「現場から『伝道』を考える」(その3)を掲載します。
(5)「自立と共生の場としての教会」について
・「自立と共生の場としての教会」ということで、私の考えていることをお話しさせていただきたいと思います。洗礼を受けていないが、教会の集まりに参加している人、洗礼を受けて、教会の集まりに加わっている人による集まりとしての教会は、そこでどのような出来事が起こる場なのでしょうか。
・教会によっては、その教会の集まりに洗礼を受けて所属すると、企業集団の一員のように、「伝道」という名目によって、新来者獲得へ走るという形もないとは言えないでしょう。或は、教会で語られる救済の論理を受け入れて、自分は救われた者だからと、そこで思考停止して、救われた者と未だ救われていない者という二元論的な人間観に立って、未だ救われない者を一人でも救いに導かなければならないと、「伝道」に励むという風にです。
・それに対して、「自立と共生の場としての教会」ということで、私が考えてきたことは、人の集まりとしての教会の場を「現実と聖書との往還」の場としてとらえ、そこで起こる出来事は〈出会い、発見、変容、共生〉の繰り返しと考えています。少し横道にそれるかも知れませんが、清水博という人が書いた『場の思想』という本があります。その本の帯には、〈生命システム科学の発想から生まれた、新しい時代の哲学。日本のもつ「場」の思想が、社会の経済の「危機」を乗り越える原動力となる〉とあります。「場」の思想ということですから、西田幾多郎の影響を受けているのではないかと思いますが、この人の考え方は大変魅力的です。
・その本の中で、イエスについて触れられているところがあります。イエスの十字架について、このように言われています。〈イエスの悲痛な絶叫は消滅の悲劇を締めくくって完成させる叫びである。新しい生命の力強い変態的生成という新しい幕を挙げるためには、旧い消滅のドラマの幕を完全におろさなければならないのである。…・(中略)…イエスの場合を参考にして考えると、消滅即生成の変態的変化の場は、生死の場に他ならないことがわかる。人生の挫折は、もしもそれを率直に受け入れることができるなら、自分の心を縛ってきたさまざまな拘束を剥いで、剥き出しの真実を見せてくれる。それは自己の死の前では、それまでの人生の虚飾が無意味なものとなるということと本質的には同じである。これまでの自己の「葬式」を自己がだし、その自己の死の後で見えてきた真実から出発して自己自身を再構築していくことが自己創造の変態的変化である。…・(中略)…・
転換期における変態的変化に必要なことは、自己の内側からの声への強い使命感である。その声は自己の生命と純粋生命の二重存在性によって、純粋生命から送られてくるものである。使命感をもって生きることができないものは、「人生はかくあるべし」という内側からの声を聞くことはない。そのために、常に目先の利にしたがって生きようとする。自己中心的な観点しかもっていなければ、群れ合いの場に集まることができず、自分の周囲に出会いの場をつくることはできない。したがってドラマの転換点で迷う。〉
・清水博さんは確か「共創」ということを言っていたと思います。〈出会い・発見・変容・共生〉は、「共創」につながると思います。教会は〈出会いの場〉ではないかと、私は思っています。ところが、出会いを通してお互いが変わり合っていく場というよりも、教会に安心を求めて、そこで思考停止している場合が多いように思います。
(6) 船越教会で
・私は2年半前に、紅葉坂教会を辞し、その後船越教会の牧師として現在に至っております。船越教会は、紅葉坂教会や御器所教会と比べますと、少人数の教会です。礼拝も毎日曜日5名から10名前後の出席です。礼拝後、何も集会がない時は、お茶を飲んで、懇談の時を一時間ぐらいもちます。実は先週19日の土曜日から20日の日曜日にかけて修養会ということで、「船越教会の今を考える」というテーマで集まりがありました。この時は16名の参加でした。お年寄りと地方の方以外はほぼフルメンバーです。そこで「平和宣言」の見直しの話し合いがありました。その結果、以下の様な見直し案がまとまり、20日の礼拝後、教会総会ではありませんが、17名の出席で、ほぼフルメンバーでしたので、そこで見直し案を承認し、船越教会の「平和宣言」としていくことが確認されました。
「平和宣言」
私たちは戦争責任に基づき飢餓、地球破壊、差別、軍事力、核等のあらゆる抑圧から解放され自由、人権、世界平和の実現を求めつつ、戦う民衆として前進することをここに宣言します。 1990年5月20日
今回の見直しの「平和宣言」
