なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

使徒言行録による説教(29)

     使徒言行録による説教(29)、使徒言行録7:54-8:3、
              
・1942年、戦時下日本基督教団6部、9部に所属するホーリネス教会の116名の牧師・信徒が逮捕され、内81名が起訴され、実刑を受けた者19名、内獄死者3名、保釈後死亡者4名という出来事がありました。第6部、第9部の201教会と63伝道所は、解散処分を受けました。教団は文部省の内示により解散を命じられた教会主管者及び廃止させられた伝道所代表者に自発的辞任を勧告し、その他の両部教師に謹慎を命じました(以上2012年教団年鑑「教団の記録」より)。これは、国家の弾圧が自分たちに及ばないようにするためでした。つまり、当時の教団は、仲間に及んだ国家の弾圧を共に担いその仲間と共に励まし合って耐えて行く道ではなく、仲間を切り捨てることによって自分たちに同じ国家の弾圧が及ばないようにしたのです。

・それから44年後の1986年の第24回教団総会で、後宮俊夫教団総会議長が「旧6部・9部教師および家族、教会に謝罪し、悔改めを表明」いたしました。

・今日の使徒言行録の個所は、ステファノの殉教とエルサレム教会に及んだ迫害について書かれているところです。ここでの出来事は、今申し上げました戦時下日本基督教団において起こった6部・9部への国家による弾圧と、それに対する日本基督教団のとった対応と、ほとんど内容的には同じではないかと思われます。

・戦時下に「キリスト教の神と日本の天皇とどちらが位が高いか」という問いにたいする信仰告白的応答ということからしますと、ホーリネス教会の菅野鋭牧師の検事にたいする応答が想い起されます。

・[係官(検事)]:・・・・旧約聖書を読むと、凡ての人間は罪人だと書いてあるがそれに相違ないか。
[ホーリネス教会の菅野牧師]: それに相違ありません。
係官: では聞くが天皇陛下も罪人か。
菅野: 国民として天皇陛下のことを云々するのは畏れ多いことですが、・・・・天皇陛下が人間であられる限り、罪人であることを免れません。
係官: ・・・・天皇陛下が罪人なら天皇陛下にもイエス・キリストの贖罪が必要だという意味か。
菅野: ・・・・天皇陛下が人間であられる限り、救われるためにはイエス・キリストの贖罪が必要であると信じます。

・この菅野牧師の信仰告白的応答は、ユダヤ教の神殿と律法を神聖化して、生ける神の霊である聖霊に逆らっているサンヒドリンの議員たちを前にして、その非をはっきりと述べたステファノの説教に通じるものではないかと思うのです。恐らく拷問による獄死をした菅野牧師の殉教と、ステファノのほとんどリンチと思える石打ちの刑による殉教は、どちらも不条理な権力による殺人による死です。ステファノの死がリンチによるものであるということは、当時のサンヒドリンの規定を無視していることからも推定できます。当時のサンヒドリンの規定によりますと、無罪の判決はその日に出してもよいが、有罪の判決は翌日まで待たなければなりませんでした。しかし、この使徒言行録では、明確な判決の提示もなく、ただちに刑が執行されていますので、明らかに不法な処置です。

・ステファノも菅野牧師も、どちらも権力が行使する暴力の犠牲になって、殺されてしまいました。しかし、この二人には、 暴力に優るものがあったのではないでしょうか。だから、暴力を誘発するに違いないと思われる信仰の表明を行ったに違いありません。今日の使徒言行録のステファノの証言によれば、こういうことです。「ステファノは聖霊に満たされて、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスを見て、『天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える』と言った」(55,56節)と。この言葉には、天、つまり神との交流、インマヌエル(神我らと共に)という、死よりも強い永遠の命に包まれてそこに存在するステファノが証言されています。この世の秩序にがんじがらめに縛られている身体にあるステファノですが、そのステファノの身体には、聖霊の息吹が注がれていて、その霊の自由さによってステファノの魂は、自分の身体の束縛を超えて天と、神と直結しているのです。

・「人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、『主イエスよ、わたしの霊をお受けください』と言った。それから、ひざまずいて、『主よ、この罪を彼らに負わせないでください』と大声で叫んだ。ステファノはこう言って眠りについた」(59,60節)と言うのです。激しい暴力が吹き荒れているさ中にあって、主の御手にすべてを委ねたステファノの何という静けさでしょうか。サンヒドリンにおけるステファノの説教の偽りを曖昧にして容認しない厳しさと、リンチを受けながらも主にすべてを委ねて祈るステファノの静けさ、平安は、天=神=主イエスに直結した信仰者の実存に与えられる賜物ではないでしょうか。

・このステファノの姿は、十字架上のイエスの姿の模倣に見えます。使徒言行録の著者ルカはその福音書の中で、十字架上でイエスが語った言葉を記しています。「父よ、彼らをお赦し下さい。彼らは何をしているのか、分からずにいるのです」(ルカ23:34)そして「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」と言って息を引き取ったというのです(23:46)。その精神においても、その死にざまにおいても、ステファノはイエスの真の弟子でありました。そしてイエスが神の子であることによってまことの人であったように、ステファノも神の子であることによってまことの人としての己を貫いたのです。

