なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(316)

       船越通信癸械隠供。横娃隠掲6月4日    北村慈郎

・今日はペンテコステの礼拝です。「風立ちぬ、いざ生きめやも」。聖霊の風を受けて、神の子どもとさ

れている私たちですから、神の子どもらしくこの時代の生き抜いていきたいと願います。

・28日(日)の礼拝には、田浦教会の信徒の方が出席しました。その方は一度船越教会の礼拝に出席し

たいということで、田浦教会の牧師にお断りして、わざわざいらしてくださったということです。礼拝後

のお茶の会の懇談にも残ってくださり、交流の時を持つことが出来ました。うれしいことです。各個教会

の枠組みを越えて、信徒同士がつながり、課題を共有する信徒がいろいろな運動を起こしていくようなれ

ばと、私は密かに願っていますが、それが難しいのが日本基督教団の教会の現実です。懇談会後、5月の

役員会がありました。4月16日の教会総会で新しく選ばれた役員4人と私とでこの一年間役員会を担ってい

きます。この日は6月4日(日)のペンテコステ礼拝の確認などをして、午後3時から大船教会で行われる

東湘南地区総会に役員のHさんが教会を代表して行かれますので、早めに終えました。私はその後、その

日の午後6時から紅葉坂教会でありました第74回かながわ明日の教団を考える会の準備をして、午後4時半

過ぎに船越教会を出て、紅葉坂教会に向かいました。

・この日の明日の教団を考える会では、6月総会に出す二つの議案の文案検討が主な課題でした。一つ

は、「日本基督教団教師委員会・審判委員会の北村慈郎教師に対する不当な戒規適用が無効であることを

確認し、北村慈郎教師の免職処分を撤回すると共に、日本基督教団において聖餐についての論議の再開を

求める声明を出す件」です。もう一つは、「「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告

白」50年を覚え新たな行動をおこす決議の件」です。文案は前者が私、後者はTさんに書いてもらいまし

た。二つとも、原案を多少修正して完成させました。二つともできれば、常置委員会提案の形で総会に出

したいと思いますので、翌日29日(月)に四役会がありましたので、四役会で検討していただくために、

私が教区事務所に二つの議案を届け、議長にお願いしました。常置委員会は6月6日(火)ですので、この

二つの議案が常置委員会で常置委員会提案とならなかった場合、議員提案議案として教区総会に出すこと

にしていますので、二つの議案共提案者と賛同者のあるものも用意しました。

・6月1日(木)は久しぶりに、連れ合いに代わって私が国会前の辺野古新基地建設反対の座り込みに参

加しました。私が午後1時少し前参議員会館前のいつもの座り込みの場所に来ましたら、共謀罪反対の人

たちがその場所にいて、ほとんどの道路の壁は共謀罪関係の横断幕が張られており、一部空いているとこ

ろを私たちが使わせてもらいました。一度セットしましたが、雲行きが悪くなり、豪雨になったため、私

の仲間の方々は参議員会館の玄関に避難しました。私はコンビニで買ったビニールレインコートを着て、

荷物のリュックは携帯用の傘で雨をしのぎ、豪雨の中座り込みを続けました。しかし、あまりの雨のすご

さに、道路の街路樹の葉の茂った銀杏の木の下に避難しました。午後2時ごろには雨も上がり、それから

午後4時まで座り込みを続けました。

・この日は午後7時から大和でペシャワール中村哲さんの講演がありましたので、私は座り込み後地下

永田町駅から半蔵門線で中央林間に行き、小田急に乗り換えて大和まで来ました。大和には午後5時半

過ぎに着きましたので、会場の一階にある喫茶店でコーヒーを飲んで、しばらく時間をつぶしました。午

後6時半近くに連れ合いが来ましたので、一緒に会場に入りました。私達は座れましたが、1,000人が入る

会場に入れきれなかった人もいたようです。中村哲さんの講演は、プロジェクターで写された画面を説明

する形で進行しました。アフガニスタン現地における中村哲さんの働きは、最初は医療活動でしたが、20

00年からは診療活動と同時に、大干ばつに見舞われたアフガニスタン国内の水源確保のための井戸掘削と

カレーズ(地下水路)の復旧を行い、全長27キロメートルに及ぶ灌漑用水路を建設しています。それも近

代的な機械を持ち込んでの作業ではなく、現地の人たちの手によって、しかも日本の治水技術も取り入れ

た伝統的な技術によってアフガニスタンの人々が、用水路が洪水などで壊れても修復できるようにとい

う、永続性を考えてです。この灌漑用水路建設によって、砂漠化した土地が緑豊かな土地に変わり、人々

が住めなくなった土地にまた人々が帰って来て住むようになったその様子を、スライドで見せてもらう

と、アフガニスタンの人々にとってこの灌漑用水路の建設がいかに重要であるかが、よくわかります。ま

た、人間にとって、毎日命をつぐむための食糧が与えられて、安心して生活できる土地がいかに必要であ

るかもよく分かります。砂漠化した土地が灌漑用水建設によって緑豊かな農業用地になったところに、ア

フガニスタンの人々が帰ってきます。そこでアフガニスタンの人々によってつくられる社会は、アフガニ

スタンの伝統的な共同体になります。アフガニスタンの農村共同体の要はモスク(イスラム教)とマドラ

サ(学校?)だそうですが、新しい村にもモスクとマドラサが建設されます。その伝統的な農村共同体に

は、かつての日本の村の地主と小作のような封建的な遺制が生きているそうですが、だからと言って、中

村哲さんは、民主主義的な価値観や人権思想という自分たちの価値観を押し付けるとうまくいかないの

で、封建的な遺制と分かりながらも、アフガニスタンの伝統的な農村共同体としての村づくりを受け入れ

ているとおっしゃっていました。植民地支配とタイアップして進められたヨーロッパキリスト教の世界宣

教は、キリスト教絶対主義で、現地では改宗主義をとりました。伝統的な宗教を排して、キリスト教を押

し付けたのです。それに比べると、中村哲さんの考え方はアフガニスタンの人々の自主性に委ねるという

ものではないかと思われます。自分の価値観を絶対的なものとするのではなく、他も認め合って、それぞ

れが大切にしてきたものへの尊敬を失わずに、多様な価値観を持った者が共生できる多文化共生の道の大

切さを思わされました。中村哲さんは、農業協力の結論として、➀地域性、⊆給性(非商品性)、自

然循環性を挙げています。考えさせられます。