私たちは、先の戦争に対する責任を自覚し、いのちを脅かす貧困、差別、原発、軍事力をはじめとするあらゆる暴力から解放されて、自由、平等、人権、多様性が尊重される平和な世界の実現を求め、共にこの地に立つことを宣言します。
2013年10月20日
・船越教会で牧師として働くようになって、少人数の教会であることの優位性のようなものをしみじみと感じています。けれども、私が来る前の船越教会は、教区から互助を受けなければやっていかれない教会の一つでした。教区から互助を受けている教会は5~6教会だと思います。船越教会は、そういう少人数の教会でも、教会堂をもっています。1989年頃に建築した建物ですが、今は、維持のためにそれほど負担になっていませんが、これが会堂建築ということにでもなれば、メンバーの気持ちはそのことに集中していかざるを得ないと思います。維持→護教(教会を護る)という方向に意識が集中しますと、教会は制度的な教会への関心に傾斜していきます。〈出会いー発見―変容―共生〉という出来事性が失われていきます。
・「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」(マタイ18:20)というイエスの言葉を忘れてはならないと思います。教会はイエスがその中にいる人の集まりであるということを。本質的には、制度的な教会がなくても、このような人の集まりがあれば、そこには教会があるということです。
(7) 展望についての断片的な思い付き
・展望については、こうだという決定的なものはありませんが、44年の牧師の経験から、いくつか感じていることをお話しいたします。
・まず現在のような個人経営事業のような教会の形態を続ける限り、成長神話の呪縛から解放されることはないと思います。現在の教団執行部が伝道、伝道と言っているのは、教勢拡大による教会維持の安定化ではないかと思います。その基本は護教の姿勢です。〈仕えられるためではなく、仕えるために〉という姿勢は、そこからは生まれ難いでしょう。教勢拡大に成功したとしても、現在の韓国が抱えている問題にぶつかるに違いありません。体制化された教会であります。
・船越教会では、私が年金生活者ですので、教区から互助を受けなくてもやっていけます。勿論、私は戒規免職処分を受けている者なので、神奈川教区も公式には私を船越教会の牧師として認めていませんので、互助を申請しても、受け付けないだろうとは思いますが。教会が経済的に他に依存したり、維持するために大変な労力を使わなければならない場合、どうしても保守的になると思います。
・「イエスの友であり、それゆえにお互いが友であるような集まり」としての教会にとって、大切なことは
/鳩擇砲覆襪海函
∀帯を築くこと。
J??をできるだけ鮮明にしていくこと。
・「互助と連帯」は、現状の教会を前提にして考えていくと、行き詰るように思います。新しい教会の在り方、教会間の在り方、牧師・信徒像の在り方を模索していく中で、互助と連帯を考えていく必要があると思います。
・2002年暮れに神奈川では、当時の沖縄議長だった山里勝一さんが、2002年の教団総会で「名称変更議案」をはじめとして合同のとらえなおし関連議案が、すべて審議未了廃案になって、「さようなら」と言って、教団総会の場を去っていきましたが、そのことを受けて「かながわ明日の教団を考え会」という有志の集まりを立ち上げました。その会で、3~4年前に、民主党のマニュフェストが騒がれていたときですが、「日本基教団マニュフェスト」について話し合ったことがあります。それを紹介します(兵庫教区教師部研修会の発題では、この中の一部を紹介したのみ)。
日本基督教団マニュフェスト私案 作成:北村慈郎
I 日本基督教団の教会としての枠組みに関する提言
1)日本基督教団は合同教会として開かれた、平和を愛する主に導かれた教会をめざす。
たとえば、教権を否定するならばカトリック教会とも合同の可能性を内包する合同教会として開かれた教会をめざす。
2)日本基督教団は社会的に疎外差別されている人及び小規模でも福音宣教の課題を担っている教会・伝道所をその中心にした交わりをめざし、相互の支え合い、分かち合いを大切にする。
3)沖縄教区との関係の修復からやり直し、合同のとらえなおしを推進する。
4)教団信仰告白と戦責告白は暫定的に相補的なものとするが、教団の信仰告白であるならば、国家の要請に教会側が主体的に内応・呼応して成立した教団の負の歴史を克服する内容をめざさなければならない。このことは、平和に反する国家の要請には、教会として主体的に内応・呼応しないことをめざす。
信仰告白はなくてもよいが、必要ならば、教団信仰告白と戦責告白両者の矛盾を止揚するために新しい信仰告白を作るか、または、それぞれの地方的なものも作ることもでき、全教団としては複数のものをもつこともできる。複数の信仰告白にはっきりと相反する立場がある場合には、相互調整し、全体として同じ方向性をめざす。