・ところで、ステファノをリンチで殺した人々は、暴力の虜になって、その恐りを、ステファノに向かってぶつけます。ステファノが彼らを批判したのは、批判のための批判ではありませんでした。彼らがその偽りから目覚めて、イスラエルの民として神との契約に立ち帰って、神がかく生きよとイスラエルの民に具体的に示した道としての律法を守って、本来の彼らに帰って歩むことでした。神との対話による自己形成がイスラエルの民のアイデンティティーでした。しかし、ステファノの時代のユダヤ人は、サンヒドリンの議員たちを筆頭に、自分たちが神の代理人のような顔をして、神と神の子どもという関係ではなく、神を後ろ盾にした高慢な人間として振舞っていたのです。「神のみを神とし、自分を愛するように隣人を愛しなさい」という律法に誠実に従って生きていたならば、サンヒドリンの議員たちもステファノをリンチで殺したユダヤ人たちも、ステファノの説教に耳を傾けたに違いありません。ステファノもサンヒドリンの議員たちやユダヤの民衆もみな、命を与えて下さった一人の方の下にあって、互いに愛し合う仲間、家族の一員なのですから。

・さて、使徒言行録では、ステファノの殉教の後、エルサレム教会に迫害が起こったことを伝えています。「その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤサマリアの地方に散って行った。しかし、信仰深い人々がステファノを葬り、彼のことを思って大変悲しんだ」(8:1,2)と言われています。「使徒たちのほかは皆、ユダヤサマリアの地方に散って行った」とありますが、同時に「信仰深い人々がステファノを葬った」とありますので、散って行った人々はエルサレム教会のヘレニスト(ギリシャ語を話すユダヤ人)で、十二弟子のような使徒たちやパレスチナ生まれの生粋のユダヤ人の信徒たちは、エルサレム教会に留まっていたということではないかと思います。

・この背景には、エルサレム教会が置かれていた状況があるように思われます。ステファノの殉教だけでなく、当時のエルサレムは60年代後半から70年にかけてのローマとユダヤの戦争に向かって、ユダヤ人の中に国粋的な思想やテロ行動が強くなっていました。そのようなエルサレムにおいて、おそらくギリシャ語を話すというだけでヘレニストの人たちの居場所がなくなってきていたと思われます。そういう状況の中でステファノの事件が起こり、エルサレム教会のメンバーであったヘレニストの信徒たちは、エルサレムに居ることが出来なくなったということなのでしょう。「ユダヤサマリアの地方に散って行った」というのは、そういうことだったと思われます。

・ただ私たちは、エルサレム教会の中で、このことをどう受けとめたのだろうかということが気になります。エルサレム教会においても、ユダヤ人信徒の群れとヘレニスト信徒の群れは、二つの別個の集団という見方があったように思われます。やもめ(寡婦)の日々の配給のことで、ヘレニストのやもめが差別されていたことが問題にされていたことからしても、そのことが想像できます。ステファノの事件によって、エルサレム教会の一方のメンバーであるヘレニストの信徒の群れが、エルサレムから追放されて、ユダヤサマリア地方に散って行かなければならなかったわけですが、その時使徒たちやユダヤ人の信徒たちはどうしたのでしょうか。

・この時のエルサレム教会は、戦時下の日本基督教団が犯した6部・9部の切り捨てと同じようなことをしていたのだろうか、と思うのです。それとも、二つのグループは、ステファノの殉教を受けて、よく話し合ってどう対処するかを考えたのでしょうか。今この状況ではヘレニストの信徒がエルサレムを離れることは致し方ないと、両者が合意の上で決断し、そのためにはユダヤサマリア地方でヘレニストの信徒たちが生き延びることができるように、最善の努力をするからということまで、祈り合いながら考えてのことだったのでしょうか。それは分かりません。しかし、エルサレム教会が、そこまでの話し合いと確認をしていたとは思えません。事実は戦時下の日本基督教団に近かったのではないでしょうか。こういう教会の弱さは、2000年の教会の歴史の積み重ねにおいても、なかなか克服できない課題であります。

・そのような中で、ステファノの殉教の場に、彼をリンチしたユダヤ人の側にいたサウロ(パウロ)が、そしてステファノをリンチしたユダヤ人のように、キリスト者を追って捕らえては牢屋に送り込んでいたサウロが、後に復活の主イエスに出会って、非ユダヤ人(異邦人)への宣教に命を賭けるようになるわけです。このこともまた、私たちの思いを超えて、この世界の中での神の隠れた働きを示しているものと思われます。

・私たちは、祈りにおける自分と天=神=主イエスとの直接的な交わりという命に支えられて、その命の証言者として、この現実社会の中で立ち続けていかれますように、聖霊の注ぎを受け続けていきたいと、切に願う者であります。