なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(288)

       船越通信癸横牽検 。横娃隠暁11月13日    

・11月6日の日曜日は永眠者記念礼拝でした。本年2月に召されたK・Sさんを加えて、船越教会関係の永

眠者は16名になります。その方々をはじめすべての先達の方々を憶えて、遺族の方々6名と共に礼拝をさ

さげました。出席者は19名でした。その後昼食会を持ち、遺族の方々を囲んで、交わりのひと時を持ちまし

た。その後役員会を行いました。役員会では、特に10月30日(日)に開催しました秋の修養会で確認しまし

た、私が船越教会の主任担任教師であることを、教団の他教会・伝道所に、また関連施設や学校に向けて、

船越教会として宣言文を出すことについて、下記のような原案をみなさんに配布することにしました。この

原案についてのご意見を皆さんからいただき、宣言を完成させたいと思います。すでにメールで宣言原案を

みなさんに回していますので、2週間以内に北村の方までご意見をお寄せください。パソコンを使っていな

い方もあるでしょうから、この週報にも宣言原案を掲載いたします。どうぞよろしくお願いいたします。

・(宛先)日本基督教団総会議長様、常議員会様、各個教会・伝道所の皆様、関連諸学校・施設の皆様

        日本キリスト教団船越教会宣言(案)(原案M・Y、修正N・S)

 主のみ名を讃美いたします。

 諸氏におかれましては、恩寵の下、それぞれに与えられた課題にお励みのことと存じます。

 さて、当教会は、横須賀という基地の街におきまして、創立以来イエスのめざした平和の実現、横須賀市

民との連帯を目指して、神奈川教区をはじめとして全国の諸教会の支援をいただきながら、小さいながらも

一歩ずつ歩み、今日に至っております。そうした歩みを鑑み、2011年4月より、北村慈郎教師を主任担

任教師として迎え、以来5年間宣教活動を続けております。

 しかしながら、北村教師に対する日本基督教団による不当な戒規免職処分の継続、および過日の教団総会

で行われた免職処分撤回を求める神奈川教区総会議決議案を即時却下した件を到底承服することは出来ませ

んし、強い憤りを覚えています。

 残念ながら、司法の場における北村教師の復権の途は閉ざされましたが、2011年の当教会の招聘時点では

判決は確定しておらず、あくまで当教会としては、北村教師を主任担任教師としてお迎えをし、今日まで信

仰生活を誠実に続けてきました。

 歴史は遡りますが、1975年、いわゆる種谷牧師(牧会権)裁判において、刑事、民事の差はあるにせよ、

判例としては「牧会権は、礼拝の一行為であり、信教の自由に根付くものだ」という判断が司法の場で保障

されています。 こうした歴史を顧みる時、憲法が保証済みである北村教師の当教会における牧会権は保証

されて当然であります。

 多様性をもつ合同教会として成立した日本基督教団の成立の歴史と正負の遺産を鑑みて、北村教師に日本

基督教団の主任担任教師としての当教会の牧会活動を継続していただくことを教会員一同として切実に願い

つつ、今後も北村教師の当教会における牧会 活動を受け入れ、教会員一同全面的にこれを支持していくこ

とを宣言します。

 つきましては、各個教会の招聘を重んじる当教会の決意にご理解を頂き、北村教師に対する免職処分を撤

回した上で、聖餐、ならびに日本基督教団教憲・教規に関する検討     の場を設けていくこと求めて

やみません。
  また、各個教会・関連学校・施設にあっては、本文書の存在を会員諸氏に知らしめる責務があると存じ

ます。さもなくば戦時下の国家権力による情報統制となんら変わりなく、日本基督教団はいつか来た道をま

た戻り、繰り返してはならない過ちを再び繰り返すのではないか、という問題提起も付記いたします。

 どうか意のある所をおくみとり頂き、常に誠意を持って牧会している北村教師に対する支援を今後ともよ

ろしくお願いすると共に、場は違えど、地上における「神の国」実現のための課題にそれぞれが共に向き合

えることを切に祈ってやみません。

                2016年  月  日  日本基督教団船越教会教会員一同

・12日(土)に磯子教会で教区性差別問題特別委員会主催の講演会がありました。第42回女性と男性の共

生をめざす集いでテーマは「日本軍『慰安婦』問題と日韓『合意』」でした。女たちの戦争と平和資料館

(wam)事務局長のW・Mさんが講師でした。昨日コンゴでの人権集会から帰ったばかりで、レジュメもなし

だがということでしたが、その講演は戦時日本軍の性奴隷とされた女性たちの声をベースとした、特に日

韓「合意」の問題点を切開するもので、大変説得力がありました。集会の最初に参加者で歌った讃美歌21-

421番の「さあ、共に生きよう」と、講師が接している日本軍「慰安婦」の女性たちの現実とが余にも乖離

しているからだろうか、講師のW・Mさんは講演の最初の言葉がこみ上げる思いが涙となって、なかなかで

ませんでした。コンゴの人権集会に来ていたアメリカ人は、大統領選挙の結果トランプの勝利にショック

を受けて、涙を流していたそうです。トランプによる人権をないがしろにした政治が行われることへの不

安からだと思われます。W・Mさんが事務局長をしているwamも11年経つが、最近「爆破予告」が送られてき

ました。「戦争展示物を撤去せよ。さもなくは爆破する」と。トランプや安倍政治では、怒りの矛先が自

分たちに向かうことになるのではとW・Mさんはおっしゃっていました。お話しは多岐にわたっていました

が、その根底には戦時日本軍の性奴隷とされた女性たちの人権の回復があるように思われました。その意

味で、日韓「合意」は女性たちの基本的人権に即したものではなく、政治的合意で、その政治的合意によ

る「和解」は却って女性たちの人権を踏みにじるものであると。その通りではないかと思います。特に教

会関係者の中には「赦し」とか「和解」が語られることが多いのですが、「赦し」や「和解」の実体は何

であるのかを問わなければならないと思います。しばしばこのような信仰的言語は事実の隠蔽に使われる

ことも多いからです。「和解の為ではなく、女性の人権の回復を」というW・Mさんの叫びとも思える言葉

が響きました。