なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(132)

 今日は、午後に私の裁判支援会の「報告・討論集会」が横浜駅近くの会館で行われます。これからそち

らに向かいます。船越通信は、通常日曜日に掲載していましたが、今回は月曜になりました。


             船越通信癸隠械押 。横娃隠廓11月3日        


・27日の日曜日は、急遽説教をMさんにお願いし、私は早めに午後3時半から始まる兵庫教区教師部主催

研修会(テーマ「現場から『伝道』を考える」)に、船越教会から出かけました。このような形で、急遽

説教を他の人に頼んで、日曜日の説教をしなかったのは、後にも先にも(これからもあるかも知れません

が)今回だけではないかと思います。牧師になってから、今年で45年目になっていますが、それまで一度

も説教を休んだことはありません。病気にもならず、不慮の事故もなく、日曜日の礼拝説教を坦々と続け

ることができたことは、ありがたいことです。今回も台風の予報がなければ、説教を代わってもらうこと

もなかったと思います。台風の影響による交通網の混乱があると、船越教会の日曜礼拝を終えてからぎり

ぎりの時間では、とても研修会開始時間まで現地に着くのは難しくなります。ところが、台風27号は、

予想に反して進路を太平洋側に逸れて、関東地方を直撃することはありませんでした。日曜日の朝目を覚

ましましたら、穏やかな晴天の日でしたので、その日の礼拝説教を早めに終えてかけつければ、交通網に

何もなければ、午後4時からの私の講演までにはぎりぎり間に合いました。けれども、既にMさんに代わ

ってもらったものとして週報も作成していたましたので、そのままお願いすることにして、私は出かけて

いきました。その兵庫教区教師部主催研修会の私の講演内容は、私のブログ「なんちゃって牧師の日記」

11月1日、2日、3日に分けて掲載していますので、興味関心のある方はそちらをご覧ください。

・さて、10月26日の土曜日午後に紅葉坂教会で行われました、「寿地区活動30周年記念の集い」につい

て、いくつか皆さんにもお伝えしたいと思うことがありますので、記します。この記念の集いのメイン

は、4人の発言です。その一人、30年間続けてボランティアとして寿に関わってこられた紅葉坂教会のK

さんの発言のなかにありました、「こうもり感」についてです。Kさんは、ボランティアとして活動して

いる寿でも、信仰生活を送っている教会でも、ある種の「こうもり感」をずっと持って来ていると言うの

です。この「こうもり感」を、私の言葉で言い表わせば、こうなると思います。寿にボランティアとして

関わっていると、様々な問いを投げかけられ、居心地が悪い。寿でのそういう問いかけに突き動かされて

いる者として、教会に行くと、その教会にも違和感を覚えて、居心地が悪い。寿と関わるまでは、そんな

に問題には感じなかった教会の教えや信仰が、寿に関わるようになって、揺さぶられて、崩されて行くの

を感じる。「天に国籍がある」という信仰も、「最も小さな者の一人にしたのは、私にしたのである」と

いうイエスの言葉も、今までのようにストンと自分の中に納まらなくなっている。そういう意味で、寿で

も教会でも自分は「こうもり」のような存在に思える。この感覚は大変大事なものではないかと、私は思

っています。もし自分はボランティアをして、良いことを寿の人たちのためにしてあげているのだという

思いで、寿に関わっているならば、おそらくKさんが言うような「こうもり感」をその人は持たないと思

うのです。慈善家は、施しはしても、良いことをしてやったという自己満足はあっても、その人が施しを

した人の側から問われ、自分自身を変えていかなければならないという感性はないように思うのです。

「こうもり感」を持つ人には、そういう感性があるということだと、私には思われます。このことが大変

重要なことのように思います。与え手と受け手は、一方的な関係ではなく、場合によっては、受け手が与

え手になり、与え手が受け手になるということも起こり得るのです。寿も教会も居心地が悪いならば、た

だ居心地が悪いというところに留まるのではなく、どちらも居心地が良くなるように変えていかなければ

ならないわけです。私は名古屋時代の教会の経験を通して、そのことを、「出会い・発見・変容・共生」

という出来事性として捉え、『自立と共生の場としての教会』でまとめてみたわけです。

・寿地区活動30周年の集いで、もう一つ、考えさせられたことがありました。それは

身体障がい者の施設、ことぶき福祉作業所で長年働き、今は退職して理事として関わり、寿地区に住んで

自治会の仕事もしておられるK・Mさんが言われたことです。寿に住んでいて、寿地区から他の場所に転

居して行く方も、逆に他の場所から寿地区に移転してくる人も、自分がどこから来たか、またどこへ行く

のか、寿という町の名前は言えないと言う人が多いということです。K・Mさんは、そういう点からし

て、「寿を普通の町にしたい」と言われました。この言葉の重みを考えさせられました。

・28日(月)には、前記の兵庫教区教師部主催研修会の後、午後4時から兵庫教区事務所のある兵庫教区

クリスチャン・センターで、「制度と現場の狭間で“教団教師”を問う」~日本基督教団教憲・教規と向

き合いつつ~というテーマで、兵庫教区教師制度問題協議会が兵庫教区常置委員会主催、教師部委員会共

催で行われました。この会でも私が講師ということでお話しをさせてもらいました。おそらく私が現在教

団から教憲教規違反ということで、戒規免職処分を受けている渦中にある“教団教師”ということで、講

師に頼まれたのだろうと思います。私は、(1)問題の所在、〔偽疑ο澄↓教職と信徒、F鷦錙米

重)教職制、ざ技娶…衞簑蝓↓ジ酋誼勅更塢瑤了兩、(2)歴史的な経過の中で、(箒技佞寮士蘚擬

行、∩ケ朸飢颪了?磧↓私の場合、(3)問題解決への視座、ゞ誼沈立問題・教師検定問題、◆峩

憲9条検討委員会」の破産、正常化による教団乗っ取り、ざ偽茲亮臑寮という項目に従って話しまし

た。その中で、船越教会の事例についても話をさせてもらいました。教師制度を現在の教団の大勢が変え

る可能性はほとんどなく、教団における教師制度の問題は、教区か有志が主体的に、現在の教団の教師制

度に代わるもう一つのあり方を提示して、全教団的な合意形成をしていくことしかないと思います。ただ

それ以前に教職(教師)とは何か?という問題があり、教職と信徒の関係を詰めておく必要があります。

私は1979年に7年間の教師検定試験受験拒否の後に正教師試験を受け正教師になりました。今から考える

と、教団の教師制度の枠の中で正教師になるということを、もっとよく考えておくべきだったという悔い

があります。協議会では、その点を突かれる問いを受けて、私の宿題とさせてもらうことにしました。