なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(294)

 先ほど朝からでかけて、下記通信の最後のところに書きました紅葉坂教会の会員の方の納棺式、

葬儀式をし、火葬場に行き、お骨上げをしてから帰ってきました。



       船越通信癸横坑粥 。横娃隠暁12月25日    北 村 慈 郎

・皆様の上にクリスマスの祝福をお祈りいたします。

・18日の礼拝後には、燭火礼拝に子どもたちが来るかもしれないので、クリスマスツリーのセッティ

ングと飾りつけを、皆でしました。作業を終えて、いつものようにお茶をして散会しました。その後私

は来週の準備をして、鶴巻に帰りました。

・この週は、前週の週末に課題が重なって忙しくしていましたので、クリスマスを前に少し休養をとる

ことにしました。ただ船越教会宣言文だけは私の修正を入れて、皆さんにメールで意見を伺い、今週中

に完成文にまとめる作業をしました。完成文は以下のようになります。


日本基督教団
総会議長様
常議員会様
各個教会・伝道所の皆様
関連諸学校・施設の皆様

            日本キリスト教団船越教会宣言(完成文)

 主のみ名を讃美いたします。
 
 皆様におかれましては、恩寵の下、それぞれに与えられた課題にお励みのことと存じます。

 さて、当教会は、横須賀という基地の街におきまして、創立以来イエスのめざした平和の実現、横須

賀市民との連帯を目指して、神奈川教区をはじめとして全国の諸教会・伝道所の支援をいただきながら、

小さいながらも一歩ずつ歩み、今日に至っております。そうした歩みを大切にして、2011年4月よ

り、北村慈郎教師を主任担任教師として迎え、以来5年間宣教活動を続けております。

 しかしながら、北村教師に対する日本基督教団による不当な戒規免職処分の継続、および過日の教団

総会で免職処分撤回を求める神奈川教区総会議決議案を即時却下したことは到底承服することは出来ま

せんし、強い憤りを覚えています。

 残念ながら、司法の場における北村教師の復権の途は閉ざされましたが、2011年の当教会の招聘時点

では判決は確定しておらず、あくまで当教会としては、北村教師を主任担任教師としてお迎えをし、今

日まで信仰生活を誠実に続けてきました。

 歴史を遡りますが、1975年、いわゆる種谷牧師(牧会権)裁判において、刑事、民事の差はありますが、

判例としては「牧会権は、礼拝の一行為であり、信教の自由に根付くものだ」という判断が司法の場で保

障されています。こうした歴史を顧みる時、憲法が保証済みである北村教師の当教会における牧会権は保

証されて当然であります。

 多様性をもつ合同教会として成立した日本基督教団の成立の歴史と正負の遺産を踏まえ、北村教師に日

本基督教団の主任担任教師としての当教会の牧会活動を継続していただくことを教会員一同として切実に

願いつつ、今後も北村教師の当教会における牧会活動を受け入れ、教会員一同全面的にこれを支持してい

くことを宣言します。
 
 つきましては、各個教会の招聘を重んじる当教会の決意にご理解を頂き、北村教師に対する免職処分を

撤回した上で、聖餐、ならびに日本基督教団教憲・教規に関する検討の場を設けていくこと求めてやみま

せん。

 また、各個教会・関連学校・施設におかれましては、本文書の存在を会員の皆様に知らしめる責務があ

ると存じます。そうでなければ戦時下の国家権力による情報統制となんら変わりなく、日本基督教団はい

つか来た道をまた戻り、繰り返してはならない過ちを再び繰り返すのではないか、という不安を非常に強

く感じるからです。

 どうか私たちの思いと願いをおくみとり頂き、常に誠意を持って牧会している北村教師に対する支援を

今後ともよろしくお願いすると共に、場は違っていても、地上における「神の国」実現のための課題にそ

れぞれが共に向き合えることを切に祈ってやみません。


                                2016年12月25日
                                
                                日本基督教団船越教会教会員一同



・この宣言は代務者のS先生に見てもらってから、公表するようにしたいと思います。


・さて、23日(金)お昼前に船越教会に来て、クリスマス燭火礼拝、クリスマス礼拝の準備をしていまし

たら、午後にNさんが来て教会のお掃除をしてくださっていました。すると午後3時頃紅葉坂教会の会員の

方が横浜みなと日赤病院で召されたという連絡が入り、私は葬儀社に連絡し、私自身も病院に駆けつけま

した。病院から遺体を搬送し、さまざまな打ち合わせをし、途中夕食を済ませて船越教会に帰ったのは午

後8時過ぎていました。その後中断したクリスマスの準備に取り掛かりました。