なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

「天には栄光、地には平和」(燭火礼拝説教)

    「天には栄光、地には平和」ルカ福音書2章14節 2016年12月24日船越教会燭火礼拝


・最初のクリスマスには、このような燭火礼拝はありませんでした。私のような牧師の説教もありません

でした。ですから当然皆さんのような礼拝に参加する人もいませんでした。

・ルカ福音書のイエスの誕生物語によれば、羊飼いたちが突然天使のお告げを受けて、ベツレヘムの馬小

屋の飼い葉桶に寝かされた乳飲み子イエスのところにやってきたのです。羊飼いたちに告げられた天使の

お告げは、こういうお告げでした。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今

ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお産まれになった。この方こそ主メシアである。あなたが

たは布にくるまって飼い葉桶の中に寝かしている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのし

るしである」(ルカ2:10-12)。

・羊飼いたちに天使がお告げを語り終えると、突然、天使に天の大軍が加わり、神を賛美して、このよう

に言ったというのです。「いと高きところには栄光神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ」(ル

カ2:14)と。羊飼いたちは、この天使の大軍による賛美の言葉を聞いて、この世のこと、人間的なこと地

上のこと、羊飼いの仕事や思い煩いや不安から、心と目をいと高きところの神の栄光と神の栄光にふさわ

しい地にある平和に向けたのです。そして、ベツレヘムの馬小屋の飼い葉桶の中に寝かされていた幼子イ

エスを見て、このイエスにおいて、あの天使の大軍の讃美が事実となっていることを確信したのです。

・「神の栄光」とは。神においては、また神の前では、すべてのものが響き合い、また調和していて、そ

の結果、神の造られたものはみな自由で一つになっており、また一つですが、それぞれ自由であり、その

ような形ですべてのものが共に生きることができるのです。これが神の栄光です。そのような神のもとに

は平和があります。神は、地上における人間も動物も植物もそして自然も、戦争のために造ってのではあ

りません。戦争だけではなくすべての争いや対立や憎しみ合いのために造ったのではありません。けれど

も、私たち人間は、この地上にあって、そのような戦争と争いと対立と憎しみ合いに縛られていて、その

縄目を解けないでいるのではないでしょうか。

・何故でしょうか。それは私たちが、自分のことやお金のことやこの世のことばかりを見ていて、そこに

ある別のものを、本当に見ていないからではないでしょうか。私たちを超えたところにあるものを眺め合

っていないからではないでしょうか。私たちは自分自身を眺め、私たちの仲間を眺めています。また、私

たちは互いに対立しているさまざまな利害関係を眺めています。経済的なまた政治的なさまざまな可能性

を眺めています。そして、私たちがそれらすべてを考える場合、当然のことながら、私たちは平和に達す

ることができないという結論に至るのです。神の生命(いのち)から区別された、そのような私たちの営み

の中には、平和はあり得ません。人間的なもの、地上的なもの。神の世界から区別された世界。そういう

ものは繰り返し、あらゆる種類の対立や争いや戦いへと分裂せざるを得ないのです。そして私たちはその

ような生を愛し、保持(たも)しよう(とう)と願う限りは、家々の中での平和も、また世界における地上の

平和も、美しい夢であり続けるよりほかはありません。

・けれども、天使の大群が語った「いと高きところには栄光神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあ

れ」(ルカ2:14)という言葉に促された羊飼いたちのように、もし別のものを、より高いものを、また私

たちを超えたところにあるものを、本当に私たちが一度、見ることを開始しようと思い、またそれに固着

(むすびつこうと)するならば、私たちは平和を持つことができるのです。イエスは我々の前に立って、い

と高きものに目を注ごうとしない私たちの自己(あや)欺瞞(まち)を取り除き、われわれを神が喜ばれる人

間にすることを欲し、もはや不安の中にいる必要のない存在にされるのです。むしろ、私たちを神の被造

物(つくられたもの)全体(すべて)との調和の中で生き、また神が喜ぶことができるような存在にすること

を、イエスは欲し給うのであります。神が喜び給う人間。天にあるようにそれらの人々の間には、平和と

喜びがあるところの人間に、です。

・イエスによって、そういう平和と喜びを大切にする人々への扉はすでに開かれているのです。このクリ

スマスに当たって、私たちは、また新しい思いをもって、その扉の中に入っていこうではありませんか。



(この燭火礼拝の説教は、バルトの説教集14の394頁以下「ルカ2:19による説教」を参考にさせて

もらいました。)