なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(564)復刻版

 黙想と祈りの夕べ通信(564)復刻版を掲載します。2010年7月のものです。

 下記に2010年7月に私が船越教会の代務者に就任したことが記されています。この時私は既に

教師委員会から戒規免職処分を受けていました。上告中でした。この年の9月末に審判委員会が教師

委員会の私への戒規免職を認めて、教団において最終的に私の戒規免職処分は確定しました。それか

ら丸4年が経って、今は5年目に入っております。この私の戒規免職撤回を勝ち取るまで、後何年かか

るかわかりませんが、最後までやり抜くつもりです。



       黙想と祈りの夕べ通信(564)[Ⅺ-41]2010・7・18発行)復刻版


 私は11日の日曜日には7月からまた代務者を引き受けました船越教会の礼拝説教と役員会に出てきま

した。2年前にTさんが教会で働きたいということで当時代務者をしていました私が船越教会に紹介し、

船越教会も招聘を決めて、Tさんは船越教会の牧師として2年間働いてくれましたが、体調のこともあ

り、2年間で辞めましたので、船越教会はまた無牧になりました。そのために今回も私が船越教会の代

務者を引き受けました。私には免職問題がありますが、まだ教団の教師でありますので、教団も私の

船越教会代務者を承認しました。さて、船越教会は十数名の現住陪餐会員で、礼拝出席は5,6名です。

11日は私を入れて10名でしたが、4日は3名でした。会員も教会の近くに住んでいる人は数名です。な

かなか厳しい状況ですが、細々と礼拝を続けています。どうぞ船越教会のことを覚えてお祈りくださ

いますようにお願い致します。

 上記の私の発言に続いて、一人の方から発言がありました。8月1日の日曜日午後に当紅葉坂教会を

会場にして神奈川教区の平和集会があります。その平和集会には沖縄から平良修さんが講師としてみ

えます。基地・自衛隊問題小委員会委員長のIさんから、平和集会の声明文の原案を社会委員会から作

るようにいわれたので、私にも手伝ってくれるように連絡があった。明日の辺野古基地建設反対の国

会前での座り込みのときに、数名でそれぞれ準備してきて練ろうということになった。私は自分の原

案を用意するためにインターネットで今年の沖縄の慰霊の日の集会での発言者の発言、高校生の詩、

過去の沖縄の色々な市の声明文などを読んだ。痛みの押しつけ、沖縄の屈辱など心痛むことが多い。

そして8月1日の平和集会に何を声明文として語ることができるが考えさせられた。平和への想いを沢

山の人が持っているが、平和はちっとも実現しない。政治的なものがあるからだろうが、平和のため

の声明文を作りながら、どんな状況の中ででも平和を求め続ける大切さを改めて知らされた。

 続けて別の人からの発言がありました。日常感じていることを話したい。7月11日は象徴的な日で

あった。参議院選挙があり、3年前と違って民主党が敗北した。その日ワールドカップの決勝戦、ス

ペインとオランダ戦があり、スペインが優勝した。ワールドカップでは日本も善戦した。日本の岡

田監督は、パラグアイ戦で破れた後、サッカーの監督から身を引くと言った。岡田監督は日本の代表

監督を2度引き受けたが、2度とも前任者ができなくなって、止むを得ず引き受けた。引き受けてから

は、ぼろくそに批判されることもあったが、一切言い訳がましいことは言わなかった。今回もワール

カップ前には岡田監督への批判は厳しかった。今回は報いられてよかった。岡田監督はもうサッカ

ーの監督はしないで、別の世界で生きると宣言している。一方菅直人は言い訳ばかりしている人のよ

うに思う。自己弁護と他人への責任転嫁。岡田監督と好対照の人のように思われる。サッカーでの岡

田監督のきれいさと、政治の世界の菅直人の醜さ、きれいなものときたないものが交差した日が7月

11日ではなかったかと思う。

 もう一人の方からの発言がありました。いろいろ話したいことがあるが、先週の土曜日選挙のこと

で知人のカトリックの方が、週間金曜の記事を500部配るというので、私も手伝って町田のJRと小田急

の駅で配った。その時通る人の顔がみな厳しかった。10人に1人が話をしてくれる。景気が悪いので法

人税の引き下げは仕方ないという人が何人かいた。大企業が強くなってもらわないと、景気回復に繋

がらないのでということなのだろう。そのためには消費税を上げ法人税を引き下げるのも仕方ないと

いうことのようだ。しかし、それでは格差が是認されるのではないか。この配布を手伝ってから人の

顔が気になって、みんなの顔を見るようになった。朝のバスではみんなの顔は、それほど厳しくなか

った。12日には教団常議員会に陪席させてもらったが、そこでの議論についていけなかった。何が

問題なのかを知っていきたいと思う。


           「コミュニティーの体」      7月18日


 食卓を囲み、共にパンを割く時、私たちは、一人ひとり変えられるだけではなく、コミュニティー

としても変えられていきます。年齢や人種を異にし、背景や経歴を異にする私たちが、一つの体とな

るのです。パウロは言っています。「パンは一つだから、わたしたちは大勢いても一つの体です。皆

が一つのパンを分けて食べるからです」(Iコリント10:17)。

 個人としてばかりではなくコミュニティーとしても私たちは、取って祝福され、割かれてこの世に

与えられて生きるキリストとなります。一つの体として私たちは、すべての人、すべての国を神の家

族として一つにしたい、という神の大きな願いを生きて証しする者となるでしょう。


                 (ヘンリ・J・M・ナウエン『今日のパン、明日の糧』より)