なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(400)復刻版

 黙想と祈りの夕べ通信(400)復刻版を掲載します。2007年5月のものです。


       黙想と祈りの夕べ通信(400[-35]2007・5・27発行)復刻版


 去る日曜日には代務者になりました横須賀にある船越教会に行きました。礼拝説教と臨時役員会に出て

3時半ごろ帰途に着きました。礼拝は私の他に信徒の方が4名出席していました。役員は4名ですが、この

日は2名出席で、役員でない2名の方も途中までは役員会に出ていました。先ずは宗教法人の代務者就任手

続きをしなければなりません。必要な書類を整え、原本と写しを私が預かり、登記をすることにしまし

た。4名の信徒の方には、船越教会の歴史や現状についてお話を伺いました。けれども、一つ一つが話せ

ば長くなるようですので、追々伺うことにして、今後の方針や姿勢について、私の方でいくつかたしかめ

ました。代務者として船越教会に出席するのは月一回の日曜日だけですし、しかも紅葉坂教会役員会には

1年間という約束で、私が船越教会の代務者を引き受けることを了承していただいていますので、どこま

で出来るかわかりませんが、出来るだけのことはしたいと願っています。次回は6月11日(日)に船越教

会に行き、まだ2007年度の教会総会を開いていませんので、その時に私が議長として総会を開催すること

になっています。
 
 現住陪餐会員は約15名です。紅葉坂教会のように現住陪餐会員が約250名の教会とは、いろいろな点で

違いがあると思われますが、船越教会が自ら掲げている「平和宣言」にふさわしい教会の宣教活動を続け

られるように、何とか道をつけていきたいと思っています。船越教会のことを覚えて、祈りに加えていた

だければ幸いです。

 上記の私の発言に続いて、一人の方から発言がありました。22日に西区の作業所の関係で自閉症の方が

集まっているところで、朗読奉仕をする機会に恵まれた。この日の朗読奉仕は2回目であり、7人で行っ

た。大変喜ばれた。私はこの朗読奉仕をしていて、考えさせられることがあった。今まで朗読の勉強を続

けてきたのは、このことのためではなかったかと思えた。1時間半の時間を過ごさせてもらった。来月の

予定を立てて帰ってきた。1時間半の中で自分がした朗読が話題になった。余りよく声が出なかったのに

と自分では思ったが。来月も続けたい。大変嬉しい一日だった。

 続けて別の方からの発言がありました。先週16日金曜から土、日の3日間辺野古ではサンゴの産卵、

ジュゴンの生息などを調べる海域調査が強行された。海底120箇所に器具を設置、サンゴを傷つけたり、

ジュゴンの通り道に器具を置いたりしているようだ。この調査のために横須賀から海上自衛隊の掃海艇が

出て行った。そして、阻止行動のカヌーは十艘ほどに対し、何倍ものモーター付きボートで排除の行動を

したり、海自の船からダイバーが降り作業をしたという。何故、自衛隊が出るのか?沖縄の人から又沖縄

処分を受けた気分だとの声が出ている。ちょうどこの始めの日、辺野古の阻止行動の中心人物「命を守る

会」の会長の方が亡くなった。日曜日には葬儀があり阻止行動は中止され、喪に服した。沖縄では死者に

対し尊敬を持ってその日は1日静かに過ごす。しかしその間も沢山の船と人で調査が進められ完了してし

まった。阻止行動をしている人から私達は政治家やマスコミから反対派、反対派と言われるが、私たちは

平和を求める市民として行動しているのですとネットで伝えられた。私も同じ思いで国会前で座り込み、

辺野古のこうしたことを少しでも多くの人に伝えたくビラを作って配っている。先日カヌー隊のEさんか

らメールが来て「海に出るのは怖いです。でもいつも主イエス様と一緒にいますから怖ろしい荒波の中で

も大丈夫です。最後的に責任を取ってくださるお方がいて平安です。体力は奇跡的に備えられていま

す。」と有りました。徹夜で監視をしたり、朝4時に集合している辺野古のことを思うとそうした状況を

強いているヤマトの人間といしてゴメンナサイと又言わなくてはならないと思うと悲しい。是非祈って欲

しい。

 もう一人の方からの発言がありました。先ほど読んだ聖書の言葉との関連で、3週間前の日曜日で説教

のテキストだった「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネ15:13)に、

今まで自分は引っかかってきた。そういう人がいるということは認めるが、自分の問題としてどうとらえ

たらよいかがわからなかった。命を捨てることは、生涯をかけて友のために生きるということなのかな

をー、と思えた。その過程で友のために命を捨てることもあり得ると思う。正しいかどうかは分からない

が、(友のために)命を捨てることは、(友のために)生きることだと理解した。

 この日の黙想と祈りの夕べには、山梨のO子さんも出席しました。 



           「義のために飢え渇くイエス」   5月27日


 祝福された神の子、イエスは義のために飢え渇きます。イエスは、不正を嫌い、抑圧と搾取で富と影響

力を集めようとする人々に抵抗されました。イエスは全存在をかけて、人々が兄弟姉妹、同じ神の息子、

娘たち同士として接し合うことを切に望んでおられます。

 神の国への道は、たくさん祈ったり、たくさん捧げ物を供えることにではなく、飢えている人に食べ物

を与え、裸の人に服を着せ、病気の人や捕らわれている人を訪ねることにあると、熱く語っておられます

(マタイ25:31-46)。イエスは正義に満ちた世界を切に望んでおられます。そして私たちも同じ

飢えと渇きをもって生きることを望んでおられるのです。

                    (ヘンリ・J・M・ナウエン『今日のパン、明日の糧』より)