「告知」ルカによる福音書1:26-38、クリスマス礼拝説教2014年12月21日(日)
・今年も主イエスの降誕を想い起こすクリスマスの時を迎えました。2014年という時を思いながら、
私たちはクリスマスを祝おうとしています。特に原発事故がまだ収束していない状況で、一方原発
再稼働の動きが強まっているわけです。また、秘密保護法の施行がはじまり、集団自衛権の閣議決
定を受けて、その法案が作られ、戦争のできる国へと安倍政権によって日本の国が一歩も二歩も踏
み出そうとしています。そんな中で武器輸出が政府の後押しで具体化しつつあります。全てが経済
優先の名の下に進んでいくかに思われます。また格差が広がっており、貧困層が拡大しています。
特に最も保護されなければならない母子家庭の母子世帯の貧困率は6割に及んでいると言われます。
また、生活保護費よりも低い非正規雇用者の年収の合わせるかのように、生活保護費が切り下げら
れています。これが社会的な現象にみられる私たちの今、この時です。そのような今、この時に、
私たちはイエスの誕生を憶えるクリスマスを迎えているのであります。
・ルカ福音書のイエス降誕物語の中には、イエスがベツレヘムの家畜小屋で誕生した時の時代の空
気がこのように記されています。「そのころ、皇帝アウグストゥスが全領土の住民に、登録をせよ
との勅令が出た。これは、キリニウスがシリアの総督であったときに行われた最初の住民登録であ
る。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った」(ルカ2:1-3)と。
・このローマ皇帝アウグストゥスの勅令に従って、身重だったマリアもいいなずけのヨセフと共に、
ダビデの家に属していたヨセフの故郷ユダヤのベツレヘムにガリラヤの町ナザレから旅だったとい
うのです。「ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、
布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」(ルカ2:6,7)
と、ルカ福音書には記されています。この布にくるんで飼い葉桶に寝かされた赤ちゃんこそがイエ
スさまです。
・このようなルカ福音書が記していますイエスの誕生は、ローマ帝国の支配下にあった属州ユダヤの
国の片隅で起こった出来事であります。圧倒的なローマ帝国の支配からすれば、婚約はしていたけれ
ども、まだ結婚していない夫婦に一人の子どもが誕生したというまことに小さな出来事でありました。
けれども、ルカ福音書が描くこのまことに小さなイエス誕生という出来事は、今日のテキストである
マリアの受胎告知の物語もそうですが、不思議な神の介入によって彩られているのであります。
・私たちの生きているこの現実には、世俗の歴史と言う面だけはなく、神の側からの働きかけという
面があることを、聖書は私たちに繰り返し訴えています。その神の側からの働きかけを受けて、ルカ
福音書のイエス誕生物語が記されているのであります。ですから、ルカ福音書の1章、2章のイエス誕
生物語は、神の側の働きかけが私たちにイエス・キリストにおいて現わされていることを信じる人々
によって作られた信仰の物語であって、史実を物語っているものでではありません。けれども、信仰
の物語としてのイエスの誕生物語には、私たちをわくわくさせる息吹が満ち溢れているように思われ
ます。その息吹の一端に今日は共に与かりたいと思います。
・マリアの受胎告知の物語を、ペイジェントの場面を想い起しながら、もう一度振り返ってみましょ
う。神さまによって天使ガブリエルが、ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめマリア
のところに遣わされてやってきます。
・天使:「おめでとう。恵まれた方。主があなたと共におられる。」
マリア:この言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込む。
天使:「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。んstしゃ身ごもって男
の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子
と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、
その支配は終わることがない。」
マリア:「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」
天使:「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、
神の子と呼ばれる。・・・神にはできないことは何一つない。」
マリア:「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。」
・マリアは天使ガブリエルから受胎告知を受けて、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この
身になりますように」と言って、天使を通した神の側からの働きかけを受け入れたというのです。マリ
アの受胎告知の後に、ルカ福音書ではマリアのエリザベト訪問の記事がありますが、その中で「主がお
っしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」(ルカ1:44)というエリザベトの言
葉が出てきます。信仰とは、この神の側からの働きかけを信じて歩みを起こすことではないでしょうか。
そういう意味では、ここでのマリアは信仰の人として描かれているのであります。
・そしてそのマリアが歌ったとされる賛歌が、ルカ福音書1章46節以下に記されているのであります。
「わたしの魂は主をあがめ、
わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
身分の低い、この主のはしためにも
目をとめてくださったからです。
今から後、いつの世の人々も
わたしを幸いな者と言うでしょう。
力ある方が、
わたしに偉大なことをなさいましたから。
その御名は尊く、
主を畏れる者に及びます。
主はその腕で力を振るい、
思い上がる者を打ち散らし、
権力ある者をその座から引き降ろし、
身分の低い者を高く上げ、
飢えた人を良い物で満たし、
富める者を空腹のまま追い返されます。
その僕イスラエルを受け入れて、
憐れみをお忘れになりません。
わたしの先祖におっしゃったとおり、
アブラハムとその子孫に対してとこしえに」
(ルカ1:47-55)
・おとめマリアは、成人男子が中心の構成メンバーであった当時のユダヤの国では、取るに足りない、
まことに小さな存在でした。しかし、そのようなおとめマリアが、このルカ福音書のイエス降誕物語の
中では、光輝いているのです。神の御業が現れるところでは、成人も子供もみな同じ存在です。男も女
も、またマイノリティーの人も、ユダヤ人も非ユダヤ人(異邦人)も、自由人も奴隷も、人間が社会的
な範疇で見られることはありません。誰もみな神に命を与えられた神の子どもなのです。
・マリアは「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。」と、神の側から
の働きかけに対して受け応えをしました。平和と自由にあふれる世界の実現を祈り求める私たちにとっ
ても、このおとめマリアのように、イエス・キリストを通した神の側の働きかけに対して、「わたしは
あなたの(神の)子どもです。あなたのお言葉どおり、この身になりますように」という信仰から始ま
るのではないでしょうか。
・この今年のクリスマスに当たり、イエス・キリストを通した神の側からの働きかけに応えて、信じて
歩みを起こす一人一人として、私たちがその置かれた日常の場でしっかりと立つことが出来るように、
受胎告知におけるマリアの応答を思いめぐらしたいと思います。