なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(287)復刻版

 今日は「黙想と祈りの夕べ通信(287)」復刻版を掲載します。2005年3月27日のものですか

ら、今から約8年半前になります。


         黙想と祈りの夕べ通信(287[-26]2005・3.27発行)復刻版


 イースターとクリスマスに私は自分で宛名を書いて、日曜学校の子どもたちから青年、新来者、教会で

結婚したカップル、そして普段礼拝に来ていないか来られない教会員の方々に、短いメッセージと礼拝案

内を添えてカードを出しています。教会員の方には誕生カードも出していますので、教会員の方で礼拝で

お会いできない方については、一年間に3度宛名を書くことによって、その方のことを思い出したり、想

像したり、またその方を覚えて祈ります。日曜学校の子どもたちや青年、新来者、教会で結婚したカップ

ル(その中には子どもも誕生している)の一人一人については、一年間に2度は上記と同じようにしてい

ます。約400名です。このことは一面では私の自己満足です。この教会を通して関わりを1度でも与え

られた方のことをこの教会の牧師として忘れてはならないのではないかと思うからです。だからといっ

て、それが何になるのかと言われれば、何もならないかも知れません。ですから、私の自己満足なので

す。でも私はこれからも続けていきたいと思っています。さてこの3月末で私の紅葉坂教会での働きは丸

10年になります。早いものです。今この時に私自身の中にはまだまだ課題も多く、抱負もいろいろと膨

らんできて主体的には大変充実しています。10年経ってそういう気持ちでこれからの働きに取り組んで

いけることは、自分としては喜びです。2月の教会だよりの役員懇談会の私の発題でも触れていますよう

に、信仰と生活との往還が生き生きと活性化していくように、これからも自分なりに模索していきたいと

思っています。

 上記の私の発言に続いて、一人の方から発言がありました。21日には神奈川教区の平和フェスタが川

崎教会で行われた。大きなうねりを起こす会でも展示物を出したり、歌を歌ったりしてアッピールした。

食堂にも辺野古のビデオ、総集編を録画していた。それを観た方の中には、阻止行動はすごいんですね。

海に出ていてトイレはどうするんですかと、驚かれた方もいた。私は、辺野古の運動が実際にどんなに大

変であるかを感じて、早くこの運動が辺野古に基地を作らせないという形で終わることを祈り、また辺野

古に行くという繰り返しをしている。実際に現地に行って見た者と、ただ聞いただけの者とは違う。海に

出て、単管に体をくくりつけ、立ったまま一日いて、防衛施設局側がいつ来るかわからないという緊張感

をもち続けることは大変である。今回辺野古にたまたま7人と一緒に行った。初めての方がほとんどだっ

たので、辺野古に向かうレンタカーの中で、私が4人の方にガイダンスをした。実際に辺野古に着いた

ら、その大変さが分かって、一人の方は、はじめてだったが海に出て単管での阻止行動に加わった。残り

の方は海から戻ってくる体の冷え切った人たちのために、身銭を切って暖かな食事を用意して、みんから

喜ばれた。この3月末で今まで海に出ていた支援者の中には辺野古を去らなければならない人が数名い

る。同志社大学神学部出身の方は4月から大阪の教会に赴任する。農伝を休学して辺野古にいた青年も4

月から農伝で学ぶために辺野古を去る。一年間大学の研修休暇で辺野古にいた若い大学教師も4月からは

大学の研究生活に戻る。辺野古でのボーリング調査阻止運動が手薄になるのではと心配だ。日に日にあせ

りの気持ちが高じている。辺野古のニュースはこちらにはなかなか伝わって来ない。わざと放っておかれ

ているとしか思えない。苛立ちとあせりを覚える。自分はどうしたらよいのか。日々の歩みの中でいつも

そのことを思っている。祈るということはこういうことなのかと思う。その人が遠いときには人の苦しみ

を分からないで生きている自分がある。イエスさまの十字架の苦しみを想起する受難週の時と重なり祈り

を厚くしている。共に祈ってほしい。