なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

使徒言行録による説教(28)

      使徒言行録による説教(28)、使徒言行録7:44-53
                  
・私が原告となって訴えています裁判の第一回控訴審が明日開かれます。一審の第一回口頭弁論では、裁判官によって原告である私の意見陳述が認められましたので、5分で意見陳述を行ないました。しかし、今回は原告の意見陳述は裁判官によって認められませんでした。代理人である弁護士からの意見陳述が5分ほど認められています。一審の口頭弁論でしました、裁判官や被告側の人たちや100人近い傍聴者の前での意見陳述は、結構緊張しました。

・70人近い議員を前にしてのユダヤの最高法院で演説しているステファノはどうだったのでしょうか。勿論使徒言行録のステファノの説教は、使徒言行録の著者であるルカの創作でしょうから、使徒言行録で書かれているように実際にステファノが最高法院で演説をしたのかどうかは分かりません。しかし、ステファノの説教(演説)によって、ステファノの殉教とその後のヘレニスト(ギリシャ語を話すユダヤ人)への迫害が起こったという使徒言行録の記録は、何らかの歴史的事実に基づいて描かれているに違いありません。全くのルカの創作とは思えないからです。

・そのステファノの説教(演説)の最後の部分が、今日読んでいただいた使徒言行録の個所です。前回も申し上げましたが、ステファノの説教(演説)は、自分の信じるところ、思うところを、まっすぐに述べているのであります。特に今日のところは、ユダヤ人が大切にしていたエルサレム神殿を否定する弁論が、率直に語られているのであります。

・この最後の部分には、その冒頭で、イスラエルの民が荒野で作ったのは「証しの幕屋」であった、という事実が指摘され(7:44)ています。これは「証しの箱」(契約の箱)(出エジプト27:21)が安置されている幕屋のことで、この箱の中には「証しの板」(出エジプト31:18,32:15,34:29)、つまり十戒をしるした板が入っていました。この証しの幕屋は、神の存在を象徴する場所を意味しました。イスラエルの民にとっては、この証しの幕屋は神殿の前身であったと思われます。荒野の旅を続けてきた民は、この幕屋と共にカナンの地すなわちパレスチナに入ったのです。おそらくカナンに定着してからも王制の時代が始まるまでは、この証しの幕屋を持ち歩いていたのでしょう。使徒言行録7章45節にも、「ダビデの時代までそこにありました」と記されています。

出エジプト記によれば、この証しの幕屋には「証しの箱」(契約の箱)をはじめとして、純金の燭台など、儀式を行うための豪華な机や祭壇なども用意されていたと言われています(25-27章)。また、この「証しの幕屋」は「勅令の幕屋」(民数記9:15ほか)とか、「出会いの幕屋」ないしは「集会の幕屋」(出27:21ほか)とも呼ばれていたようです。つまり、イスラエルの民が神を象徴するこの幕屋のところで集会をしたということなのでしょう。或いはそこで神の象徴と出会ったということなのでしょう。そして時にはモーセヨシュアのような指導者によって神の名による掟などもそこで与えられたのでしょう。ステファノの説教の中で、荒野の旅を続けてきたイスラエルの民が、この幕屋と共にカナンの地に入ったという事実が、特に明記されているのは、神殿とは違うということを、強調するためかもしれません。

・さて、このイスラエルの民が沃地に定着し、王国の基も定まったとき、神の恵みを受けたダビデは、神殿の建設を願いましたが、許されませんでした。その子ソロモンになってはじめて、神殿ができ上がりました。このことに触れることによって、ステファノの説教は、神は神殿建設をお喜びにならなかったのだということを、暗黙のうちに示そうとしていることが窺われます。いと高き神は、人の手で造った宮の内にお住みにはならないのです(7:48)と記されている通りです。その論拠として、イザヤ書66章機2節が七十人訳ギリシャ語訳聖書で引用されています。

・「『主は言われる。/天はわたしの王座/地はわたしの足台/お前たちは、わたしに/どんな家を建ててくれると言うのか。/わたしの憩う場所はどこにあるのか。/これらすべて、/わたしの手で造ったものではないか』」(7:49-51)。

・ステファノの説教で、アブラハム以来の歴史を長々と語ってきたことも、実はこのことを論証するためでありました。旧約聖書をどう解するかというステファの本来の意見陳述はここで終わります。そしてその後に、ステファノの大変激しい糾弾の言葉が続いているのです。

・「かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち、あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖が逆らったように、あなたがたもそうしているのです。いったいあなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、一人でもいたでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを預言した人々を殺しました。そして今や、あなたがたがその方を裏切る者、殺す者となった。天使たちを通して律法を受けた者なのに、それを守りませんでした」(7:51~53)。

