なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(565)復刻版

 黙想と祈りの夕べ通信(565)復刻版を掲載します。2010年7月のものです。

 今日は2014年の際顔の日曜日です。私は夏期休暇の代休で、今日は船越教会はお休みしま

した。船越通信もお休みしましたので、黙想と祈りの夕べ通信の復刻版を掲載します。


        黙想と祈りの夕べ通信(565)[Ⅺ-42]2010・7・25発行)復刻版


 19日の月曜日にカラバオの会の「タイ人2家族の在留特別許可獲得による報告集会」が、阪東橋近く

の神奈川県地域労働文化会館であり、参加しました。日本で働く外国人家族が安心して生活できるため

には、特別在留許可が必要です。オーバーステイの状態では、いつ入管によって強制送還されるかわか

らないわけですから、安心して生活することができません。今回はそういう意味でタイ人2家族には朗

報で、そのために支援してきたカラバオの会にとっても大変嬉しい出来事だったと思われます。その報

告集会では、上記タイ人2家族とは別に、カラバオの会が関わっています1韓国人家族の在留特別許可

申請が却下されて、そのために今後その家族の支援の署名運動への協力が呼びかけられました。その他

に難民申請をしている一人のコンゴ人と一人のタイ人の紹介もありました。カラバオの会でその支援を

しているUさんは、寿地区活動委員会の委員でもありますので、委員会がある度にカラバオの会の報告

がありますので、それぞれの方々の状況はある程度知っていますが、Uさんの支援の働きには頭が下が

ります。さて外国人の在留の問題は法務省の管轄ですが、民主党政権になって法務大臣が千葉さんに

なりました。多少以前とは変わってきているようです。死刑執行については、千葉さんが法務大臣

なってから一度も執行されていないそうです。約1年間。自民党政権鳩山法務大臣の時代には、死刑執

行がよくありました。大臣が代わるだけでも、死刑執行については随分違うものだと、改めて感じて

います。政治や社会を変えていくためには、そのような見識と実行力を備えた人材の配置と活躍が必

要なのでしょう。

 上記の私の発言に続いて、一人の方からの発言がありました。18日の日曜日の午後神奈川教会で開

催された横浜地区集会に参加した。講演は「イエスの叫び」と題して、マルコによる福音書15章33-34

節に基づいたI牧師のお話であった。私は先生のお話のメモを取り、後でそのメモによって先生の講演

をかみ締めた。心の病に対する理解をどのように深めていけるかを考えさせられた。

 又別の人からの発言がありました。この分かち合いで自分の思いをできるだけ語ってきているが、

それが自分の自己宣伝になってはいないかという危惧を抱くことがある。けれど、一方で一人一人何

を感じ、どう生きているのかを分かち合うことは大事なことではないかとの思いもある。最近関西女

性センターのニュースレターの編集者から、私に沖縄の基地問題について原稿依頼があった。最初こ

のテーマではとても自分にはできないと思って、断ろうと考えていた。しかし、たまたま8月1日

(日)の神奈川教区の平和集会の宣言文の原案作成をある人から頼まれて、インターネットで色々な

資料を調べて書いた。その際関西女性センターのニュースレターへの原稿依頼に対しても、自分が

続けている国会前での辺野古基地建設反対の座り込みについて書けばいいのではと思いついた。自

分は国会前の座り込みには、横断幕を張って、ただ椅子に座って、時々道行く人に辺野古新基地建設

反対を訴えるに過ぎない。座り込みも6年目になり、自分の日課になっている。その仲間に80歳過ぎ

と70歳過ぎの二人の女性がいる。その二人の方のことも書いて、原稿を送った。すると編集者の方

から、私が書いて送ったそういうことが知りたかったと言われた。一人では力にならないが、分か

ち合うことによって他の人と繋がっていき、次のステップになるのではないかと思わされている。

遠慮し過ぎるのはよくないと思う。ニュースレターの私の原稿から何かを感じてくれたらいいナー

と思っている。書けないと言って逃げないことによって、自分が変えられた。黙想と祈りの夕べの

時間が自分にとって大切な時間となっている。感謝。


           「霊の源を目指して掘る」    7月25日


 傷ついたり腹が立つ時、あるいは誰かに無視されたり拒絶される時、私たちは自分の内奥に抗議

の気持ちがあるのを経験します。それは激しい怒りであったり、落ち込みであったり、復讐心であ

ったり、自分自身を傷つける衝動であったりさえします。私たちを傷つけた人を傷つけたい衝動に

かられたり、自分を否定して自殺さえも考える程の引きこもりに陥ったりします。これらの極端な

応は例外的なものに見えるかもしれませんが、私たちの思いからそう遠いものではないと思われま

す。夜中眠れずに苦しい時間を過ごす時、私たちはしばしば人が自分に言ったり、したことに対し

て、言いたかった言葉やしたかったことについて思いめぐらし続けていることに気づくことがあり

す。

 私たちが霊の源泉に向かって深く掘りさて、私たちの内にある中心に戻ってゆかなければならな

いのは、まさにこの時です。その中心は、人々や自分自身を傷つけたい欲求を超えたところにあり、

そこでは私たちは何にもとらわれることなく許し、愛することが出来ます。


                (ヘンリ・J・M・ナウエン『今日のパン、明日の糧』より)