なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(113)

          船越通信癸隠隠魁 。横娃隠廓6月16日        

・6月9日(日)の日曜日は、2日の日曜日の礼拝出席者14名の中の、私を含めて5名が礼拝に出席し、2日の日曜日の礼拝には出ておられなかった方が3名加わって、全体で8名の礼拝出席でした。この3名の内2名は、私が紅葉坂教会時代から関わりのある親子で父と男の子でした。数か月に一回くらいの割合で、二人で船越教会の礼拝に来てくれます。子どもは現在高校2年生です。この子が生まれた時から私は時々教会で会っていましたので、この子とも、もう17年ほどの付き合いということになります。この子は寮のある学校に行っていて、今回は中間試験が終わっての中休みで、家に帰って来ていたので、お父さんと一緒に船越教会の礼拝に来てくれたということです。この二人を加えて、礼拝後お茶をいただき懇談して、散会しました。この日礼拝に出席されたAさんは、献金の役割がありましたので無理して出席されたのでしょう。礼拝後の懇談の途中で、風邪気味で少し熱があるとおっしゃって帰って行かれました。くれぐれもお大事にされますように。

・私はその後少し用事をしてから、船越を出て鶴巻に帰りました。この日連れ合いは、5月の連休に行なわれました、福島の家族の保養プログラム、「リフレッシュ@かながわ」の反省会があり、そこに出席し、帰りが夜遅くになりました。私は5時過ぎに鶴巻に着きましたので、早夕食を済ませて、日曜日でしたが午後7時半頃に、山歩きをした人たちもいなくなって空いている弘法の里湯に行き、一時間ほど温泉を楽しみました。

・11日(火)は、午後数名と説教演習の時間を共有しました。この日初めて若い人の説教を実際に聞き、みんなで話し合いました。この説教演習の前には、同じテキストによる既に天上の人となっている牧師であり、神学教授であった方のした説教から、批判的な学びを共にしていました。それを踏まえて、自由に同じテキストで説教をつくって、それを説教演習で実際に教会の礼拝で説教するようにしてみてくださいと、その若い人にはお願いしておきました。2週間の準備でしたが、よく頑張ったと思います。釈義から説教への展開において、着眼点の新しさは感じられましたが、私としては少し無理があるのではないかと思いましたので、そのことを伝えました。人の説教について批判する事は、自分の説教に返ってくることですので怖い感じがしますが、学び合いの場ですので、許してもうらおうと思っています。

・この日はその後、夕方から私の裁判支援会の神奈川世話人会・事務局会が紅葉坂教会であり、そちらに向かいました。少し時間が早く桜木町に着きましたので、コレットマーレ紀伊国屋書店で本をみていたところ、連れ合いから連絡があり、彼女もNPOの仕事が早く終わって、ランドマークにいるというので、私がランドマークに移動し、時間が来るまで喫茶店でお茶を飲みました。神奈川世話人会・事務局会では、6月3日の第一回控訴審を受けて、7月10日の判決日までにやらなければならないことを確認しました。支援会通信第7号は6月末の発行予定ですので、7月10日の控訴審判決と報告集会についての案内は、この日手分けして、支援者約900通のハガキの案内にラベルを貼って投函しました。

・12日の水曜日には、お昼を挟んで、連れ合いと開成町の紫陽花を観にでかけました。
開成町小田急小田原線で新松田から一つ小田原寄りに駅があります。鶴巻から30分もかかりません。駅からシャトルバスが出ていて、紫陽花のあるところに行くことができます。ここの紫陽花は、田畑の道や畦と、用水路のような川の両側に植えられています。相当広い範囲に、いろいろな色の紫陽花があります。平面ですので、歩くには申し分ないのですが、何となく単調な感じを持ってしまいました。それぞれの区画の紫陽花は、それぞれの町の人たちが管理しているようです。また、簡易のテントにお土産屋さんやお弁当屋さんが出ていて、これも多分町起こしの一環として町の人たちよって、広い田畑の数箇所には設置されています。その一つの簡易食堂として設置された机と丸椅子が並んでいるところで、地面には木くずが撒かれていて田畑の土で履物が泥だらけにならないように工夫されていていましたが、お弁当屋さんで買ったお弁当を食べました。すると、町の婦人会の人なのでしょうか、一人の女性がお茶を持って来て下さいました。連れ合いは広々とした田畑の紫陽花に感動していましたが、私は伊豆下田の山一面の紫陽花が脳裏に残っていて、それと比べてしまって、彼女ほど感動できませんでした。彼女はそれぞれの良さがあると言うのですが。もしかしたら、私の中に序列のイデオロギーが定着していて、それぞれの美しさに感動する自由さが欠けているのかもしれないと、開成町の長年をかけた町おこしと思われる紫陽花に申し訳なく思いました。

・13日木曜日夜には、やはり紅葉坂教会で私の裁判の訴訟対策委員会が行なわれました。
控訴審では私の側から控訴理由書が出て、被告教団側から準備書面が出ていますが、7月10日結審(判決)ということですから、それまでにこちら側から出来ることはないか話し合いました。教団の準備書面への反論ということになりますが、教団側は、私の戒規免職は、未受洗者への配餐という重大な教憲教規違反による、悔改めを求める宗教的な教義に基づく免職という戒規執行であり、そのすべてが宗教的な教義上の行為であるから、政教分離原則からしても、私の訴えは法律上の争訟とはならないという主張を繰り返しています。私たちの側は、弁護士を中心に私の戒規免職処分はその手続きの不当性による社会的な権利義務に関わる不利益処分として法律上の争訟に値するものであり、一宗教団体内における人権侵害に当たることを、基本的な主張にしています。ある方がこの私たちの姿勢について、以下のように言ってくださっています。心強い限りです。

・「宗教団体の自治を認めつつ、宗教団体が市民法のかかわる部分があっても良いわけです。不正や行過ぎた処分・執行部の強権的行為に対しては市民法が人権保障の側面から介入することが許されなければ宗教団体の執行部の独裁になってしまいます。北村弁護団のこころみはこの世にある宗教団体にとって重要な議論を展開しようとしています。教会法(教憲・教規)のみしか念頭にない教団執行部の主張には聞くべきところはありません。もちろん執行部の戒規適用についての誤りは、(教団内においては)教会法である教憲・教規に従って論争すべきです」。