・このステファノの説教と使徒言行録3章のペテロの説教とを比べて読んでみますと、明らかにステファノの説教の方がラディカルです。ステファノは最高法院での裁判を受けている中でその説教を語っていますが、ペトロは民衆に向かって語っています。ペテロの説教でも、同じように「あなたがたはこの聖なる正しいかたを拒んで、・・・・いのちの君を殺してしまった」(3:14-15)と語られていますが、同時に「あなたがたは知らずにあのような事をしたのであり、あなたがたの指導者としても同様であった」(3:17)と執り成しの言葉もつけ加えています。そのように、相手に同情的立場に立ちつつ、「悔い改めて本心に立ちかえれ」(3:19)と説いているのであります。ペテロの説教の方は非常にソフトです。

・しかしこれに反して、ステファノの説教には、相手との宥和の可能性を探ろうとする意志は、少しも見られません。むしろ、天地の造り主なる神は、神殿の内にはお住みにならないということを、真向から突きつけているのです。

・この二人の説教のトーンの違いは、二人の置かれている立場の違いにあるように思われます。ペテロはへブル人でありステファノはヘレニストです。イエスの福音はヘブル人であったイエスの直弟子のペテロなどによって最初に宣べ伝えられました。ヘレニストのフテファノもへブル人から聞いて信じたと思われます。彼は生前イエスから、直接教えを受けたことはありません。宣べ伝えによって、福音を信じ受け入れたヘレニストであるステファノは、ユダヤ教徒が神殿宗教の本質を温存したままで、イエスを受け入れたとしても、神殿宗教の実態そのものが、イエスの福音とは相容れないと見抜いたのでしょう。ヘレニストのステファノは、ギリシャ・ローマ世界に生きる人々にとって、ユダヤ教徒の神殿宗教がどのような存在であるか、よく知っていたのではないかと思われます。イエスの福音と神殿宗教がセットになったものであるならば、イエスの福音は、ヘレニズム世界に生きるユダヤ人以外の人々には受け入れがたいものでありました。

・一方、ステファノはイエスの神殿批判を聞いていたに違いありません。イエスご自身は、その生涯の終りに、エルサレム神殿の庭で両替人や犠牲獣を売る者の台をひっくり返すパフォーマンスをして、この神殿を三日の内に私が建て直すと宣言して、神殿批判をおこなったのです。おそらくそのことがイエスの逮捕と十字架刑のきっかけとなったと思われます。ステファノはこのイエスの神殿批判のことも知っていたでしょうから、ペテロをはじめとするヘブル人信徒のようには、エルサレム神殿を受け入れることは出来なかったのでしょう。

エルサレム原始教会の十二使徒団も神殿で語り、イエスの弟ヤコブは聖所に入って祈ることすら許されていたと言われています。へブル人の信徒が神殿に対して親密な関係を持っていたことは、疑問の余地がありません。6章7節には「祭司たちも多数、信仰を受け入れるようになった」と言われていますので、神殿が生活の本拠地であった祭司たちもエルサレム原始教会に加わっていたということは、へブル人の信徒と神殿との親密な関係を示す証左と言えるのではないでしょうか。

・高橋三郎さんは、その意味でも、このステファノの「認識はまことに鋭く、ペテロすら及ばぬ深さを持っていた。われわれはその洞察の深さに驚くと共に、これだけのことを言えば当然殺されるということを十分知りながら、敢えてこれを直言した彼の勇気に、深い敬意を禁ずることができない。しかし彼自身としては、ただ御旨に対する信仰の服従として、これを言い放ったのであろう。そしてこれは、アブラハムが行く先を知らずにハランから出発したときの信仰的決断と、同質のものであった」と言っています。

・このことは、ヘブル人の信徒とヘレニストの信徒との間に、最初期のエルサレム教会の中に福音理解に於いて違いがあったということを示していると言えるでしょう。その後の教会の歴史も、この教会の内側において福音理解の違いをずっと抱えながら来ています。私は今、バルトの「教会と国家」についての著作を読んでいますが、ヒットラーのナチ政権下のドイツの教会の状況は、教会内部に福音理解の相違を抱えている典型的な事例と言えるでしょ。特にナチへの協力を選んだドイツキリスト者の人たちと抵抗を選んだ告白教会の人たち、特にバルトとは、根本的に福音理解が違っていました。バルトの線に連なった人たちの中には、ボンフェッファーやマルチン・ニーメラーのように獄中の人となった人たちもいます。

・その中で、何がイエスの福音であるのか、本当に正しい福音理解が何かは誰もが明確に認識し、把握しているとは言えないかもしれませんが、自分がつかみ得た限りに於いて、自ら信じているイエスの福音とは何かについて、お互いに語り合っていかなければならないでしょう。今日政教分離を錦の御旗にして、宗教としてのキリスト教に逃げこみ、政治的社会的な発言や行動に対して消極的なキリスト教信仰への流れが強くなっていると思われます。けれども私たちは、イエスの福音が肉体の病や心の病からの解放であるとともに、政治的社会的な抑圧差別からの解放でもあるということをしかっりと踏まえて、平和と人権の確立のための祈りと行動を伴った信仰者として歩んでいきたいと思います。