヘレニズム世界の都市を巡り歩いて、その町にありましたユダヤ教の会堂を拠点に、福音の宣教に励んだのであります。二人が宣べ伝えたイエス・キリストの福音は、彼らがやって来た町の人々にとっては、ほとんど新しい言葉(メッセージ)でした。彼らの福音宣教は、「しるしや不思議な業」と言われているような癒しの行為も伴いましたが、人々に悔い改めを求め、神から罪の赦しを受け、イエスの復活の命に生きることを求めるメッセージが含まれていました。ですから、当然それを聴く者の側には、自分たちの生き方を変えなければなりません。それまで彼らが大切にして生きてきた様々な価値観を捨てて、その福音にふさわしい新しい価値観によって生きていくことになります。

・ところで、私たち人間は、他の人たちとの繋がりの中で生きています。現代の日本のような都市に生活している者には、その実感が薄く、匿名の個人として生活しているように思われるかも知れません。けれども、それは他の人との繋がりが間接的になっているというだけで、繋がりの中で生きていることにおいては、聖書の時代の人と、その繋がりが小規模か大規模かの違いはあっても、基本的には変わりません。現代の都市生活者にとっては、自分がどのような価値観を持ち、どのように生きようが、それが他の人を傷つけたり、極端に反社会的であったりしなければ、誰からも文句を言われる事はありません。しかし、聖書の時代の人々は、そういうわけにはいきませんでした。人々は集団として生活していましたので、その集団の約束や慣習に従って生活していかなければなりませんでした。

・イコニオンの町での迫害を予知して、「リカニア州の町であるリストラとデルベ、また近くの地方に難を避けた」(14:6)パウロバルナバは、「そこでも福音を告げ知らせていました」(14:7)。リストラの町のことです。リストラはイコニオン、今日の「コヤンから街道で西南西方向に、38キロ下ったところにあるハトゥンサライという小さな町があるが、ここが昔のリストラだったと言われています」(田川、p.374)。その町でパウロの話を聞いた人の中に、生まれつき足の不自由な人がいました。この人は生まれてから、まだ一度も歩いたことがありませんでした。「パウロはこの者をじっと見て、救われたいという信心をもっておることを認め、大声で言った、『汝の足の上にまっすぐ立て』。そして彼は跳び上がって歩いた」(14:9,10、田川訳)というのです。このような癒しはイエスもしていますし、ペテロもエルサレム神殿の美しの門の前で、ここでのパウロと同じように、生まれつき足の不自由な人を癒しています。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって立ち上がりなさい」(3:6)と言い、ペテロが右手を取って起こされると、その人は歩き回ったということが記されています。

・リストラの町では、生まれつき足の不自由な人を癒したパウロバルナバにとって、思わぬ出来事が起こりました。それは町の人々がパウロバルナバを神に仕立て上げようとしたということです。パウロの行なったことを見て、その町の群衆は、声を張り上げて、自分たちの言葉であるリカオニア語(新共同訳では「リカニオアの方言」と訳しているが、不適切)で、「神々が人間の姿をとって、わたしたちのところにお降りになった」と言ったというのです(11節)。「そして、バルナバを『ゼウス』と呼び、またおもに話す者であることから、パウロを『ヘルメス』と呼んだ」(12節)と記されています。更に使徒言行録では、「町の外にあったゼウスの神殿の祭司が、(新共同訳には「家の」がある)門の所まで雄牛数頭と花輪を運んで来て、群衆と一緒になって二人にいけにえを献げようとした」(13節)というのです。パウロバルナバとは、正に神に奉られようとしたわけです。

・リストラの町では、それが普通だったのでしょう。生まれつき足の不自由な人を立ち上
らせて、歩けるようにした人は、人間の姿を取った神なのです。ですから、その人にいけにえの供え物を献げることは当然だったのでしょう。群衆もゼウス神殿の祭司たちも、当然のことをパウロバルナバにしようとしたに過ぎません。けれども、パウロバルナバにとって、それは当然のことではありませんでした。

パウロバルナバは、「服を裂いて群衆の中へ飛び込んで行き、叫んで言いました。皆さん、なぜ、こんなことをするのですか。わたしたちも、あなたがたと同じ人間にすぎません。あなたかたが、このような偶像を離れて、生ける神に立ち帰るように、わたしたちは福音を告げ知らせているのです」(14,15節)。この二人の福音の告知には、リストラの町の人々のこれまでの考え方とそれに基づいた生き方を問い、それを変えるように迫るメッセージがあります。「あなたがたが、このような偶像を離れて、生ける神に立ち帰るように」と言われているところです。それだからこそ、パウロバルナバも、行く町々でユダヤ人たちを中心とした人々から迫害・弾圧を受けたのです。

・人間は神にはなれません。人間を神に奉り、その神にいけにえを献げることは、偶像崇拝そのものです。神は全ての人間を超越しています。ですから、全ての人は、その違いを持ちながら、皆この神の前に平等なのです。この神の前では人間の中に上下はありません。「わたしたちも、あなたがたと同じ人間にすぎません」とは、生ける神を信じる者には当然のことです。リストラの町の人々には、それが当然ではなかったわけですが、それはリストラの人々が偶像への信仰によって生きていたからなのです。