5)二重教職制の問題と教師検定問題の解決を図り、教師検定問題で教団教師から疎外されている受験拒否者(補教師も信徒伝道者も)及び福音主義教会連合で按手礼を受けている者は、本人の希望があれば、すべて教団正教師にする。また希望がない場合もその人を教団正教師に準ずる扱いをする。
6)聖餐は日本基督教団としてしては現在「閉じた聖餐」を共有しているが、「開かれた聖餐」を試行することも認める。教団として聖餐についての研究、論議の場を設ける。
7)教団の諸活動は教区が中心的に行う。場合によっては数教区が一つの教区のような活動をしてもよい。教区の教会性を最大限に認める。教区は教会・伝道所に仕え、教団は教区に仕える。現在教団が行っている働きの内教区に移行できるものは全て教区に移行し、全体教会としての教団の働きは必要最低限にする。それに従って教団事務局の働きを縮小し、教区の働き・事務局を充実する。但し地域によって教区格差が出ないように、教区間の連帯の在り方を考える。
8)教師の人事権は教区がもつ。基本的にはパリッシュの形(教師の所属は原則的に教区にある)を取るが、教師の教区間の移動も認める。その場合は教区と教区の話し合いによって進める。
8-b)各個教会と教師の関係において、現在のような直接的な雇用関係(?)は廃止する。教師の雇用関係は教区か教区の下に作られるブロック(地区、支区他)と結び、教師の経済的な保証は少なくとも教区単位で一律にする。
8-c)各個教会は信徒の自主的な集団とし、各個教会と教師の関係は固定的な関係ではなく、流動的な関係にする。
II 具体的な提言
9)教区総会議員、教団総会議員の半数以上は「女性」から選ぶ。
10)教団議長か副議長の一人は人数、財政の小さな教区から出す。
11)教師養成は各神学校に一部委ねるが、教団独自に養成機関を設置し、そこが当たる。
11-b)教師の再教育システムを各神学校と連携しながら教団単位と教区単位に置く。
12)各教団認可神学校の自主性を重んじるが、教団立東京神学大学については、合同教会として の内実をもつ神学校になるように体制を抜本的に改め、機動隊導入の否を認めて再出発する ように促す。
13)総幹事、幹事の給料は大幅に牧師給を上回らないようにする。
14)教団年金は、継続するなら、掛け金に関係なく全隠退教師に同額を支給する。或いは隠退後 のその教師の経済状態を勘案し、支給額を決める。
15)教職謝儀は、各教会の2分の1を教団に拠出する。その分は教会謝儀以外の収入のない全教 師に対等に分配する。教会謝儀以外の収入のある教師は別途考える。
16)教区への年度報告に関し、現行の男女別出席者数の区分を撤廃し、一括出席者数とする。
17)各個教会の枠を越えた信徒の繋がりを創出し、地域の問題に応える運動を形成する。
主日礼拝と日常の生活過程とを一応区別し、生活過程における信徒のネットワークを地域 別、関心別グループとして形成する。
18)形式を含めて現代における礼拝のあり方を模索する。
※注
・この「日本基督教団マニュフェスト私案」は、上記のIに属するものとIIに属するものに分けて、それぞれ思いつく問題や課題について、こうしたらどうかと思うことを、KJ方式に倣って、それぞれアトランダムに挙げたものです。これはある会に配布したものですが、完成されたものではありません。全くの私の思い付きです。一、二個人的な意見を寄せてくださった方があり、その方の意見も採用してあります。
・信仰告白、教憲教規を声高に言って、教会の現場からの創造的な意見や発想をくみ上げない今の教団には未来は望めません。現場で苦闘しながら生み出してきた未受洗者にも開かれた聖餐式を、議論もせずに、教憲教規違反による違法聖餐だと言って、切り捨てたのでは、話になりません。頭が固いというか、人間の痛みや悲しみへの共感が余りにも欠けているというか、イエスからどんどん教団は離れていくかのようです。
・そのような中で今回私は不当な免職処分を受けましたが、少なくとも40年余教団教師として歩んできた者として、私も教団の未来には責任を感じております。そこで、全くの私案でありますが、この「日本基督教団マニュフェスト私案」を公表させていただきました。今後の教団形成に関わるか方々に参考にしていただければ幸いです。
(10)おわりに
・一部は、自分の経験と実践の裏付けを通して、一部は、経験と実践の上での想像力からの話でもありますが、 随分勝手なというか、自由にお話しさせてもらいました。ご依頼にお応えできたかどうか分かりませんが、何かの参考にしていただければ幸いです。長い間ご静聴ありがとうございました。