なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(401)復刻版

 黙想と祈りの夕べ通信(401)復刻版を掲載します。2007年6月のものです。


        黙想と祈りの夕べ通信(401[-36]2007・6・3発行)復刻版


 この黙想と祈りの夕べで時々お話しますが、私は隔月に鎌倉の軽費有料老人ホームで自主的に行われて

います聖書研究会にお話に行っています。このホームで聖書のお話をするようになって、もう60回が過ぎ

ました。いつも聖書のお話を30分くらいして、その後1時間ぐらい自由な話し合いの時間をもっていま

す。今回はちょうどMさんの自死という事件があったばかりですし、次々に法案を通して戦争の出来る国

作りに邁進しているかに思える安部政権のこともありますので、政治の話をしてもらいました。ところが

期せずして参加していた10人くらいの人が、戦争は絶対にしてはならないという思いを込めて、ご自身の

戦争体験を話してくれました。その中の一人の男性の方が、太平洋戦争の時自分は中尉で将校として、19

45年3月10日の東京大空襲のときに、東京湾上の艦船にいたと言って、話し出しました。その時の自分た

ちの役割は船上からサーチライトで襲撃してくるB29を照らし、陸上の高射砲がB29を狙いやすいよう

にすることだったそうです。ところが、既にB29の落とした爆弾によって炎上して出た煙が空を覆って

いて、陸上の高射砲からは何も見えず、適当に高射砲を打つしかなかったので、殆どB29には当らな

かったそうです。その方は戦争が終わって、戦後しばらくしてから、従兄弟たちが両親を失って戦後大変

苦労したことを相当経ってから聞かされて、知っていれば少しは援助が出来たのにと思いつつ、戦争の悲

惨さをつくづくと感じさせられたと話されました。戦時下でもその人がどのような所にいたかによって、

戦争体験も随分多様性があるものだと思わされました。敗戦後占領軍が日本にやってきたとき、おかしな

ことでもしたら、占領軍と一戦交えるつもりだったという人が、占領軍が今で言うと情報公開でしょう

か、布告を出してこういうことをやるからと日本人の民衆にちゃんと説明した上で施策を進めて行く、そ

の民主的な姿勢を知って、日本が負けるのは当然だったと思わされたと言います。戦争体験を通して、絶

対に戦争してはならないというお年寄りの言葉を厳粛に受け止めなければならないと思わされました。

 上記の私の発言に続いて、一人の方の発言がありました。4月から教会の会堂掃除の奉仕者の一人に

なった。自分がこれまで所属していた東京の教会でも、仕事の関係で京都にいたときに出席した教会で

も、みんなが会堂掃除をしていた。しかし自分は東京でも京都でも会堂掃除をしてこなかったし、はっき

り言えば、会堂掃除をバカにしていたところがあった。しかし、この度この教会の土曜日の会堂掃除の仲

間にいれてもらった。土曜日は仕事がないからである。結論から言うと、教会の会堂の掃除をすること

で、自分がこの教会の正会員になったということを実感し、うれしく思った。家の掃除をするときにも、

掃除はお客ではなく、その家の者がする。日曜日の礼拝の中でMさんの転入会式があった。その時牧師

が、それぞれ自分が洗礼を受けたときのことを想い起こすということと、自分が教会であるという自覚を

持ってほしいということを言われた。会堂掃除を続けていきたいし、他の人にもすすめたい。

 もう一人の方の発言がありましたが、個人的なことでしたので、割愛させていただきます。この日の出

席者は3名でした。
          

       「イエスアイデンティティーを主張する」   6月3日


 イエスをはるか昔に生きた人、その言葉と生涯が私たちにいのちを与え続けている例外的な人として特

別視するなら、イエスが私たちに、ご自分のようになることを望んでおられる、ということが分からなく

なるかもしれません。イエスご自身は、いつも様々な仕方で次のように語っておられました。神の愛する

み子であるご自分が私たちのもとに来られたのは、私たちもまた神の子であり、同じ無条件の愛で神に愛

されているのだということを明らかにするためであると。

 ヨハネは人々に次のように書き送っています。「御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考え

なさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです」(Iヨハネ3:

1)。私たちがイエスアイデンティティーを主張し、私たち自身のものとして受け入れ「私たちは現代

の生けるキリスト!」と言うこと、これが霊的な生活の大きな課題です。


                 (ヘンリ・J・M・ナウエン『今日のパン、明日の糧』より)