・このことは、今日の世俗社会において、人々が経済至上主義であるとするならば、お金という偶像に支配されていることを意味するのではないでしょうか。また、人と人とが助け合い、支え合って、共に生きることが、全ての人を超越している生ける神の下では当然の生き方ですが、今日の日本の社会のように、勝ち組・負け組などと言われるような競争社会は、競争という偶像礼拝を多くの人が信じていることを示しているのではないでしょうか。また、「わたしたちも、あなたがたと同じ人間にすぎません」ということが、天皇を含めて私たち日本の社会では、当たり前になっているでしょうか。天皇信仰、皇室信仰という偶像礼拝が、まだ日本人の多くの人の中にはあるのではないでしょうか。そういう意味では、この使徒言行録の記事は、今も私たちへの問いかけでもあると思います。

・さて、パウロはリストラの町の人々に、「偶像を離れて、生ける神に立ち帰るように」と悔い改めを迫ったわけですが、その時「生ける神」について、使徒言行録の著者ルカによれば、このように語っています。15節の後半からですが、そのところを読んでみます。「この神こそ、天と地と海と、そしてその中にあるすべてのものを造られた方です。神は過ぎ去った時代には、すべての国の人が思い思いの道を行くままにしておられました。しかし、神は御自分のことを証ししないでおられたわけではありません。恵みをくださり、天からの雨を降らせて実りの季節を与え、食物を施して、あなたがたの心を喜びで満たして下さっているのです」(15節b~17節)。ここには、偶像崇拝に陥っていたリストラの町の人々も含めて、すべての国の人々は、神の創造した自然の恵みを受けていることが語られているのです。創造者なる神のもとに、その神によって作られた被造世界である自然の恵みを受けて、同じ神の被造物として、私たち人間はこの世に生きているのです。このこともまた、現代の人間中心の世俗化社会では、見失っている信仰ではないでしょうか。

使徒言行録では、この神の創造信仰を語ることによって、パウロバルナバの二人は、「群衆が自分たちにいけにえを献げようとするのを、やっとやめさせることができた」(18節)と記されています。

・ナザレン教団の石田学さんは、教会を「主の弟子として生きる『対抗共同体』」と言っています(クリスチャン新聞2014年1月5日・12日)。「キリスト教的善を生きること自体、主の弟子としての生活に他ならない。もし全ての教会員が、主の弟子として生きるなら、そのような人たちの共同体は、この世における堅固な弟子の共同体として、世の風潮や価値判断に対する対抗的共同体となることであろう」と。戦時下の日本基督教団も現在の日本基督教団も、そこに属する私たちの教会も、「この世の風潮や価値判断に対する対抗的共同体」とは言えません。特に戦時下の日本基督教団は、当時の天皇制国家に積極的に順応していった歴史をもっています。戦時下の日本基督教団の教会には、今日の船越通信の中に書いてあるような明石順三のような人は、一人もいなかったのです。

・ところで、パウロバルナバの二人は、自分たちにいけにえを献げようとするのを、やめさせることは出来ましたが、リストラでもまた迫害・弾圧を受けています。19節以下に、「ところが、ユダヤ人たちがアンティオキアとイコニオンからやって来て、群衆を抱き込み、パウロに石を投げつけ、死んでしまったものと思って、町の外へ引きずり出した。しかし、弟子たちが周りを取り囲むと、パウロは起き上がって、町に入り、そして翌日、バルナバと一緒にデルベへ向かった」と記されています。これが使徒言行録の著者ルカの作り話ではなく、事実が反映されているとするならば、パウロバルナバは懲りないと言うか。大したものです。

パウロ自身が、コリントの信徒への手紙二、11章に自分の受けた苦難について記している所があります。「ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度、鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられることが一度(これが今日の使徒言行録の個所と言われます)、難船したことが三度、一昼夜海上に漂ったこともありました」(11:24,25)。このパウロの自己証言からして、今日のところもルカの作り話ではないと思われます。

・何故そこまでして、パウロは福音を宣べ伝えたのでしょうか。沢山の苦難を受けながら、それでも、終末の切迫を信じ、町から町へと、3回の伝道旅行を敢行し、最後にはイスパニアまで行こうとしたのは、何故なのでしょうか。パウロの気持ちはパウロでなければ本当のところ分かりませんが、私たちも主の祈りを祈っています。「み名をあがめさせたまえ」「み国を来たらせたまえ」、「み心の天になるごとく、地にもなさせたまえ」、「我らの日用の糧を、今日も与えたまえ」、「我らに罪をおかす者を、我らが赦すごとく、我らの罪をもゆるしたまえ」、「我らをここみにあわせず、悪より救い出したまえ」と。この祈りを日々祈る者として、日常を生きるということは、パウロの福音宣教の業に連なっているということではないでしょうか。祈りつつ、神を待ち望みつつ、なすべきことを為していく者でありたいと思います。